児童書「こびとづかん」シリーズの長崎出版が破産(帝国データバンク)
記事の最後には、
「なお、『こびとづかん』シリーズの書籍出版は現在、他の出版会社が手がけている。」
とある。
「こびとづかん」にとっては迷惑な話であろう。
児童書「こびとづかん」シリーズの長崎出版が破産(帝国データバンク)
記事の最後には、
「なお、『こびとづかん』シリーズの書籍出版は現在、他の出版会社が手がけている。」
とある。
「こびとづかん」にとっては迷惑な話であろう。
風景写真の癒やし効果、予想以上 見るだけで疲れ軽減(朝日新聞)
仕事場に居ながらにして、大自然に囲まれている錯覚を楽しむのは、実におしゃれである。
大変な仕事をする時に、周囲の環境を少し演出するだけで、能率が変わってくるのだろう。
人間の脳は、騙されやすい、操作しやすいということだから、気持ちよく騙されるよう、工夫をして試してみるべきである。好きなものに囲まれていると、気分が高揚し、良い仕事が期待できるだろう。
大してカネもかからない、時間もかからない。
早速、自分のお気に入りの一枚を探してみよう。
元裁判員の請求棄却=ストレス賠償訴訟で判決―制度合憲と判断・福島地裁(時事通信)
裁判員制度が始まってから久しいが、私の周りで裁判員に選任された人の話を聞かない。しかし、選ばれたなら、馳せ参じなければならないのであるから、この話題はとても他人事とは思えない。職業裁判官でない人に、たとえ証拠であっても、配慮せずにすべて見せることが本当に妥当なのか?他にとるべき方法はなかったのか?
かくいう私も、出血や死体には極めて弱い。それが原因で、心筋梗塞や脳溢血になったらどうするのか?
判決は、「裁判員候補者には選任手続きでの辞退が認められており、精神的負担で発症した場合などには補償が受けられる制度もある」と指摘。単に、そうしたセーフティーネットの存在を理由として、裁判の証拠として遺体写真を見たこととASDの発症には、因果関係があると認めたものの、棄却というのであれば、今後「選任手続きでの辞退」する人が多数を占めるのではないか。そして、裁判員制度自体が立ちいかなくなることを懸念する。
まだまだ、この制度における課題も多そうだ。
カッパ:「危険 目撃情報が多数」看板、誰がなぜ?…大分(毎日新聞)
なかなか面白い看板である。
「ここにゴミ捨てるな!」「夜中に花火をして大騒ぎをするな!」
などと、直接的に禁止する文言を記載するのではなく、含みを持たせることで、注意喚起の効果が上がる。関西の地方都市だったと思うが、「ゴミ捨て禁止」の代わりに、「あんたがいらん物、わてかていらん」との立て看板があり、これも印象的だった。
同じことを注意喚起するにしても、ウイットは大切だ。要は、どれだけの周知効果があるかである。
しかし待てよ、河童の目撃情報は、もしかしたら本当かもしれない。
御嶽山の噴火とその被害の様子が次第に明らかになるにつれて、我々の心は暗く沈んで行く。
山紫水明の地、日本に住んでいることに感謝する一方で、
「自然の脅威」
この言葉を常に肝に銘じなければいけない事実も我々にまた重くのしかかる。
欧米で進化「けん玉」逆輸入 国内で人気再燃、製造追いつかず(産経新聞)
逆輸入で、「けん玉」がブームになるとは…日本人として、複雑な思いである。
私が子供の頃、毎日といっていいほどよく遊んだ「けん玉」。
日本の伝統、文化と言っても過言ではないこの玩具を、日本人が誇るのではなく、その良さに気付いた外国人が、独自にアレンジを加え、発信した。
それが、本家本元の我が国に逆輸入されたのである。
日本人は、自国の文化をもっと誇るべきである。
食も、住も、国技も、思想も、誇るべき素晴らしい文化が少なくない。
しかし、戦後、国家がそうした位置づけで子供たちに教育していなかったがために、なかなか若者がそれらと触れ合う機会に恵まれていないといえよう。
日本人は欧米人のように、もっと自国を愛し、尊重し、誇って良い。約70年前の敗戦も、歴史上の一出来事として正しく認識したうえで、国を誇り、伝統、文化を尊ぶべきである。
検索サイト「ヤフー」で、自分を検索してみた。
画像のタグをクリックしたところ、当ブログで掲載した写真が掲載されていた。そして、私の著書の数々、セミナーの様子を写したもの、私に関連する画像の類は納得である。
しかし、解せないのが、知らない人物と、猫の写真である。下位の方になると、私とは全く関係がない写真が掲載されているのである。どうせ関係のない写真が掲載されるならば、私が好きな、ライオンや、オオカミ、そして犬にしてもらえないだろうか?
自分の検索結果がこうであるから、おそらく人の検索結果も同じようなものなのだろう。つらつらと考えるものである。
御嶽山噴火 登山客「前兆はなかった。ここで死ぬのかと思った」(フジテレビ系(FNN) 9月27日(土)17時29分配信)
天気のよい土曜日、噴火は突然起こった。自然の裏の顔は、容赦なく人々を黙々と湧き上がる黒い噴煙に飲み込んでいった。予期せぬ出来事に、その場に居合わせた方はどんなに恐い思いをされただろうか。近時の自然の猛威には、万物の霊長も成す術はない。
災難に遭遇された方々には、心よりお見舞い申し上げたい。また、一人でも多くの方の、一刻も早いご帰還を待ち望むものである。
噴火が長引けば、周辺住民の生活も脅かされる。火山灰が降り積もる交通のインフラ面はもちろんのこと、微粒子が呼吸器系に入り込めば、重大な健康障害が心配だ。また、農作物への影響も不安材料である。自然の気まぐれであるがゆえ、一日も早く収束してくれることを願うばかりである。
老人ホームならぬ、「老犬ホーム」の需要が高まっているという。
犬も人間同様、栄養が良く、居住空間が整い、かつ、医療のサービスも拡充してきたことから、高齢化が進んでいるという。寿命が延びるということは、病気になり、介護が必要となるリスクも高まるということである。
家族同様に過ごしてきた愛犬の老後を、家庭で見たいという気持ちはやまやまだが、人間が張り付いた状態で介護しなければならないとなると、なかなかそうもいかない。そこで、人間の場合同様、犬も介護施設に預けたり、デイサービスが重宝がられる。飼い主の人間は、24時間の犬の介護の状態から解放される。一昔前は、考えもつかなかったサービスである。
商売は、あきない。「空き」がないか、模索していくことである。今後のビジネスターゲットは、比較的貯蓄率が高い層へのアプローチとなる。
そこで、人間も、犬も、安定した顧客のニーズが望める、高齢ビジネスが熱い。代々木ゼミナール斜陽の報を聞いたりすると、ますますそうした思いに確信を持つのである。
「ユーグレナ」とは何ぞや?
和名を「ミドリムシ」という。粉末にしたミドリムシを食品に加工することで、有効成分を体に取り込むことができるという。
「虫」というと気味が悪いが、「藻」といえば、抵抗が減る。
つまり、ワカメや、昆布に類似する生命体と考えればよいということらしい。
ふれこみによれば、「植物のように光合成を行うだけでなく、動物のように細胞を変形させて移動する珍しい藻類。植物と動物の両方の性質と、59種類の栄養素を豊富、かつバランスよく含んでいることから、“未来の食材”として注目されている。」らしい。
これで国民が健康になり、医療費が抑制されればよい。
が、うまくいくだろうか?
かつての、紅茶キノコや、カスピ海ヨーグルト・・・あれらは、どこに行ったのだろう・・・
健康食品の栄枯盛衰を調べてみると面白いかもしれない。
今場所快進撃を続けている逸ノ城がついに金星である。
新入幕で横綱と対戦すること自体が稀有なことなのに金星とは…スケールが大きすぎる話である。
白鵬に土が付いたため、1敗で賜杯争いでも並んだ。
まるでシナリオでもあるかのような展開だが、大相撲にシナリオがあるのなら、とっくに待望の日本人横綱を誕生させていることだろう。
モンゴル勢の活躍ばかりで寂しい面もあるが、とりあえずそれはさておいて、明日の白鵬戦で逸ノ城がどのような相撲を見せてくれるか注目したい。
北極海:今夏の海氷面積は過去6番目の小ささ(毎日新聞)
地球規模で、気候の歯車が狂ってきている。
結果の予測ができれば、回避措置を講じればよいのであるが、各国の既得権との絡みで、なかなか効果的な対策がとられてこなかった。
このことが、地球規模の気候を狂わす大きな一因になったといえるかもしれない。
地球や自然は気まぐれである。今後どうなっていくのか、人類にとっては不安材料の一つである。
だから、宇宙開発に活路を見い出そうとする立場も理解できる。
ところで、星の一生からすれば、人類のこれまでの営みは日が浅い。
地球誕生から現在までの46億年の歴史を1年365日のカレンダーで表したとき、ようやく大晦日12月31日、午前10時40分、類人猿から分かれた最初の猿人であるトゥーマイ猿人が登場し、 午後11時37分、現生人類(新人=ホモ・サピエンス)誕生したと紹介している参考文献がある。
さらに、個人の一生となれば、ほんの一瞬である。
大晦日の午前中に出現した人類が、それ以前の長い地球の歴史を安易に崩壊させてはいけない。
温暖化の元凶は人類のせいではなく、自然界における周期的なものである、との説もあるが、いずれにしても、人類が存続できる余地を残しつつ、科学の進歩に利便性を追求したいものである。
海氷面積が少なくなれば、溶けた水のせいで海の水位が上昇する。
海水が上昇することで、陸地の面積が減少する。陸地の面積が減れば、食物を栽培する耕地が減り、また、居住地も少なくなる。その結果、土地と、食べ物を巡って、近隣諸国との紛争が激化する・・・。
地球温暖化の先をシュミレートしていくと、なかなか明るい展望が開けない。
しかしながら、少なくとも子供たちには、より良い形で地球をバトンタッチしていきたいものである。
写真の男性は誇らしげである。
何年かけて、あの長さになったのだろうか?食事の際はどうしているのだろうか、手入れはどうするのだろうか、就寝の際は、様々な疑問が湧く。通常の生活を送るのに、不便であることは容易に察しがつく。
しかし、写真の男性は至って誇らしげである。少々の不便さは、「世界一」の冠の前に、それほどの意味を持たないのであろう。人の一生は、個人のアイデンティティーによるところが大きい。
何でもよい。どんなに小さなことでも良い。人に誇れる世界一があることは、幸せなことだと思う。
秋の味覚と言えばサンマである。
このサンマを以前紹介したことのある「ヨーロピアンダイニングBitte」にて意外な料理で供しているという。
事務所のベテラン職員が
「所長、是非試してみてください!」
と、あまりにも絶賛するので、永田町界隈に出かけたついでに私もBitteに足を運んでみることとした。
店内で待つことしばし…
サンマである。
見事なほどのサンマである。
もはやサンマという他はない。
いや、他にも言うべきことはたくさんあるが、
一言で言えば、この「まるごとサンマのペペロンチーノ」は…
「美味い」
サンマは目黒でなく、永田町のBitteに限る。