Archive for 8月 2024

斎藤知事と部下たちの隔たりにみるパワハラ疑惑の現在地 「合理的な指導」と「理不尽な叱責」

斎藤知事と部下たちの隔たりにみるパワハラ疑惑の現在地 「合理的な指導」と「理不尽な叱責」(産経新聞)

知事のパワハラを含む不祥事を暴露し、
懲戒処分され、公憤の自死をした県幹部職員の件。
それ以前に、もう一人、
知事の命を完全履行することができず、
メンタルで自死した県職員の件。

100条委員会は、この真相を明らかにすべく、
証人尋問は公開で行われた。

新たな証言がされるものと期待しされていたが、
斎藤知事は、あくまで、自己の正当性を主張する。
対象案件につき、 知事は「合理的な指導」、
職員は「理不尽な叱責」と捉えていることが分かる。

当事者の主張は主張であり、
委員会は、双方の主張を聞き、最終的な判断をしなければならない。

その際、指標となるのが
厚生労働省が示しているパワハラの指針だ。
それによると、
①優越的な関係を背景とした言動で
②業務上必要な範囲を超え
③労働者の就業環境が害されている
という、3要件すべてを満たす必要があるとされる。

知事と職員の関係において、①は充足するため、
②③について、個別具体的な判断を加えることになる。

2人の人間が、命を落としていることは客観的な事実である。
それが、知事が述べるように、
「合理的な指導」だったのか。
その目的が、業務を遂行するためのものだったのか、
手段として相当だったのか…

そうした観点から、今後、分彫りして、
解決が図られていくものと推察する。

遺族にとって、この百条委員会は、
は歯がゆいセレモニーであることは間違いない。
早期解決を求む。

「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」…遊び心たっぷりの印象的なネーミング、福岡発のユニークな名前の「産業機械」が売れまくる背景

「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」…遊び心たっぷりの印象的なネーミング、福岡発のユニークな名前の「産業機械」が売れまくる背景

思わず目を引く記事だ。
ネーミングもさることながら、三代目社長のスタンスだ。
もともと会社を継ぐ気はなかったものの、
「今は会社が好きで、ここで働くことが楽しくてたまらない。
動けば動くほど結果が出て、やりがいがある」という。

これぞ、仕事の醍醐味だ。

「お客様のためのものづくり」を徹底し、
顧客に潜む心の声を拾うために、
同社では「ボヤキズム」と呼ぶ独特な戦略を掲げる。

なるほど。客のニーズを商品に生かす。
客が欲しいものを売っているのだから、売れるわけだ。

「環境や人のせいにせず、自分ができることをとことんやりたい。
僕は歯車のひとつとして、
会社がうまく回るように社員とコミュニケーションを取るように心がけている」
社長の、300人近い社員への心遣いは細やかであり、
全社員の顔と名前を覚えていて、社内で会えば声をかけるという。

アメリカ法人のスタッフには、全員に手書きでクリスマスカードを書き、
スターバックスのチケットと共に送るのも毎年恒例だという。
ミャンマーやカンボジアから来た技能実習生たちには
「嫌がらせ」と照れを隠して、
カップラーメンやビールを大量に差し入れしているという。
海外の人にも、義理と人情は通じるようだ。

こうしたスタンスは、昭和の家族経営のにおいがする。
会社は、居心地のいい家。
自分が必要とされている社会的欲求の充足。
機械化とは真逆の、ノスタルジアを感じる。
一体感は、社員の帰属意識を強める。

さて、今、私はハラスメントの調査委員会に出席した際の、
意見書を取りまとめている。
労働者は、個々それぞれ自分のフィールドを持っており、
時として価値観がぶつかる。
それは、職制を超えて、人間の尊厳の部分でのことである。
社風とあきらめ、生活の糧を得るための辛抱と我慢していても、
それが恒常化すると、何かの拍子でやるかたなかった憤懣が爆発するものだ。

今回、それが「ハラスメントの申し立て」の形でハラスメント委員会の俎上に上った。

事実をどう受けとめるべきか。
上位の地位にある者が、自身の行為を棚に上げ、
「パートの分際で…」と、怒りをあらわにし、
ハラスメント委員会の批判に終始すれば、
その先の、魅力的な職場への改善の道は断たれる。
せっかくの委員会が機能しない。

会社には、「ボヤキズム」を吸いあげる勇気が必要だ。
主張が全面的に採択されるかは別問題として、
事案に誠実に向き合い、一緒に考えるというスタンスが大切。

労働者に対する「飴」と「鞭」の使いわけは難しい。
しかし、社員のモチベーションを高めることは、
会社の健全な運営を維持し、
業績アップにつながることもまた事実である。

個のプライドも大切だが、それを超えて、
会社として、社員が同じ目標に向けて、
意識を集中させるリーダーの手腕が求められる。

義理と人情、ユニークなネーミング、ボヤキズム……
前述した会社の、独自戦略でわが道を突き進むリーダーの手腕は大いに参考になる。

「このままだと妻を殺してしまいかねない…」夫婦で同時期に育児うつに陥った男性が語る父親の育児うつへの対処法「男友達に相談という発想もなかったからこそ…」

「このままだと妻を殺してしまいかねない…」夫婦で同時期に育児うつに陥った男性が語る父親の育児うつへの対処法「男友達に相談という発想もなかったからこそ…」(集英社オンライン)

産後鬱は、女性特有のもので無かったことを初めて理解した。
私たちの世代は、「子育ては女性がするもの」、
「男子厨房に入るべからず」が当然の時代であり、
誰しも、それなりに気持ちと時間の折り合いをつけて、
なんとなくうまくやった時代だ。

当時、親との同居で嫁姑問題など、別の気苦労があったとは思うが、
子供たちの数は多く、戦後の混乱期で裕福ではないにしても、
家族も、ご近所も、互いに助けながら生活がうまく回っていたように思う。

今、核家族で頭でっかちな子育てをするケースが多いため、
問題を内に抱え込んでしまうのではないかと思う。
昔は、兄弟の子供を、また親戚の子供の面倒を見る機会があり、
自身の子供が、初めての子育てというケースは稀だった。

野生動物の特集番組でも、前年に生まれた子供が群れに残り、
今年生まれた兄弟の子育てをサポートするといったシーンが数多くある。
子供は、親や群れのメンバーから愛情を注がれ、
狩りを覚え、育児を体験する。
1人で生きていくための、ベースとなる知識は、
親離れするまでには一通り学習する。
同じ動物のはずだが、
野生で機能している世代間の伝達が、
人間界で希薄になっている。

私たちがしていた頃の子育ては、
親世代が、なるべく自分と同じ苦労を味遭わぬようにと、
先回りして子供の苦難を回避してきた世代だ。

その子が親になって、自分の子供を育てる。
はて、苦難を回避してもらった世代は、
目の前の苦難をどう回避していいのか困惑する。

よって、問題解決能力が乏しいかもしれない。
職場においても、すぐに「メンタル」で片づけようとするきらいがある。
根性を感じない若者が多い。

いずれにしても子育ては、親の思い通りにいかない。
人生の縮図でもある。
それまで、自身の予定を自身で完結してきた生活が、
小さくか弱い生き物に、時間を支配される生活に一変する。
周囲に頼れる人がいれば、気持ちの負担は軽くなるが、
自分だけで何とかしようとすればするほど、負のスパイラルにはまる。

これも、人間としての成長の過程であると割り切れればよい。
思い通りにいかない人生を子育てから学ぶ。
子供は、親のサポートで成長するが、
親は、子供の誕生によって、親業に携わることができる。
親にさせてもらうのだ。
よって、第一子の年齢と親年齢は同い年である。

社会は、ようやく男性の育児休業が充実してきた。
子育ては、子供を中心として夫婦で楽しむべきものだ。
せっかくの機会を苦痛にしないよう、
親は学習を、周囲はサポートを、
子育てが楽しめる環境を作りつつ、新しい命を迎えてほしい。

引っ越し大手サカイに残業代請求 社員ら提訴 「出来高制悪用」訴え

引っ越し大手サカイに残業代請求 社員ら提訴 「出来高制悪用」訴え (毎日新聞)

このような記事が出るたびに、労務管理の大切さを再認識する。
「賃金は可能な限り安く抑えたい」、
VS.
「賃金は可能な限り多く得たい」…の攻防だ。
労使の永遠のテーマでもある。

しかし、今、労働者がなかなか確保できない事情を考えると、
良い人材を、いや100歩譲って、それほど良い人材でなくとも、
人を確保しておくことは、企業の大命題である。

少なくとも、制度を悪用しての労務管理は、
裁判を起こした特定の人に限定する処遇ではないはずである。
全体の労働者に対して当てはまる運用だ。

よって、誰かが口火を切れは、
僕も、私もになり、
ひいては、会社の健全な運営に支障をきたすことになる。

マスコミが、名の知れた会社の不祥事を大きく知りあげることで、
他の会社の間違った労務管理の運用に、
抑止力が働けばよいが、
その誘因をするのが、私達社労士でありたい。

書いてはいけない――日本経済墜落の真相

書いてはいけない――日本経済墜落の真相

ステージ4のがんを告知されたことを発表し、
今年の桜は見られないかもしれないと語っていた
「森永 卓郎」氏が、ますます精力的だ。

「書いてはいけない――日本経済墜落の真相」
氏の著書は、今、ベストセラーだ。
自身には、未来が長くないので、報復を恐れず書く…
旨のキャッチフレーズが心に刺さり、購入した。

表現の自由が保障されているはずだが、
実はそうではない事実が、またここで確信に変わった。

特に、日航123便の事件は、それが真実としたならば、
ショックでしかない。
誰もが、日常的に利用する航空機に潜んだ国策。
カテゴリーは異なれど、構図はすべて同じである。
他人ごとではない。
最大多数の最大幸福などと言っていていいのか。
殺人をすれば、犯人は殺人者だ。
戦争で、敵国の兵士を大量に殺せば英雄だ。

国とは何か、そこに住まう人の生活とは何か、
人権とは、国益とは…。
様々な疑問が入り乱れ、状況に整理がつかない。

まずは、事実を知るところから始めなければならない。
客観的な証拠を積み重ねることで、闇に埋もれる真実に、
光を当てなければならない。

個人がするその検証は、並大抵の努力ではできない。
何としてでも、真実を突き止めたいとする、強固な信念に基づく。
脱帽である。
著者は、命の危険はなかったのだろうか。

ちなみに、森永卓郎氏の同書は、
読者の注意喚起を促すメルクマールだ。
その先、危機感をもって、国民がいかに探求するか、
その導入書である。
(私は早速、同書で紹介されていた書籍を3冊注文した。)

国家の仕組みを知ってどうすることができるのか。
しかし、それは次の課題であり、
世の中の仕組みは、知らないより知っていた方が良い。

「19浪で九州大学に合格」。共通一次とセンター試験受け続けて20年、心病まずに挑戦し続けられた理由。

「19浪で九州大学に合格」。共通一次とセンター試験受け続けて20年、心病まずに挑戦し続けられた理由。(東洋経済オンライン)

勉強は何のためにするのか。
もちろん自分のためにするものである。
大学に入るために、その手段として用いるのは頷けない。

人は、赤子で生まれてきて、
一人前の大人になるよう学習し続ける。

その、「一人前の大人」とは、何をして評価するか。

通常、精神的自立と、経済的自立が指標になる。
いずれかを親に依存している場合、
社会は、自立と評価しない。

さて、この方の場合、「一念岩をも通す」で
大学入学を成就させたことは立派なことである。
しかし、一般論として、
親御さんの気持ちを想うと素直に喜べない。

本人がその人生で納得しているならば、幸せならば、
周囲がとやかく言うことはない。
大学入学が目的ではなく、
その結果に至るまでの経験が、その後の人生に役立っているのであれば、
遅咲きのスタートであり、選択を尊重すべきだ。
とはいうものの、ライフスタイルには許容の範囲がある。
生業をもってなお、経済的自立を果たしてから、勉学に勤しむ方法もある。

いずれにしても人生に無駄なことはない。
そこに落ちているものを拾いながら肥やしにする。
反省はしても、後悔することがない人生にしたい。

考える人

25年ほど前になろうか。
全国青年社会保険労務士連絡協議会で訪れたことがある美術館を、
思うところあって再び訪ねた。

その美術館は、「ロダン」のコーナーがある。
「考える人」、「地獄の門」などが展示されている。
3階ほどはある、吹き抜けの天井に、
ロダンの複製彫刻が数多く並べられている。
声を出すと、反響する。
クリーム色と、ブロンズのコントラストが落ち着いている。

何気なしに見てしまうとスルーする作品が、
心静かに眺めていると語り掛け、
肉迫してくるではないか。

人生の多面性が凝縮されている。
煩悩を捨て、すべてを昇華すると、地獄の門が開くのだろう。

人は死ぬまで思考を重ねる。
考えて考えて、よりよい生き方を模索する。

「人間は考える葦」である。
頭は使うためにある。帽子の台にしておいてはもったいない。

IMG_2962

IMG_2965

「生きた金」を使う。「節約」と、「吝嗇」は、異なる。

金に色はついていない。
どんな金も、金は金であり、その額面の価値がある。

会社の経営者と話す機会は多いが、
経営者は、異口同音に、経費の節減を望み、
費用対効果を念頭において経営活動をしている。

問題は、中身だ。
経費節減はよいが、
「節約」と、「吝嗇(りんしょく)」は、異なる。

「節約」は、無駄な支出を抑えることだ。
例えば、経営に活用していない雑誌の購読は控えて良い。
空調においては、冷暖房をしているのに、
扉を閉めていない、適切な温度で管理していない、
こうした状況の打開をすることが「節約」だ。

他方、「吝嗇」は、平易な言葉に置き換えれば、単なる「ケチ」である。
必要な部分にまで、出費を惜しむということだ。
例えば、身なりである。
洋服・持ち物は、士業者において芸能人のように華美にすることはない。
ベンツに乗って、腕時計はロレックスを見せびらかす必要はない。

ただし、ワイシャツの襟や、袖が、擦り切れるまで着てはいけない。
穴の開いた靴を履いてはならない。
まだ使えるかもしれないが、見た目は至って貧相である。
「物を大切に使っていますね。」にはならない。

経営は、ある程度、顧客に対して大きく見せなければならない。
身なりに気を使わないということは、
その仕事にも気を使わない金を使わない…と思われがちだ。

社会保険労務士は、知識の仕入れにどれだけ金をかけたか…
自身が習得した結果で顧客に示さなければならない。

勉強をしていなければ、法改正の知識は反映されないから古いまま。
判例研究をしなければ、時は勉強した時点で止まったままだから、
商品として役に立たない。

男尊女卑はそのまま、ハラスメントは労働者が甘受すべき、
パートは、雇用の調整弁…の労務管理で、誰が社労士を雇いますか?

今インターネットを見れば、法改正情報や、条文は無料でゲットすることができる。
しかし、判例は、なかなかそうはいかない。
最高裁の無料判例検索システムは、お粗末としか言いようがなく、
調べたい判例を見つけたことがない。

そこでどうする。

有料だが、判例検索システムのお世話になるしかない。
ものによっては、解釈も掲載されている。
こんなに重宝なものはない。

判例検索システムの導入は、法律に携わる者にとってイロハのイだ。
これを駆使できない者は、
また、経費削減のため必要ないと一刀両断に述べる者に、
法律隣接士業の名を語る資格はない。

金は、「生き金」として使わなければならない。
「節約」と、「吝嗇」は、異なる。

K2西壁未踏ルート滑落の登山家2人 所属先が遭難死の見解「追悼」

K2西壁未踏ルート滑落の登山家2人 所属先が遭難死の見解「追悼」(朝日新聞デジタル)

まだ若く、有望な登山家の喪失は、痛手だ。
彼らに遭ったことがない人にとっても、それは同じだ。

あえて、危ないところに行かなければ、
それなりの天寿を全うできるはずだが、
登山家は、目の前に山がある限り登り続ける。

「なぜ、山にのぼるのか。そこに、山があるからだ」
イギリスの伝説的登山家、
ジョージ・マロリーが口にしたという、有名な言葉だ。

その発言の真意の程は別にして、こだわりの表れである。

人生においても、冒険する心が無かったら、
ただ生まれた場所に、受動的に生きるのであれば、植物と大差ない。

かの冒険家、植村直己の名を久しぶりに思い出した。
彼は、生来の冒険家だ。
43歳の短い生涯に、
世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂
世界初の五大陸最高峰登頂者
冬期のマッキンリーに世界で初めて単独登頂
など輝かしい実績を残している。

そして、人々に輝いて生きる意味を説いている。

(1) 努力している人を笑うこと。 それは、何よりも最低な行為である。

(2) 人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにあります。

(3) 冒険とは、生きて帰ることなのである。

(4) 君たちに僕の考えを話そう。僕らが子供の時、目に映る世界は新鮮で全てが新しかった。
医者でも登山家でもやろうと思えば何でも出来た。しかし、年をとると疲れてくる。
人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう。世界の美しさも見ようとしなくなってしまう。大部分の人が夢を失っていく。  
…などなど

わかっていることでも、氏の語録として感じると、どれもこれも新鮮である。

今回亡くなられたお二人も、植村直己氏の生き方の延長線上にいる。
凡夫には理解できない次元で、
ご自身がご自身らしく、夢の中に生きた結果として受け止めていることであろう。

(3)の、「冒険とは、生きて帰ることなのである。」…が悲しい。

【気象解説】天気急変…なぜ連日続く? 東京の雷日数 平年の2倍に

【気象解説】天気急変…なぜ連日続く? 東京の雷日数 平年の2倍に(日テレNEWS NNN)

昨日の都心の雨は、想像を絶する降りだった。
日頃慣れ親しんでいる、道路が川になる。
山手線が止まる。
新幹線が止まる。
帰宅時の街はパニックに陥る。

昭和の夏の風景は、
昼間、青く晴れた空に午後、だんだんと入道雲がわき、
夕方にざっと夕立が過ぎると、涼を運んできた。

今は、極端すぎる。
降るときは災害を意識させる猛烈な雨となり、手の施しようがない。
暑さは、生存の危険を脅かす。
おそらく、われわれは冷房なしでこうした自然環境に対応できないだろう。
よって、生命線である電気の供給が滞ったとき、
考えるのも恐ろしい。

歴史が経験した飢饉は、こういう状態のときに発生したのだろう。
人智を尽くしても、天命を待っていても、思うような結果は望めない。
政は多くの場合、そうした事情にはお構いなく、
手厳しい年貢の取り立てを行う。

人々の鬱憤はたまるばかりである。

今も昔も、大きく変わらないだろう。
物価は青天井で上昇し、この暑さで食物は育たない。
野菜が高騰し、スーパーのコメ売り場は、入荷待ち。

日本人は、海外と違っておとなしい。
海外のように、暴徒にもならず、よく耐えている。

僕のコーヒーが、誰かに届くとき

僕のコーヒーが、誰かに届くとき
NPO法人 Coffee aid 2021

「僕のコーヒーが、誰かに届くとき」が、たまたま昼食時につけていたテレビで放映されていて見入ってしまった。

熊本の自然豊かな場所に位置するこのコーヒー店の店主は、
バリスタ―経験がなかった60代の男性と、その妻。
本来は、東京の大学卒業後、コーヒーに魅せられ、
都内で修業を積んだ息子が、30歳になったら店主をするはずだった。
コーヒーにかける想いは、いちずで半端ではなかったと、
上司や同僚が異口同音に語る。

しかし彼は、開店目前の29歳、不慮の事故で命を落とした。
「コーヒーは人と人とを繋ぐもの」の信念で、
郷里の熊本で人が集うコーヒー店を夢見、
計画を実行に移しかけていた矢先の事故だった。

その遺志を継いで、両親がゼロから店を手掛けた。
開店から3年、その店は、
同じように、愛する者を亡くした者たちが集う憩いの場となった。

来るときは沈んでいた客が、
心の内を吐露して、明るい笑顔で帰っていく。
コーヒーを飲みながら、心をほぐして帰っていく。
亡くなった息子さんの遺志を継ぎ、
見事に社会のよりどころを作った夫妻に感服する。

晩白柚農家の男性は、22歳の娘を事故で失い、
自分の居場所を見失っていたとき、このコーヒー店と出会った。
そこで、店主の妻が、亡き息子と友人だった、ジャム作り職人を紹介する。
完成したジャムに、亡くなった娘の名をつけ販売することで、
再び生きる希望を見出した。

通信販売を始めたコーヒー店は、
パッケージの印刷を東京の業者に頼んだ。
亡くなった息子さんと、かつてコーヒーについて熱く語り合った
同郷の上司が、転職してたまたまそこで働いていた。

「彼は、夢を実現したんだ」と、上司は悟った。
悲しいかな、それは本人ではなく、彼の両親だった。
自分も夢に向かって頑張らなければならないと奮起する。

不妊治療の末、やっと授かった息子を数日で亡くした母親も、
定期的に訪れ、亡くなった息子の意味を見出そうとしていた。
泣いてばかりいた彼女は、その後、第二子に恵まれ、
幸せを取り戻した。

このドキュメンタリーを見ていると、
人は繋がっていることを感じる。
発信することで、生き甲斐を得ると同時に、
人を笑顔にすることができることを知る。

肉体は滅びても、志が受け継がれるということを肌で感じた。
「一年岩をも通す」
強い信念をもって物事に当たれば、どんな事でも成し遂げることができる。

殺伐とした社会において、干天の慈雨である。
活動の輪を広げてほしい。

「忘れてはいけない。未来へ繋がなくては」住宅街を土石流が襲い77人が犠牲に 災害後建設された砂防ダムには「忘れない」の文字も投影 広島豪雨災害から10年

「忘れてはいけない。未来へ繋がなくては」住宅街を土石流が襲い77人が犠牲に 災害後建設された砂防ダムには「忘れない」の文字も投影 広島豪雨災害から10年(中国放送)

日本は災害列島である。
国土の3/4が山地であり、残り1/4の平地に街を構える。
平地とて、ハザードマップの観点からみると、
完ぺきに安全なところなど、皆無に等しいだろう。

したがって、災害を意識しつつ、
都市環境における、利便性の良いところに住居を構えざる得ない。
過去に浸水があった場所も例外ではないようだ。

「災害は忘れたころにやってくる。」
これは、東京帝国大学理科大学・理化学研究所・東京帝国大学地震研究所に籍を置いた、
物理学者・防災学者の寺田寅彦が述べた名言だ。

平穏の日常生活に、突然訪れるのが災害だ。
自然災害が誘発して、
宅地造成などしたために起こる「人災」は、特に悔やまれてならない。

最近の自然現象は、10年前では想定できない
激しい暑さ、激しい雨、線条体降水帯、
それにくわえて、大規模地震だ。
(温暖化は、早くから提唱されていたが、その過酷さに、
当時の政治家は自国の国益を優先し、それほど重大視していない人が大半だったようだ。)

近時、国土交通省が管理する
「ハザードマップポータルサイト」なるものがあるが、
洪水、土砂災害、高潮、津波、といった
さまざまな災害の場面を想定した、
その地域のハザードマップが、色分けされ掲載される。

これを確認すれば、自身が住まう地域に、
どのような危機意識が必要であるかが理解できるが
だからといって、実際にそうなったときに、
どれだけその意識が活用できるのか。
課題はその一言に尽きる。

本来は、住まないに越した地域に、
住まざるを得ない人たちに、
今後、過去の災害の悲惨さを味わうことなく
安穏に過ごしてもらうことを祈るしかないのか。

ジレンマを覚える。

気温計の針40度で振り切れ…ヤマト運輸の倉庫で熱中症、社員がスト

気温計の針40度で振り切れ…ヤマト運輸の倉庫で熱中症、社員がスト(毎日新聞)

このところの高温化傾向は、誰しもが脅威を覚える。
熱中症で体調を崩し、救急搬送される人の数が如実に物語る。
消防庁がまとめる統計が、前年同時期との比較でも、いかに大きいかが分かる。

このような中で、職場環境の改善も必要不可欠だ。
最近、クーラーが利かない現場に働く人は
ファン付ベストを着用している光景を目にする。
しかし、猛暑日つまり35度以上の職場で、
どれだけの効果が望めるのだろうか。
猛暑が今年に限ったものであれば、ゴールは間近だ。
しかし、地球温暖化の今、確たる保証がないどころか、
恒常的な暑さになる可能性の方が高いように思う。

企業としては、
クーラーが利かない現場に働く人の環境改善を、
喫緊に検討しなければならない。
大手が改善の指針を示し、
中小企業の手本を示さなければならない。
国の指針を待っていたのでは、後手後手になるからだ。

就労現場での暑さから、従業員の命を守る。
これは間違いなく、職場の安全配慮義務である。

ちなみに、60歳以上の高年齢労働者を常時1名以上雇用している
中小事業では、「エイジフレンドリー補助金」に該当しないか要件を確認したい。
補助額の上限は100万円。

補助金メニューの中に
「暑熱な環境による労働災害防止対策(熱中症防止対策)」があり、
休憩所の整備や空調服の購入などに活用が可能。

イメージとしては、これが認められれば、
最強モデルは1セット2~3万円ファン付き作業服も、
購入価格の1/2が補助金でカバーされる

使えるものはすべて使って、
事業者としての安全配慮を義務を尽くすべきだ。

箱根強羅温泉大文字焼

箱根強羅温泉大文字焼

大文字焼きは、京都が有名だが、箱根にもあった。
大文字焼は有縁無縁の霊を慰めるうら盆の送り火のことらしい。
しかし、そもそも、「盆」は、仏教の行事というよりは、
日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事であり、
日本古来の祖霊信仰と仏教が融合したもののようだ。
一般に8月13日 から 8月16日がそれに該当する。

都会に出た人たちは、全国的に休みになることが多いこの時期に、
一斉に郷里に帰省するから渋滞が起きる。

さて、箱根の大文字焼きに話を戻す。
箱根三大祭りのひとつにも数えられる
箱根の夏の風物詩「箱根強羅温泉大文字焼」。
1921(大正10)年から100年以上にわたって続く、伝統の祭りだそうだ。

毎年、8月16日に、送り火として行われるが、
それが今年、台風7号とかち合った。

それで急遽18日に延期される。

16日に、近隣の宿泊施設を予約した人は肩透かしを食らったが、
東海道新幹線が終日、計画運休では致し方ない。

他方、18日に宿泊を予約していた人は、棚ぼたである。
天気のことだから、誰を恨むわけにはいくまい。

お盆のこの時期、台風を考慮して柔軟な対応を心掛けなければならない。

相手が欲していることを察して行動する

先日の話だ。
東京駅に隣接する百貨店大丸東京店で買い物をした。

買い物は、品物を求めるだけでなく、
店員との会話に趣がある。
商品の知識の有無にかかわらず、
その人の人柄、人間性、世間話をするところに付加価値を感じている。

これがネットを利用しての通販では楽しめない。
対面販売の楽しさである。

さて、ベルトを購入した売り場の店員、
年の頃は50代の女性店員に、
外商カードを作ることを尋ねたところ、
7階から、わざわざ11階の外商窓口まで案内してくれた。

道すがら、安全の観点から
エスカレーターの手すりを持つことを勧め、
コロナ以降、不特定多数の人の手が触れるところを、
あまり触りたくない旨伝えると、
それでも、手すりに摑まることの重要性を説いてくれたため、
素直に従った。

そうしたところ、目的地に到着した後、
彼女はわざわざ、除菌スプレーを7階の職場から11階まで持ってきてくれた。

こうした心遣いに触れると、
この店員の成績を伸ばしてあげたくなる。

人として、相手が欲していることを察して行動する。
これが、今の人にはなかなかできない。

外商の用事が済んだ後、7階に戻り、
新たに長財布を購入した。

相手が欲していることを察して行動する。
社会保険労務士の私たちにも、クライアントに対する必須マターである。