パリ五輪開会式、橋の上で「パリコレ」「かっこよすぎ」と称賛の声

パリ五輪開会式、橋の上で「パリコレ」 「かっこよすぎ」と称賛の声(毎日新聞)

いよいよパリ五輪が開幕した。
コロナで延期した東京大会から3年、
アスリートたちは、短いスパンでも、
最善のコンディションを心がけただろう。

ギャラリーは、我が国が誇る世界水準のアスリートの活躍に、
寝不足の日々が続く。

それにしても、開会式の当日、
フランス高速鉄道TGV設備の放火には肝を冷やした
せめてスポーツの祭典は、平和に行ってほしい。
スポーツマンシップにのっとって、正々堂々と戦える環境を整えたい。

オリンピックは、政治とは関係ないと言いつつも、
歴史は異なる色を見せていた。

象徴的な1936年ベルリンオリンピックは、
1936年8月1日から8月16日まで、ドイツのベルリンで行われた。
このオリンピックは、
「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」
と位置づけ、ヒトラーのプロパガンダに利用された。

この大会の開会式や閉会式で利用されたサーチライトは、
その数年後に勃発した第二次世界大戦では、
敵機を照らし出し撃墜するために使われたというから
皮肉にもほどがある。

同じくドイツのミュンヘンオリンピックは、
1972年8月26日から9月11日にかけて開催されていた。
このオリンピックの最中、
1972年9月5日、選手村において
パレスチナ武装組織「黒い九月」によりテロ事件があった。
イスラエルのアスリート11名が殺害されたというもの。

これを受けて、
イスラエルではオリンピックの中止を求めるデモも起きたが、
反ユダヤ的言動で知られた
アベリー・ブランデージIOC会長の命令により、続行が指示された。
9月6日午前10時からオリンピック・スタジアムで8万人の観衆を集めて、
イスラエル選手団の追悼式が行われた。
同日午後4時50分、オリンピックは34時間ぶりに再開された…という。
再開された競技に出場した選手らは、どのような気持ちで試合に臨んだのだろうか。
元凶は、テロを起こした武装組織であることに間違いはないが、
IOC会長の命令は、正しかったのか、間違っていたのか。
選手の立場、イスラエルの立場、大会運営者の立場、
様々な角度から考えると、何が正解だったか人知を超える。

それにしても、どちらの出来事も、開催地がドイツであったというのは偶然の一致か。

スポーツの祭典が悪用され、
犠牲者を出してはならないことは自明の理だ。
しかし、きれいごとだけでは済まされない側面がある。

今も、現実の問題として、戦火の渦中にある国もある。
難民問題も然りだ。
それは、それ。これは、これ。
別の話として、オリンピックを開催することはどうなのだろうか。

オリンピックを目指し、
ひたすら努力を重ねた選手が出場できないのは気の毒だ。

しかし、国民の多くが、
いわれのない命の危険にさらされている現状のままで、
オリンピックどころではない国もある。
理想と現実の乖離を、どう埋めていかなければならないのか。
私たちには、今なお、ミュンヘンオリンピックの時と同様のジレンマにある。

フランス高速鉄道TGV設備の放火は、組織的な犯行と報道された。
祭典の期間中、これ以上の大きな事件がなければよい
…と危惧するのは私だけだろうか。

二宮金次郎

東北では山形県や秋田県で記録的な大雨に見舞われている。
多くの川が氾濫し、他住宅地や田畑が冠水し、
救助要請を受けた警官二人が、
パトカーごと、水に流されたというニュースも入ってきている。
自然の驚異に、人は為すすべもない。
予防しか打つ手はない。
身の安全を最優先に、被害を少しでも食い止めていただきたい。
早く日常の生活に戻れるよう、お祈りする。

さて、こうした洪水は、昔から何回となくくりかえされている。
治水工事が行き届いていなかった昔は、なおさらだ。

本日の主人公、「二宮金次郎」も、洪水に人生を翻弄された一人だ。
二宮金次郎といえば、一昔前まで、
小学校には必ずと言っていいほど銅像があった。
薪を背負い、本を読んでいる姿は「謹厳実直」の象徴である。

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「二宮金次郎」は天明7年(1787)、
相模国栢山村(今の小田原市栢山)の豊かな農家に生まれた。
再三にわたる酒匂川の氾濫で田畑を流され、家は没落。
過労により両親は亡くなり、
兄弟はばらばらに親戚の家に預けられたという。

そこで、金次郎は菜種油で火をともし、本を読んでいたところ、
叔父からこっぴどく怒られる。
その理由は、「百姓に学問は必要ない」。

やがて、金次郎は叔父から独立して実家の再興に取り掛かかった。
朝暗いうちから夜遅くまで汗と泥にまみれて一生懸命働き、
その間、余裕ができればわずかな時間も無駄にせず勉強をして、
先人の教えを理解しようと努力した。
そして、余力が出ると、少しずつ田畑を買い戻し、
一所懸命努力して24歳までに一家を再興した。

…というサクセスストーリーである。

物語にはまだ先がある。
お家再興の事実を知った小田原藩士服部家から、
財政の建て直しを頼まれ、これも達成することができた。

その功績が広まり、
今度は小田原藩の分家にあたる
桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれるなどして、
大飢饉で農村が疲弊しきっていた当時、
生涯に600以上の村々を立て直したといわれている。
内村鑑三著『代表的日本人』の中でも、
19世紀末、欧米諸国に対して
「日本人の中にも、これほど素晴らしい人物がいる」と
苦難の時代を救った偉人として尊徳翁(「金次郎」は、後、「尊徳」に改名)
は紹介されている。

この金次郎が大切にした考え方が、
「積小為大(せきしょういだい)」である。

毎晩勉強していた金次郎は、
読書をするための油代を稼ぐため、荒地に菜種を植え、
たった一握りの菜種から7〜8升の取り入れに成功した経験や、
捨て苗を荒地で丹精こめて育てて、
秋には一俵の籾を収穫した経験をふまえ、
自然の恵みと人の力の素晴らしさを知ると共に、
小さな努力の積み重ねが大切(積小為大)だと学んだという。

自然の流れをうまくとらえて、その摂理に身を任せつつ、
コツコツ努力をして、積み重ねること…
これがのちに大きな成功に繋がっていくということになる。

また、「五常講」という制度を作ったことも知られている。
この「五常講」とは、藩の使用人や武士達の生活を助けるために、
お金を貸し借りできる制度であり、
今でいう、信用組合と同じ組織と位置付けられている。

お金の貸し借りの旋回の過程で、
「仁」の心をもってそれぞれの分度を守り、
多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し借りた方は、
「義」の心をもって正しく返済し、
[礼」の心を持って恩に報いるために冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、
「智」の心をもって借りた金を運転し、
「信」の心を持って約束を守る、
すなわち「仁義礼智信」の「人倫五常の道」を守ろうというのである。
(出典:童門冬二 「二宮金次郎」)

この考え方は、論語に通じるところがある。
孔子は、五つの徳目(より良い人となるための、行動指針)=人倫五常の道
すなわち、「仁義礼智信」を説いており、それぞれ、

仁・・・思いやり、慈しみ
義・・・人道に従う事、道理にかなう事
礼・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従う事
智・・・物事を知り、わきまえている事
信・・・言葉で嘘を言わない事、相手の言葉をまことと受けて疑わない事

の、5つの徳を積むことが大切であるとする教えである。
尊徳翁は、これを「五常講」に取り入れている。

偉人は、どのような境遇でも、結果を出すところにその凄さがある。
偉人の徳を学習しつつ、さらなる「徳の習得」に励みたい。

「10回くらい吐きました」漂流し22時間後に着岸の高速ジェット船内部の様子を乗客語る「たどり着くのか不安で…」

「10回くらい吐きました」漂流し22時間後に着岸の高速ジェット船内部の様子を乗客語る「たどり着くのか不安で…」(プライムオンライン編集部)

乗客は、生きた心地がしなかったに違いない。
楽しい夏休みになるはずが、とんだ災難に遭遇してしまった。
結果オーライだったからよかった…ではあるが、
それでは済まされない。

乗客乗員、合わせて116名の命を預かる船が、
自力航行できなくなるということは、
めったにあることではないだろうが、
同種事案防止のため、原因究明が大切である。

これまで大丈夫だったから、
これからも大丈夫だろうという保証はどこにもない。

知床遊覧船沈没事故、「カズワン」が記憶に新しい。
韓国「セオル号」では、修学旅行の子供たちが犠牲になった。

大きな事故につながるまでに、そのサインはいくつもあったのではないだろうか。
その一回一回を丁寧に、大切に検証することで、
大きな事故を未然に防ぐことにつながる。

これは労務管理でも同じだ。
職場でのサイン。
小さなうちに、悪の芽は摘み取らなければならない。
結果の予測ができたにもかかわらず、
放置するということが一番よくない。
使用者責任を問われる。

それにしても、22時間の航海に関する報道が小さい。
確かに大事故でなかったから、下手に事を荒立てて、
夏休みシーズンの客足をくじくことがないよう、された配慮なのか。

乗客も、常にリスクを考えたうえでレジャーを楽しまなければならない。
危険は、常に安全に隣り合わせているということを
自覚して行動していかなければならないだろう。

暑中お見舞い申し上げます

日々、酷暑が続きます。
皆さんいかがお過ごしですか?

オンデマンド受講の皆様は、お疲れ様です。
学習進んでいますか?

忙中閑あり。
何とか時間をやりくりして、
避暑に赴くことをお勧めします。

身近に、意外と穴場があるものですよ。

くれぐれも、新幹線の不通にかち合わないことを祈って…

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講談社元社員「妻殺害」裁判7・18差し戻し審判決に朴被告の法廷での抗議と家族の涙

講談社元社員「妻殺害」裁判7・18差し戻し審判決に朴被告の法廷での抗議と家族の涙(月刊『創』編集長)

8年に亘る裁判。
人一人がなくなっていて、被告人はその夫。
事件当時1歳だった子も、小学2年生だ。

裁判とは何だろう。
「一審」、「高裁」、「最高裁」、「高裁差戻」
そして、再び「上告」。
一度、起訴されれば、有罪率は99.9%。

その後の最高裁は、どう判断するのだろうか。

真実は一つだが、その真実は神しかわからない。
客観的な証拠から、より真実らしい事実を、
人が判断するしかない。

だから、冤罪もある。
国家権力が、恣意的に貶めることもある。

巷間は、政府がしていることは正しいと思い込むが、
その先入観は捨てなければならない。
悔しい思いをした人が、後に続く人のために、
自身の経験を数多く、著書として記しているから、
そうした事実があるであろうことを認識して、
冤罪被害者の叫びを感じることをお勧めする。

いつ何時、自分の身に降りかかるかもしれない。
真実とは異なるにもかかわらず、
国家権力の言いなりになるのは慚愧に耐えない。

裁判は、人の財産を奪い、人生を変え、
人の命すら奪う儀式だ。
そうした裁判の訴訟指揮をする裁判官には、
くれぐれも人格がすぐれており、かつ、血が通った方にお願いしたい。

世界各地の空港で混乱…4万便以上が遅延、4000便以上が欠航 大規模システム障害

世界各地の空港で混乱…4万便以上が遅延、4000便以上が欠航 大規模システム障害(日テレNEWS NNN)

機械一つで、何でも管理できる世の中は確かに便利だ。
しかし一たび不具合が生じると、全世界が混乱する。
通常生活ができなくなり、
生活も、経済活動も回らなくなる。

これが単なるシステム障害か、
サイバー攻撃の類なのか、
いずれにしても大変なことだ。

便利になるということは、
その他大勢の人は、考えなくてもよくなるということである。
何でも機械がしてくれる生活が常態化すると、
人は考えることをしなくなる。

前提を知らないのだから、あたらしいアイディアも浮かばないし、
これまで動いていたものが、正常に稼働しなければ、
その直し方が分からず、右往左往するだけだろう。

子供の時分に視聴していた、ヒーローもののように、
悪の支配者だけがこうした情報を取得し、
管理したとするならば、世界制覇も夢ではない。

そうならないように技術者の養成は必須だ。
個人の選択に任せるだけでなく、
国家的なプロジェクトとして、対応する必要がある。

昨年起こった社労夢の「ランサムウェア―」問題の時も
同様な危機感を覚えたが、
便利な世の中の脆弱さを憂うる。

同意の上の性交で避妊を拒んだ男性に賠償命令 「自己決定権の侵害」

同意の上の性交で避妊を拒んだ男性に賠償命令 「自己決定権の侵害」(朝日新聞社)

憲法
「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

よって、当然のことながら男女は平等である。

男女が同意のうえ、共同で行った作業の結果について、
当該男女は等しくその責任を負う…はずだが、
女性は、性交において望まない妊娠のリスクを負う。

その際、日本では堕胎の選択もあるが、
費用や身体のダメージといったリスクがある。
つまり女性側には、損害が発生する。

仮に、あたらしい命を誕生させた場合にも、
ワンオペでの子育てには多大な苦労があり、
経済面でも不安の材料だ。
こうした問題も、女性が抱えなければならない。

そこで、平等の片割れである男性側には何ができるか。
一義的には、避妊。
それをせず、女性が出産してしまえば、
婚姻の形態を執れればそれがベストだが、
何らかの事情で婚姻できなければ、
認知のほか、母子の生活援助などが考えられる。

ただし、これはあくまで女性が善意の場合の考え方だ。

たとえば、男性が既婚者で、
相手の家庭を壊して、自分が妻の座を奪いたいなどと、
ドラマさながら、悪意を持って男性を誘惑し、
出産を利用したような場合にまで、
女性に損害が認められるか…の問題である。

同じ婚姻外の出産でも、背景によりその責任の負担が大きく変わる。

では、どうやってその「帰責事由」と「保護事由」を測るか
すなわち、どちらがよりかわいそうか、
どちらをより守ってあげなければならないか…
ということになるが、
それが「客観的証拠」、エビデンスの存在ということになる。

今回の判決では、女性の言い分が認められた。

●性交渉には同意したが、避妊するよう求めたら拒まれた
●子の認知を求めると、「自分は既婚者だ」として認知を拒まれた
●妊娠した場合の身体的・精神的負担は大きく、女性のみに生じる
●女性が性交渉に同意しているとしても、
男性が避妊の求めに応じず行為を続けることは、
女性の性的な「自己決定権」を侵害する
●男性について、「自己責任だ」などと主張して女性の気持ちを顧みず「欲望を満足させるために避妊をしなかった」と指摘

判決の要旨によれば、この男性は極悪非道だ。

女性は恥を忍んで、権利のための闘争をしたに違いない。
女性勝利とはいうものの、173万円の賠償を求めたこの裁判で、
74万円の賠償命令は、安過ぎはしないか。

それにしても、裁判ではどのような証拠に基づき、判断されたのかが気になる。
ラインなどで、当事者がやり取りの文書を残したのか?
電話の音声データを録音していたのか?
男女の秘めごとに関する立証は難しい。

いずれにしても、生まれてきた子供に罪はない。
健やかに、大きくなってほしいと願う。

クジラと泳げる海水浴場 和歌山県太地町で体験始まる

クジラと泳げる海水浴場 和歌山県太地町で体験始まる(紀伊民報)

何とも涼しげな話題だ。
人も少なく、ゆったりと、まったりと、クジラと漂う。
こんな休暇が理想だ。

8月半ばまでの企画らしい。

急いで宿を調べてみるが、なかなかいいところがある。
外観は古びているがリニューアルした室内はなかなかだし、
何といっても新鮮な海の幸が、食欲をそそるはずだ。

さて、居所から和歌山県太地町までの経路はいかに…。

電車で8時間越え。
流石に、ひるむ。
羽田空港から那覇空港までのフライト時間でさえ、2時間30分程度だ。

「行きたい」と、「行ける」では格段の差がある。

簡単に行けないところだから、人も少なく、価値がある。
行けるときに行っておきたいところでもある。

旅行も、強い意志を持たなければなかなか実行に移せない。
人生の選択も、これに似たところがある。

〈石丸伸二氏〉SNSで大バズリの「恥を知れ!」 言われた相手市議は当時、病気だった。

〈石丸伸二氏〉SNSで大バズリの「恥を知れ!」 言われた相手市議は当時、病気だった。“信者”が「死ね」「議員辞めろ」と嫌がらせ電話、殺害予告も…体調は悪化し今年1月に死去。市議を追い詰めた”石丸旋風”とは?(集英社オンライン)

裁判は、事情・背景を斟酌する。

たとえば、人を殺したら、刑法199条が適用される。
「第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁刑に処する。」

しかし、人を殺してもすべての場合に殺人罪が問えるわけではない、
そのほか、「違法性がある」こと、「責任が問える」ことなどを
個別具体的な事案で判断することになる。

例えば、正当防衛なら、殺人罪は問えない。
精神障害者も違法性が阻却される。

このように、物事を判断する場合、事情・背景が大切なのであり、
懲戒処分が行われる際にも、
使用者側の一方的な判断で処分を下すのではなく、
適正手続きの観点から、本人の弁明の機会が与えなければならない。

翻って、「恥を知れ!」発言の対象となった、市議の場合はどうだったのだろうか。

確かに議会中、居眠りをするのはよろしくない。
その部分だけ切り取ったら「恥を知れ!」発言は正しい。

しかし、たまたま体調不良の議員に、
容赦なくその言葉をぶつけ、さらなる体調不良に陥らせたとしたら、
これはハラスメントである。

よって、デュープロセス(適正手続の保障)が求められる。
いきなり恥をかかすのではなく、
まずは事情聴取をして、帰責事由が本人にあるならば、
注意指導、勧告をし、それでも改善しなければ、次のステップに進む。

予期せぬ公開処刑では、立場がある人のプライドが傷つく。

上に立つ人間は、こうした人権感覚を意識し、
適正な手続きを、段階的に踏む感覚を養わなければならない。

労務管理も然りである。

「トラ」と「カメ」の友情

今の議員はバッジを着けるためにやってる。彼は違った。「権力と闘うトラ」だった…亀井静香氏が語った医療革命児・徳田虎雄氏との思い出「心意気にほれたんだよ」(南日本新聞)

「生命だけは平等だ」…弟を3歳で失った怒りが、医療革命に走らせた 大阪に開業した病院は365日24時間無休…画期的な診療はドクターヘリ、DMATへつながった〈徳田虎雄さん死去〉(南日本新聞デジタル)

「権力と闘うトラ」
この方はすごい方だった。
有言実行、20年以上、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患ったが、
ベッドの上からもグループの経営に携わり、
目だけで指示を出していたとされる。

今、政治家の在り方が取りざたされる中、
こうした気骨ある政治家が少なくなっていることは、この国の損失だ。
熱意・確固たる信念・行動力
私利私欲や、くだらない揚げ足取りに終始する時間があったら、
過去の大物議員らが、どのような信念のもと国を動かしてきたか、
真摯に学習していただきたい。

政治は国民のためにある。
国民が平等であるために、
国はどうしたらよいのかを問わなければならない。

人には、「心」、「情」、「徳」がなければならない。
そのうえで、行動力だ。

大物同志に気脈が通じて、改革の原動力になる。
「医師会の支援を受けていない俺だからこそできた。医療は医者の独占物じゃないという彼の心意気に、男同士だけどほれちゃったんだよ」

「トラ」と「カメ」
男が男に惚れる。
昭和のノスタルジアがプンプンする。

全くタイプが異なる動物が、
それぞれの特性を生かして、憂国という同じ方向を向く。
互いを尊重して、様々な意見を取り入れ、平等の実現に尽力する。

みんなちがって、みんないい。

江夏豊氏の姿に「涙した」「いつまでもお元気で」車椅子&酸素吸入機をつけてOB戦のグラウンドに ファンの胸を打つ

江夏豊氏の姿に「涙した」「いつまでもお元気で」車椅子&酸素吸入機をつけてOB戦のグラウンドに ファンの胸を打つ(デイリースポーツ)

往年のスターが、誰だかわからない。
江夏豊氏だけでない。その他多くの球界の重鎮に、
昔の面影を見るのが難しい。
引退から現在まで、メディアへの露出が少なかっただけに、
そのギャップが埋まらない。

誰もが老いる。それは致し方ないことだ。
人は、生まれたからには、終着駅に向かう片道切符を手に、
様々な駅に立ち寄る。

如何に、前向きに、多くの経験を積み、
気心が知れた仲間と出会い、有意義な時間を過ごせるか。
それが人生の醍醐味だろう。

最期に、「ああ、よい人生だった」と感謝できるよう、
その瞬間まで旅は続く。

「世の人は善し悪しごとも言わば言へ。賤が心(自分の心)は神ぞ知るらん。」

これは、吉田松陰の句である。

「海外渡航の企てについて、世間の人は、
私のとった行動をよくないというひともいるだろうが、
私の国を思う真心は神だけが知っているだろう。」
という、信念の強さを謳った句である。

人が何と言おうが、自身の行動に納得した人生が送れたならば、
それが「究極の幸せ」ということになるだろう。
神が応援団だということは、これほど心強いことはない。

人生の主役は、自分自身だ。
最後の最期まで、理想を突き詰め、前傾姿勢でゴールを切りたい。

『死をもって抗議する』 知事の「パワハラ疑惑」を告発 死亡した元県幹部職員 証拠とみられる「音声データ」など残す 「真実を解明してほしい」託された遺族は百条委に提出

『死をもって抗議する』 知事の「パワハラ疑惑」を告発 死亡した元県幹部職員 証拠とみられる「音声データ」など残す 「真実を解明してほしい」託された遺族は百条委に提出(FNNプライムオンライン)

この話題は過日も触れたが、
全容が明らかになってくるにつれ、辛いものがある。

『死をもって抗議する』
正しいことを発言するのに、これはないだろう。
知事も、周囲も、どういう神経をしているのだろうか。

知事は、東大出のエリート、総務省出身とのこと。
確かにその方面では頭はよいが、常識が欠落し、
また、人の心を察するに疎い方なのだろう。

動かざる事実が白日の下にさらされて、
どのような気持ちで、
「知事選で県民から負託を頂いた」
「県職員らと信頼関係を再構築し県政を立て直す」
と語り『知事を続ける』と表明できるのか。

「厚顔無恥」との評価が値する。

今、トップに行間を読めない人が少なくないように思う。
つまり、表出された物事の裏側を読む力が欠如しているということだ。
もっと簡単に言うなら、「想像力」が足りないということだ。

人は、常に、感覚的に相手の気持ちを察しなければならない。
これをしたら、相手はどう思うか。
これを言ったら、相手はどう感じるか。
しかし、秩序を維持するなど、
どうしても言わなければならない場面では、
相手が傷つくであろう内容も、
心を鬼にして言わなければならないこともある。

指標は「筋」である。
法律も、道徳も、倫理も、すべては筋の論理である。
物事の道理をわきまえ、その道理を首尾一貫、貫く、
それが筋である。
よって、場面ごと、是々非々で対応することが求められる。

第一義が「筋」として、
その筋をどう通すか、そこに「人格」が現れる。
「人徳」がある人は、「アサ―ショナブル」
すなわち、相手の気持ちを尊重しつつ、自分の意見を率直に主張して、
より良い方向に事をまとめる。
他方、「人徳」がない人は、常に周囲との紛争が勃発する。
どこぞの首長選で、すい星のごとく現れ、
第2位の得票数を獲得した方を彷彿とする。

分をわきまえる、
恥を知る、
潔しを旨とする
長幼の序
礼に始まり、礼に終わる
責任を持つ
そして、「ならぬことはならぬものです。」

日本人は、DNAのどこかに、武士道の精神を受け継いでいる。
この精神に則った生活をしていると、心が落ち着き、
反する生活をしていると、心がざわつく。

武士道の潔い精神を誇りながら、
恥の文化を実践していきたい。

これぐれも、命を賭しての告発を無駄にしてはならない。

魚離れの中…「魚の陸上養殖」増加、なぜ? 事業者数は10年で倍以上に増加

魚離れの中…「魚の陸上養殖」増加、なぜ? 事業者数は10年で倍以上に増加(BSS山陰放送)

さながら、魚の工場だ。
量も価格も「安定供給」できることは、強みだと思う。
当初養殖は、使われる餌が、どのようなものなのか
懸念されていたこともあったが、
今は、養殖物が多くのシェアを占めている。

養殖物は、天然物でない配合飼料を使うことになるのだが、
それを言ったら、肉も野菜も同様だ。
全くないと言えばうそになるが、
抵抗感のハードルは低くなってきている。
むしろ、ベストな配合で、ベストな肉質になるのだろう。

魚の養殖と言えば、近大(近畿大学)の名が思い浮かぶ。
8年ほど前、同大学が手掛けた、ナマズのかば焼きがヒットした。
その後、近大マグロ、近代ウナギが開発されているという。
ウナギの代用品がナマズだったのだから、
近大ウナギが安価になれば、ナマズはお役御免かもしれない。

過日、東京駅の構内にある、
近大食堂の
「近畿大学水産研究所 はなれ グランスタ東京店」
に立ち寄った。
ここの食堂では、
近大育ちの養殖魚がメニューに並ぶ。

しかも、ランチ(バラチラシ)なのに2,000円からと、
結構値段も一流である。

しかし養殖魚は、新鮮、
どれもプリプリで歯ごたえがしっかりして美味かった。

今後は、陸上養殖の魚もここに加わっていくのかもしれない。
時代はどんどん変化する。

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乾いた銃声が響きしゃがみ込むトランプ氏、立ち上がり右耳とほほに鮮血…取材中の記者が遭遇

乾いた銃声が響きしゃがみ込むトランプ氏、立ち上がり右耳とほほに鮮血…取材中の記者が遭遇(読売新聞オンライン)

銃の国の、大統領選挙の前哨戦で、トランプ氏が狙撃された。
2年前の元安倍総理の事件が彷彿とされた。
方や、銃の使用が一定条件化で認められた国、
他方、銃の使用が禁止されていた国での暗殺事件。

銃規制の有無にはそれほど関係なく、
犯罪を起こす人の思い入れの強さと、
偶然により事件は防ぐことができないのかもしれない。

ターゲットとなった人物については、
明かに、「運」、「不運」が、生存を分ける。
右耳が貫通したトランプ氏は、
ほんの少し、銃弾の軌跡がずれていれば、
その時、命を落としていたかもしれない。
こうした観点に立てば、
単なる「運」、「不運」の問題でしかない。

それにしてもトランプ氏は絵になる。
こうした、生死を決する境目にあっても、
銃弾が貫通した耳は半端なく痛いだろうに、
何度も何度も、大きくこぶしを突き上げて、
強い自分を誇示する。

映像で、このショットを目の当たりにした国民は、
トランプ氏からの強いメッセージを受け取ったに違いない。
狙撃により、耳を貫通されたにもかかわらず、
複数のSPに体を支えられながら、それでも
何度もこぶしを振り上げる映像は、
不屈の精神、強いアメリカの象徴
脳裏から離れない。

他方、ヨタヨタと、演説の場所に到達し、
重要人物の名前を言い誤る候補者とは、明らかに一線を画すに違いない。

その実像は別として、
不死身の男、力強さ、頼れる指導者としてのトランプ氏、
今回の狙撃は期せずして、このイメージが鮮明になった出来事と思える。
突飛のアクシデントにも動じないトランプ氏の意志は、
政治にそれほど関心がない、浮遊層を確実に取り込んだ。

今回の、トランプ氏の命がけのメッセージが、
この国の行く末を、世界の行く末を
形作った瞬間だったように思えてならない。

「孤独死が発生しています」憧れだったマンション群でまさかの掲示 都心の一等地なのに超高齢社会…日本の未来の縮図で起きた悲しい現実

「孤独死が発生しています」憧れだったマンション群でまさかの掲示 都心の一等地なのに超高齢社会…日本の未来の縮図で起きた悲しい現実(47NEWS)

超高齢化社会の「現実」は他人ごとではない。
気持ちはいつまでも青春だが、体が利かなくなる。
物忘れはひどくなる。
しわの中に顔が埋まる。しみが増える。
口を突くのは愚痴ばかり。
インターネットやスマホがうまく使えない。
テレビのニュースでは、横文字が多くて理解できない。
物価の上昇に年金額の上昇が追いつかず、
楽しみをあきらめて必要最低限の出費に抑える。
社会の変化についていけない年寄りは、間違いなく取り残される。

たまに、一人でファミレスに入っても、
タブレット式のオーダーのやり方が分からず、
若い店員の手を煩わすのが申し訳なく感じる。
料理を運んでくるのはロボットだし、会計も機会を介しての自動だ。
人と会話することがなくなると、
会話を忘れてしまう、言葉を忘れてしまうようで怖い。

若かりし頃、相当な倍率をかいくぐって権利を獲得した団地の入居も、
いまは昔、独居老人の終の棲家だ。
孤独死は、他人ごとではない。
独立した子供たちは寄り付かない、
買い物もゴミ出しもままならない。

高度経済の成長期に尽力した団塊の世代が
このような寂しい老後を送っていいのだろうか?
こんな老後は、誰だってごめんだ。

要は、生き甲斐、生きる目標設定が必要だ。
強制的に働かされるのではなく、
人の役に立つ働き方をしたいとする
承認欲求が充足できる生き方の多様性。

年齢を重ねることに、体力の衰えは抗うことはできないが、
残存能力をフル活用して、
いくつになっても、長年の経験を生かして、
社会の役に立つことをすることは可能だ…とのスタンスが重要。

シニアの自尊心を尊重しながら、
労働生産人口の減少を補完すべく
健康で、生涯現役の実現がしやすい社会の構築を望む。