Posted on 2021年10月23日
by 河野順一
急に寒くなった。
皆さん、冬支度はもうお済だろうか?
衣替えだけではなく、
食べ物も温かいものが恋しい季節となった。
熱燗に、おでん、肉まん、と、タコ焼きもいい。
今日は、そのたこ焼きの話だ。
皆さんは、「ダブル・スタンダート」、二重の基準論という言葉をご存じだろうか。
この「ダブルスタンダード」は、憲法の考え方の一つである。
これは、個人の人権、特に「自由権」に着目して、
自由権を「精神的自由権」と「経済的自由権」に分け、
前者に対する国の制約については、
司法府が厳しい基準で審査し、
後者については若干緩やかな基準で審査するというものである。
つまり、前者においては、国の制約が認められにくく、
後者においては、国の制約が認められやすくなる。
ここで、簡単な例をあげる。
駅前で、たこ焼き屋であるAが屋台を出して営業しているとしよう。
そして、ここにはたこ焼き屋の他、
次回の選挙のために演説をしているBもいる。
そこに警察官がやってきて、
「公共の福祉のため、この場所を使用禁止とする。すぐ出ていくように」
とABを追い出した。
この場合、Aは職業選択の自由に制約を受け、
Bは表現の自由に制約を受けている。
どちらも、同じく憲法の保障する人権が警察によって
制限が加えられていることに変わりはない。
すなわち、警察の行為によって、
Aはたこ焼き屋を営業して利益を上げる権利が侵害されたことになる。
営業行為を自由に行うことは、
憲法22条1項の職業選択の自由から導かれる営業の自由であり、
経済的自由権の一つである。
これに対して、Bは選挙活動をすることができなくなってしまった。
これはまさしく選挙活動の自由を制約するものである。
選挙活動の自由は、自己の政治的意思を表明する行為で、
表現の自由(憲法21条)によって保障される。
表現の自由は精神的自由権の一つである。
さて、警察官の行為はこれらの権利自由を制約する行為であるが、
二重の基準によると、
たこ焼き屋の営業の自由への制約は認められやすく、
選挙候補者の選挙活動の自由への制約は認められにくいということになる。
例としてあげた表現の自由が大切とされるのは、
表現行為を規制された場合、
為政者を選択するための考慮材料に欠くことになると、
適正に選択できないことにより横暴な為政者が誕生し、
それにより重大な権利侵害を招くことになるからである。
また、言論の自由が確保されていなければ、
その体制を覆すための「選挙」の判断材料が欠き、
覆すのが至難となり、民主政を選択する我が国にとって
回復不能なダメージをもたらす結果となる。
そのため、表現行為などの精神的な自由については
特段の尊重を要するのである。
お分かりいただけただろうか?
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