『全ての人事権を持つ知事』が「懲戒処分決定は誤った権限執行」と吉村氏 「自分の道は自分で」と斎藤知事

『全ての人事権を持つ知事』が「懲戒処分決定は誤った権限執行」と吉村氏 「自分の道は自分で」と斎藤知事(関西テレビ)

斎藤知事、この方はハガネのメンタルの持ち主だ。
知事不適格との烙印を押されたにもかかわらず、
未だ「自分の道は自分で」と、辞職を固持。
四面楚歌の百条委員会でも、その後のぶら下がりでも、
ふだん通りの表情で、淡々と語ることができるのはある意味凄い。

ただし、政治家としての資質は…と問われれば、
大きな疑問が残る。
公職に就く者は、自身の一存で去就は決められない。
「自分の道は自分で」というわけにはいかない。
世論に後押しされて、公職に就いたのならば、
去る時も世論に従わなければならない。

残念ながら、明らかになる事実から、大義はない。
よって、辞めるタイミングも、
政を司る人間は、敏感にキャッチしなければならない。

反対に、4月の衆院東京15区補欠選挙で
国民民主党の公認候補に一時内定し、
その後に取り消された女性が今月4日、
自死された報道がある。

まだ27歳という若さだった彼女に、
斎藤知事のハガネの心があったらと、残念で仕方がない。
「あかんかったらクビに」
そう、その考え方が正解だ。

とりあえずやってみたらいい。
ダメだったらやり直せばいい。
不屈の精神で、公に奉仕する精神。
これがなければ政治家ではない。

東京23区“火葬料金”なぜ高い?前明石市長・泉房穂「寡占状態の解決に行政指導が必要」“死”で儲けるのはダメなのか?

東京23区“火葬料金”なぜ高い?前明石市長・泉房穂「寡占状態の解決に行政指導が必要」“死”で儲けるのはダメなのか?(ABEMA TIMES)

誰もが、いつかのタイミングで終焉を迎える。
その時は、静かに厳かでありたいと願う。

葬儀を生業とする人がいる。
一昔前も流行った映画に「おくりびと」があるが、
この業界で金儲けをすることの是非はナーバスな問題だ。

人の不幸は金になる。
医師は、崇高な職業だが、患者の苦しみのうえに成り立つ。
弁護士は、知的職業だが、トラブルに苦しむ人の、禍を奇貨として成り立つ。
僧侶は、博学で檀家の心を癒すが、死を媒介しての業だ。

よって、納棺師や葬儀屋も、なかなか人がしない仕事をするのだから、
それなりの報酬は当然だと思う。

何の職業でもそうだが、費用対効果において、
良識的な価格設定が求められる。
盛大な葬儀を望む人にはそれなりに、
ごく内輪で簡単に済ます人にもそれなりに、
実費プラス人件費に、色を少々といったところか。

同じ葬儀費用で、地域格差の多寡はいただけない。
東京都などは、財政に余裕があるのだから、
地域格差を是正するための補助金を考えたらいい。

鬼籍に入れば、世俗の心配はなくなる。
しかし、「地獄の沙汰も金次第」では、そうとも言い切れない。
残された遺族の、金銭的負担も気にかけなければならないのでは、
おちおち死ねない。

生きとし生けるもの、誰もが世話になる、あちらの世界では、
金の心配はなく、欲もなく、せめて心安らかなものでありたい。

車いすテニス小田凱人 シングルスで初の金メダル!世界1位撃破し史上最年少での快挙達成

車いすテニス小田凱人 シングルスで初の金メダル!世界1位撃破し史上最年少での快挙達成【パリパラリンピック】(TBS NEWS)

おめでとう。
心から拍手を送りたい。
とてもティーンエイジャーとは思えない風格。
オーバーアクションでも、極めて自然である。
様になっている。

彼は自身が述べるように、
チャンピオンになるべくして生まれてきた人のようだ。

9歳で、病気から車いすを余儀なくされても、
その時、国枝氏から受けた感銘を、今度は自身が与える方になると宣言して、
名前にちなんだ、凱旋門があるパリでその役割を果たした。

絵になる人だ。
有言実行。実に爽やかである。

私たちは、彼の華やかな姿しか見ていない。
しかしその陰で、18歳の彼にどれだけの努力と葛藤があったことか。
不屈の精神は、とりあえず結実した。

若い力に盛大な拍手を。
これから、ますますの活躍に期待する。

散歩

足が衰えると、転びやすくなる。
気持ちはいつまでも万年青年だが、
執筆だけしていると、確実に足の筋肉は衰える。

そこで、一念発起。
朝、起きたら近所を散歩することにした。
居所を構えてから40年以上になるが、
自宅と事務所の往復で、ほとんど近所を知らない。

目と鼻の先の公園に隣接する神社は、周囲より少し高いところに位置し、
うっそうとした木々に囲まれている。
朝、そこを散策すると、同年代のシニアが歩いている。

面識はないが、自然とあいさつが口を出る。
「おはようございます」
から始まって、ひとしきり身の上話が始まる。

出身地から始まり、健康の話、子供の話、
健康づくりだけでなく、
心の安寧もかねての散歩であることが見て取れる。
別に難しい話をする必要はない。

それにしても、皆健脚だ。
背筋がピンとして、歩調が速い。
とても、80歳を超えているように見えない。
70代の私もまだまだ負けてはいられない。

長寿であっても、健康年齢が若くなければあり難くない。

さて、神社は、丘の上に、それなりの社があり、
周囲に「浅間神社」の石碑。
そして、もう一つ、小さな祠があるが、
全面には「河野」のシールが貼ってある。
だれが何のために貼ったのか知る由もないが、
親近感を覚える。

この3つを前にして、それぞれに「二礼二拍手一礼」をするのだが、
そこにはいつも掃除をしている女性がいる。
高ぼうきを器用に操り、参道を掃き清めていく。
その後には、箒の筋が規則正しく刻まれている。

神社の参道のみならず、
円周700メートルほどの公園の歩道まで掃いていくのだという。
雨の日以外は、毎日掃除するそうだ。
軽く2時間はかかるのではなかろうか。
私には、とてもまねできない。心底リスペクトである。

年齢を重ねると、労働からの解放は毎日。
「サンデー毎日」だから、ルーティンワークになるものが必要になる。
ダラダラ過ごしていては、老いも早い。
自分のためにすることが、周囲の役にも立つ。
シニアには、人に感謝される、このような過ごし方が理想である。

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三菱UFJ銀行、初の「昼休業」 効率化で福岡・長崎の計3店(共同通信)

三菱UFJ銀行、初の「昼休業」 効率化で福岡・長崎の計3店(共同通信)

40年ほど前、銀行は花形の職場だった。
今でも、メガバンク、有名大学出身者の本店採用は、
花形と言える。

当時、婚姻前の若い女性は、
学校を出るとこぞって、銀行の制服に身を包み、
にこやかに店頭で接客をしていた。

25歳にもなると、今は死語となった寿退職をし、
家庭に入るのが一般的だった。
銀行は堅い職業だから、お見合いするときにも格付けが上がった。
そんな時代だった。

今、銀行の窓口から、若い女性が減った。
一度寿退職をし、子育てに一段落したパート職員が多いのであろう。

そればかりか、ネットバンクの普及で、支店の統合が激しい。
三菱UFJ銀行の最寄支店は、3年ほど前、
電車で30分ほどのところへ統合された。

千葉銀行はコロナ禍から、消毒を理由に、
従業員の昼休みと称して、店舗を閉めてしまうことが定着している。
これまで、昼休みに使用を済ませていた人は、
有給休暇をとって用事をしなければならなくなった。
それが嫌なら、ネットを使えということだろう。

メガバンクでも、昼休みが始まったということは、
日本全国津々浦々、そうした対応がいきわたっていくのだろう。

パソコンができないシニアは銀行難民になる。
新幹線の切符も買えない、ホテルも予約できない、読みたい本が買えない、銀行から金もおろせない…何もできない。

客にやさしくない社会化に、どんどんシフトしている。

オンライン診療

オンライン診療

風邪を引いた。なかなかよくならない。
そこで、近所の診療機関を受診しようとした。
地域性があるのかわからないが、
思い立った木曜日は、周囲の内科は休診が多い。
やっと見つけた病院を予約しようとした。

そうしたところ、風邪・発熱の場合は、オンライン診療しかないという。
はて…苦手なITだ。
しかし、市販の薬では完治しないのだから、
思い立ったが吉日。

試してみるしかない。

めんどうな工程がいくつもあるようだ。
周囲にパソコンができる人がいないと、シニアはお手上げだ。
健康保険証のコピー、
クレジットカード情報の入力、
お薬手帳の入力、
スキャンして貼り付け、
キーボードでの入力、
カメラ・マイクの動作テスト…
これを私にしろと言う方が無理だ。

近い将来、
これができないと生きていけない世の中になりそうだ。

しかし緊急の場合、どこまで患者の状況を判断できるのだろうか。
非常に疑問だ。

「新幹線ホテル」宿泊・10時間弱かけ品川から東京へ”不思議な移動”…台風10号で東海道新幹線が突然の運休 名古屋から大勢の立ち乗り客も

「新幹線ホテル」宿泊・10時間弱かけ品川から東京へ”不思議な移動”…台風10号で東海道新幹線が突然の運休 名古屋から大勢の立ち乗り客も

台風は、まだその余波を残している。
地球温暖化の影響は、様々なところにあらわれ、
厳重な警戒したところで、私たちには為すすべもない。
やらないよりはしたほうがまし…といった感がある。
長雨、突風、竜巻、家屋の浸水、川の氾濫、線状降水帯、
停電、土砂崩れ、農作物への被害、観光客の宿泊キャンセル、
そして、新幹線の計画運休。

日常生活が混乱しすぎだ。
ニュース番組では、
東海道新幹線が運休しているため、
北陸経由で名古屋から、
東京に移動する人の話題がされていた。
時間も、費用も想像を絶する。

こうした事象が頻繁に起きたとしたら、
これまで通りに経済は回っていかないし、
仕事の仕方も変えていかなければならなくなる。

長引く台風でこれだけの混乱である。
これに、大地震や、富士山の噴火といったら
どうなってしまうのだろうか。

また、フィリピンのあたりで台風が発生しそうだ。
今回は、日本列島に近づかないでほしい。

斎藤知事と部下たちの隔たりにみるパワハラ疑惑の現在地 「合理的な指導」と「理不尽な叱責」

斎藤知事と部下たちの隔たりにみるパワハラ疑惑の現在地 「合理的な指導」と「理不尽な叱責」(産経新聞)

知事のパワハラを含む不祥事を暴露し、
懲戒処分され、公憤の自死をした県幹部職員の件。
それ以前に、もう一人、
知事の命を完全履行することができず、
メンタルで自死した県職員の件。

100条委員会は、この真相を明らかにすべく、
証人尋問は公開で行われた。

新たな証言がされるものと期待しされていたが、
斎藤知事は、あくまで、自己の正当性を主張する。
対象案件につき、 知事は「合理的な指導」、
職員は「理不尽な叱責」と捉えていることが分かる。

当事者の主張は主張であり、
委員会は、双方の主張を聞き、最終的な判断をしなければならない。

その際、指標となるのが
厚生労働省が示しているパワハラの指針だ。
それによると、
①優越的な関係を背景とした言動で
②業務上必要な範囲を超え
③労働者の就業環境が害されている
という、3要件すべてを満たす必要があるとされる。

知事と職員の関係において、①は充足するため、
②③について、個別具体的な判断を加えることになる。

2人の人間が、命を落としていることは客観的な事実である。
それが、知事が述べるように、
「合理的な指導」だったのか。
その目的が、業務を遂行するためのものだったのか、
手段として相当だったのか…

そうした観点から、今後、分彫りして、
解決が図られていくものと推察する。

遺族にとって、この百条委員会は、
は歯がゆいセレモニーであることは間違いない。
早期解決を求む。

「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」…遊び心たっぷりの印象的なネーミング、福岡発のユニークな名前の「産業機械」が売れまくる背景

「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」…遊び心たっぷりの印象的なネーミング、福岡発のユニークな名前の「産業機械」が売れまくる背景

思わず目を引く記事だ。
ネーミングもさることながら、三代目社長のスタンスだ。
もともと会社を継ぐ気はなかったものの、
「今は会社が好きで、ここで働くことが楽しくてたまらない。
動けば動くほど結果が出て、やりがいがある」という。

これぞ、仕事の醍醐味だ。

「お客様のためのものづくり」を徹底し、
顧客に潜む心の声を拾うために、
同社では「ボヤキズム」と呼ぶ独特な戦略を掲げる。

なるほど。客のニーズを商品に生かす。
客が欲しいものを売っているのだから、売れるわけだ。

「環境や人のせいにせず、自分ができることをとことんやりたい。
僕は歯車のひとつとして、
会社がうまく回るように社員とコミュニケーションを取るように心がけている」
社長の、300人近い社員への心遣いは細やかであり、
全社員の顔と名前を覚えていて、社内で会えば声をかけるという。

アメリカ法人のスタッフには、全員に手書きでクリスマスカードを書き、
スターバックスのチケットと共に送るのも毎年恒例だという。
ミャンマーやカンボジアから来た技能実習生たちには
「嫌がらせ」と照れを隠して、
カップラーメンやビールを大量に差し入れしているという。
海外の人にも、義理と人情は通じるようだ。

こうしたスタンスは、昭和の家族経営のにおいがする。
会社は、居心地のいい家。
自分が必要とされている社会的欲求の充足。
機械化とは真逆の、ノスタルジアを感じる。
一体感は、社員の帰属意識を強める。

さて、今、私はハラスメントの調査委員会に出席した際の、
意見書を取りまとめている。
労働者は、個々それぞれ自分のフィールドを持っており、
時として価値観がぶつかる。
それは、職制を超えて、人間の尊厳の部分でのことである。
社風とあきらめ、生活の糧を得るための辛抱と我慢していても、
それが恒常化すると、何かの拍子でやるかたなかった憤懣が爆発するものだ。

今回、それが「ハラスメントの申し立て」の形でハラスメント委員会の俎上に上った。

事実をどう受けとめるべきか。
上位の地位にある者が、自身の行為を棚に上げ、
「パートの分際で…」と、怒りをあらわにし、
ハラスメント委員会の批判に終始すれば、
その先の、魅力的な職場への改善の道は断たれる。
せっかくの委員会が機能しない。

会社には、「ボヤキズム」を吸いあげる勇気が必要だ。
主張が全面的に採択されるかは別問題として、
事案に誠実に向き合い、一緒に考えるというスタンスが大切。

労働者に対する「飴」と「鞭」の使いわけは難しい。
しかし、社員のモチベーションを高めることは、
会社の健全な運営を維持し、
業績アップにつながることもまた事実である。

個のプライドも大切だが、それを超えて、
会社として、社員が同じ目標に向けて、
意識を集中させるリーダーの手腕が求められる。

義理と人情、ユニークなネーミング、ボヤキズム……
前述した会社の、独自戦略でわが道を突き進むリーダーの手腕は大いに参考になる。

「このままだと妻を殺してしまいかねない…」夫婦で同時期に育児うつに陥った男性が語る父親の育児うつへの対処法「男友達に相談という発想もなかったからこそ…」

「このままだと妻を殺してしまいかねない…」夫婦で同時期に育児うつに陥った男性が語る父親の育児うつへの対処法「男友達に相談という発想もなかったからこそ…」(集英社オンライン)

産後鬱は、女性特有のもので無かったことを初めて理解した。
私たちの世代は、「子育ては女性がするもの」、
「男子厨房に入るべからず」が当然の時代であり、
誰しも、それなりに気持ちと時間の折り合いをつけて、
なんとなくうまくやった時代だ。

当時、親との同居で嫁姑問題など、別の気苦労があったとは思うが、
子供たちの数は多く、戦後の混乱期で裕福ではないにしても、
家族も、ご近所も、互いに助けながら生活がうまく回っていたように思う。

今、核家族で頭でっかちな子育てをするケースが多いため、
問題を内に抱え込んでしまうのではないかと思う。
昔は、兄弟の子供を、また親戚の子供の面倒を見る機会があり、
自身の子供が、初めての子育てというケースは稀だった。

野生動物の特集番組でも、前年に生まれた子供が群れに残り、
今年生まれた兄弟の子育てをサポートするといったシーンが数多くある。
子供は、親や群れのメンバーから愛情を注がれ、
狩りを覚え、育児を体験する。
1人で生きていくための、ベースとなる知識は、
親離れするまでには一通り学習する。
同じ動物のはずだが、
野生で機能している世代間の伝達が、
人間界で希薄になっている。

私たちがしていた頃の子育ては、
親世代が、なるべく自分と同じ苦労を味遭わぬようにと、
先回りして子供の苦難を回避してきた世代だ。

その子が親になって、自分の子供を育てる。
はて、苦難を回避してもらった世代は、
目の前の苦難をどう回避していいのか困惑する。

よって、問題解決能力が乏しいかもしれない。
職場においても、すぐに「メンタル」で片づけようとするきらいがある。
根性を感じない若者が多い。

いずれにしても子育ては、親の思い通りにいかない。
人生の縮図でもある。
それまで、自身の予定を自身で完結してきた生活が、
小さくか弱い生き物に、時間を支配される生活に一変する。
周囲に頼れる人がいれば、気持ちの負担は軽くなるが、
自分だけで何とかしようとすればするほど、負のスパイラルにはまる。

これも、人間としての成長の過程であると割り切れればよい。
思い通りにいかない人生を子育てから学ぶ。
子供は、親のサポートで成長するが、
親は、子供の誕生によって、親業に携わることができる。
親にさせてもらうのだ。
よって、第一子の年齢と親年齢は同い年である。

社会は、ようやく男性の育児休業が充実してきた。
子育ては、子供を中心として夫婦で楽しむべきものだ。
せっかくの機会を苦痛にしないよう、
親は学習を、周囲はサポートを、
子育てが楽しめる環境を作りつつ、新しい命を迎えてほしい。

引っ越し大手サカイに残業代請求 社員ら提訴 「出来高制悪用」訴え

引っ越し大手サカイに残業代請求 社員ら提訴 「出来高制悪用」訴え (毎日新聞)

このような記事が出るたびに、労務管理の大切さを再認識する。
「賃金は可能な限り安く抑えたい」、
VS.
「賃金は可能な限り多く得たい」…の攻防だ。
労使の永遠のテーマでもある。

しかし、今、労働者がなかなか確保できない事情を考えると、
良い人材を、いや100歩譲って、それほど良い人材でなくとも、
人を確保しておくことは、企業の大命題である。

少なくとも、制度を悪用しての労務管理は、
裁判を起こした特定の人に限定する処遇ではないはずである。
全体の労働者に対して当てはまる運用だ。

よって、誰かが口火を切れは、
僕も、私もになり、
ひいては、会社の健全な運営に支障をきたすことになる。

マスコミが、名の知れた会社の不祥事を大きく知りあげることで、
他の会社の間違った労務管理の運用に、
抑止力が働けばよいが、
その誘因をするのが、私達社労士でありたい。

書いてはいけない――日本経済墜落の真相

書いてはいけない――日本経済墜落の真相

ステージ4のがんを告知されたことを発表し、
今年の桜は見られないかもしれないと語っていた
「森永 卓郎」氏が、ますます精力的だ。

「書いてはいけない――日本経済墜落の真相」
氏の著書は、今、ベストセラーだ。
自身には、未来が長くないので、報復を恐れず書く…
旨のキャッチフレーズが心に刺さり、購入した。

表現の自由が保障されているはずだが、
実はそうではない事実が、またここで確信に変わった。

特に、日航123便の事件は、それが真実としたならば、
ショックでしかない。
誰もが、日常的に利用する航空機に潜んだ国策。
カテゴリーは異なれど、構図はすべて同じである。
他人ごとではない。
最大多数の最大幸福などと言っていていいのか。
殺人をすれば、犯人は殺人者だ。
戦争で、敵国の兵士を大量に殺せば英雄だ。

国とは何か、そこに住まう人の生活とは何か、
人権とは、国益とは…。
様々な疑問が入り乱れ、状況に整理がつかない。

まずは、事実を知るところから始めなければならない。
客観的な証拠を積み重ねることで、闇に埋もれる真実に、
光を当てなければならない。

個人がするその検証は、並大抵の努力ではできない。
何としてでも、真実を突き止めたいとする、強固な信念に基づく。
脱帽である。
著者は、命の危険はなかったのだろうか。

ちなみに、森永卓郎氏の同書は、
読者の注意喚起を促すメルクマールだ。
その先、危機感をもって、国民がいかに探求するか、
その導入書である。
(私は早速、同書で紹介されていた書籍を3冊注文した。)

国家の仕組みを知ってどうすることができるのか。
しかし、それは次の課題であり、
世の中の仕組みは、知らないより知っていた方が良い。

「19浪で九州大学に合格」。共通一次とセンター試験受け続けて20年、心病まずに挑戦し続けられた理由。

「19浪で九州大学に合格」。共通一次とセンター試験受け続けて20年、心病まずに挑戦し続けられた理由。(東洋経済オンライン)

勉強は何のためにするのか。
もちろん自分のためにするものである。
大学に入るために、その手段として用いるのは頷けない。

人は、赤子で生まれてきて、
一人前の大人になるよう学習し続ける。

その、「一人前の大人」とは、何をして評価するか。

通常、精神的自立と、経済的自立が指標になる。
いずれかを親に依存している場合、
社会は、自立と評価しない。

さて、この方の場合、「一念岩をも通す」で
大学入学を成就させたことは立派なことである。
しかし、一般論として、
親御さんの気持ちを想うと素直に喜べない。

本人がその人生で納得しているならば、幸せならば、
周囲がとやかく言うことはない。
大学入学が目的ではなく、
その結果に至るまでの経験が、その後の人生に役立っているのであれば、
遅咲きのスタートであり、選択を尊重すべきだ。
とはいうものの、ライフスタイルには許容の範囲がある。
生業をもってなお、経済的自立を果たしてから、勉学に勤しむ方法もある。

いずれにしても人生に無駄なことはない。
そこに落ちているものを拾いながら肥やしにする。
反省はしても、後悔することがない人生にしたい。

考える人

25年ほど前になろうか。
全国青年社会保険労務士連絡協議会で訪れたことがある美術館を、
思うところあって再び訪ねた。

その美術館は、「ロダン」のコーナーがある。
「考える人」、「地獄の門」などが展示されている。
3階ほどはある、吹き抜けの天井に、
ロダンの複製彫刻が数多く並べられている。
声を出すと、反響する。
クリーム色と、ブロンズのコントラストが落ち着いている。

何気なしに見てしまうとスルーする作品が、
心静かに眺めていると語り掛け、
肉迫してくるではないか。

人生の多面性が凝縮されている。
煩悩を捨て、すべてを昇華すると、地獄の門が開くのだろう。

人は死ぬまで思考を重ねる。
考えて考えて、よりよい生き方を模索する。

「人間は考える葦」である。
頭は使うためにある。帽子の台にしておいてはもったいない。

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「生きた金」を使う。「節約」と、「吝嗇」は、異なる。

金に色はついていない。
どんな金も、金は金であり、その額面の価値がある。

会社の経営者と話す機会は多いが、
経営者は、異口同音に、経費の節減を望み、
費用対効果を念頭において経営活動をしている。

問題は、中身だ。
経費節減はよいが、
「節約」と、「吝嗇(りんしょく)」は、異なる。

「節約」は、無駄な支出を抑えることだ。
例えば、経営に活用していない雑誌の購読は控えて良い。
空調においては、冷暖房をしているのに、
扉を閉めていない、適切な温度で管理していない、
こうした状況の打開をすることが「節約」だ。

他方、「吝嗇」は、平易な言葉に置き換えれば、単なる「ケチ」である。
必要な部分にまで、出費を惜しむということだ。
例えば、身なりである。
洋服・持ち物は、士業者において芸能人のように華美にすることはない。
ベンツに乗って、腕時計はロレックスを見せびらかす必要はない。

ただし、ワイシャツの襟や、袖が、擦り切れるまで着てはいけない。
穴の開いた靴を履いてはならない。
まだ使えるかもしれないが、見た目は至って貧相である。
「物を大切に使っていますね。」にはならない。

経営は、ある程度、顧客に対して大きく見せなければならない。
身なりに気を使わないということは、
その仕事にも気を使わない金を使わない…と思われがちだ。

社会保険労務士は、知識の仕入れにどれだけ金をかけたか…
自身が習得した結果で顧客に示さなければならない。

勉強をしていなければ、法改正の知識は反映されないから古いまま。
判例研究をしなければ、時は勉強した時点で止まったままだから、
商品として役に立たない。

男尊女卑はそのまま、ハラスメントは労働者が甘受すべき、
パートは、雇用の調整弁…の労務管理で、誰が社労士を雇いますか?

今インターネットを見れば、法改正情報や、条文は無料でゲットすることができる。
しかし、判例は、なかなかそうはいかない。
最高裁の無料判例検索システムは、お粗末としか言いようがなく、
調べたい判例を見つけたことがない。

そこでどうする。

有料だが、判例検索システムのお世話になるしかない。
ものによっては、解釈も掲載されている。
こんなに重宝なものはない。

判例検索システムの導入は、法律に携わる者にとってイロハのイだ。
これを駆使できない者は、
また、経費削減のため必要ないと一刀両断に述べる者に、
法律隣接士業の名を語る資格はない。

金は、「生き金」として使わなければならない。
「節約」と、「吝嗇」は、異なる。