Posted on 2018年9月26日
by 河野順一
「新潮45」休刊 社員に説明はなし メールだけで通知(BuzzFeed Japan)
基本的に言論の自由は保障されている。
憲法で保障されている。
議論は、戦わせてよいのではないか。
編集者の考え方で、右に行くか左に行くか、
とりあえず、公序良俗に反することが無ければ、
(例えば、バカ、アホ、殺す、死ね、地獄に落とすなど、
一見して、不穏当な言葉が羅列がなければ)
主張するのは構わないのではないか。
その主張に対し、反論があるならば、意見を戦わせ、
成熟した社会を構築する一助となればいい。
その主張が正しくなければ、
客観的な理論をもって、反論書を世に送っても遅くないのではないか。
人権問題に対して、社会に一石を投じることも必要である。
いろいろな意見があっていい。表現の自由は保障されている。
不見識な意見は、社会の自浄作用で淘汰されていく。
むしろ、社会の情勢をうかがいながら、
忌憚なく意見を言えない社会になることが恐ろしい。
会社の方針として、雑誌の主張を撤回するも自由。
しかし、社会の批判に耐えられない主張ならば、
老舗出版社の看板を背負って出版してはならない。
今、ノアの箱舟のように、地球が滅亡するということを考えてみる。
宇宙船で、人類が地球に似た星に脱出を試みるが、
乗船できる定員は100名だ。
その100名の定員に、どのような人選をしなければならないのか。
人権は等しい。老若男女、誰でもが等しい人権を持つ。
しかし敢えて人選するならば、
金持ちか、優秀な頭脳の持ち主か、
それとも、身体能力が優れたアスリートか。
はたまた生殖が可能な年齢層か、子供とその保護者か。
仮定の上では、なかなか究極な判断はできないが、
その時代ごとに、価値観によって、選ばれし精鋭が変わってくるのかもしれない。
しかし、人類が生き延びるために、次の世代に種を伝承することは
最大の命題であることは確かなことなのではないだろうか。
そのようなことを、つらつら考えさせられる話題だった。
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