パリ五輪開会式、橋の上で「パリコレ」 「かっこよすぎ」と称賛の声(毎日新聞)
いよいよパリ五輪が開幕した。
コロナで延期した東京大会から3年、
アスリートたちは、短いスパンでも、
最善のコンディションを心がけただろう。
ギャラリーは、我が国が誇る世界水準のアスリートの活躍に、
寝不足の日々が続く。
それにしても、開会式の当日、
フランス高速鉄道TGV設備の放火には肝を冷やした。
せめてスポーツの祭典は、平和に行ってほしい。
スポーツマンシップにのっとって、正々堂々と戦える環境を整えたい。
オリンピックは、政治とは関係ないと言いつつも、
歴史は異なる色を見せていた。
象徴的な1936年ベルリンオリンピックは、
1936年8月1日から8月16日まで、ドイツのベルリンで行われた。
このオリンピックは、
「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」
と位置づけ、ヒトラーのプロパガンダに利用された。
この大会の開会式や閉会式で利用されたサーチライトは、
その数年後に勃発した第二次世界大戦では、
敵機を照らし出し撃墜するために使われたというから
皮肉にもほどがある。
同じくドイツのミュンヘンオリンピックは、
1972年8月26日から9月11日にかけて開催されていた。
このオリンピックの最中、
1972年9月5日、選手村において
パレスチナ武装組織「黒い九月」によりテロ事件があった。
イスラエルのアスリート11名が殺害されたというもの。
これを受けて、
イスラエルではオリンピックの中止を求めるデモも起きたが、
反ユダヤ的言動で知られた
アベリー・ブランデージIOC会長の命令により、続行が指示された。
9月6日午前10時からオリンピック・スタジアムで8万人の観衆を集めて、
イスラエル選手団の追悼式が行われた。
同日午後4時50分、オリンピックは34時間ぶりに再開された…という。
再開された競技に出場した選手らは、どのような気持ちで試合に臨んだのだろうか。
元凶は、テロを起こした武装組織であることに間違いはないが、
IOC会長の命令は、正しかったのか、間違っていたのか。
選手の立場、イスラエルの立場、大会運営者の立場、
様々な角度から考えると、何が正解だったか人知を超える。
それにしても、どちらの出来事も、開催地がドイツであったというのは偶然の一致か。
スポーツの祭典が悪用され、
犠牲者を出してはならないことは自明の理だ。
しかし、きれいごとだけでは済まされない側面がある。
今も、現実の問題として、戦火の渦中にある国もある。
難民問題も然りだ。
それは、それ。これは、これ。
別の話として、オリンピックを開催することはどうなのだろうか。
オリンピックを目指し、
ひたすら努力を重ねた選手が出場できないのは気の毒だ。
しかし、国民の多くが、
いわれのない命の危険にさらされている現状のままで、
オリンピックどころではない国もある。
理想と現実の乖離を、どう埋めていかなければならないのか。
私たちには、今なお、ミュンヘンオリンピックの時と同様のジレンマにある。
フランス高速鉄道TGV設備の放火は、組織的な犯行と報道された。
祭典の期間中、これ以上の大きな事件がなければよい
…と危惧するのは私だけだろうか。