Archive for 5月 2025

「もう終わったな」散歩中1.6mほどのクマに襲われた45歳住職 救ったのは愛犬の“とっさの行動”「本当に命の恩犬 感謝しかない」

「もう終わったな」散歩中1.6mほどのクマに襲われた45歳住職 救ったのは愛犬の“とっさの行動”「本当に命の恩犬 感謝しかない」 新潟・五泉市(BSN新潟放送)

熊は、人間の生活圏と重なるところで生活している。
いつ、彼らに遭遇するかわからない。
遭遇したら最後、襲われる想定だけはしておかなければならない。

それにしても、この犬は勇敢だ。
飼い主のピンチを正しく察知し、
あらん限りの攻撃に出る。

大きなクマと、小さな犬。
体格差から言えば、とうてい敵う相手ではない。
しかし、飼い主を救わなければならないとする強い意志と、
しつこいまでの吠えとアタックで、
強敵を山へ追いやってしまった。

飼い主は、恩犬をさらに愛おしく感じたことだろう。

翻り、我が家の犬はどうだろう。
柴犬の兄は、マイペース過ぎて、飼い主の危機に気づかず終るだろう。
内弁慶の保護犬弟、似非ジャーマンシェパードのほうは、
人間を楯にして、自分は後ろに隠れるだろう。

住職の犬のように、恩犬は望めない。
いずれも頼りない警備員だが、
しかし、犬はかわいい。憎めない。

プーチン氏、昭恵氏と面会 安倍氏を「忘れぬ」 対日関係改善模索か

プーチン氏、昭恵氏と面会 安倍氏を「忘れぬ」 対日関係改善模索か(朝日新聞)

安倍氏の存在感はゆるぎない。
亡くなった今も、昭恵氏を通して健在だ。
昭恵氏は、現職総理大臣が面会を断られたにもかかわらず、
就任前のトランプ大統領にも会っている。
そして、今回プーチン大統領だ。

彼女が日本の象徴であり、
現役の政治家が代わりをできないでいることに、
体たらくを感じざるを得ない。

直截的に言うならば、
現役の要職に就く政治家らが、
当事者能力を有していないということである。
過去、優秀とされた政治家の残像と接することで、
外交の端緒をつかみたい、各国の狡猾な意図が見え隠れする。

昭恵氏と接することは、安倍氏を「忘れぬ」という以上でも以下でもない。
外交における現状は、何も変わらない。

ただ、日本の存在は友好に値するとのメッセージを発しているに過ぎない。
自国の益になるように与したい。
それだけである。

軸を喪失した世界は、迷走を続ける。
カオスと化した世の中はどこへ向いて進んでいくのだろうか。

中国、習近平氏の動向も密かに取りざたされている。
蛮勇を振るった政権にも陰りが見える。
近いうちに、重大なニュースが舞い込むことだろう。

いずれにしても、世界が混迷を極める。
何をするにしても、軸を置かなければならないだろう。
その軸を、誰がどこに定めるのか。
ドングリの覇権争いは続く。

「カワウソー!」生きたドジョウを水中に入れると?福岡市動物園で特別ガイド

「カワウソー!」生きたドジョウを水中に入れると?福岡市動物園で特別ガイド

弱肉強食は、自然の摂理である。
捕食するものがいて、捕食されるものがいる。
食べられるものはかわいそうにも見えるが、
食べるものがないものもかわいそうだ。

子供には、その点をしっかり教えなければならない。
一時の感傷で、偏った見方を教えてはならない。

そして、カワウソを通して、環境問題を考えさせるのはよいことだ。
食物連鎖は、生態系を考えるうえで欠かせない。
人間が破壊する環境が原因で、
動植物が生息できなくなる危機感を教えなければならない。

子供達の、カワウソを見る、生き生きした目が印象的だ。
学習は、素直な好奇心から始まる。
好きこそものの上手慣れ。

これからの長い人生、
楽しみながら、様々な学習を重ねていってほしい。

東京・江戸川区で爆発 地中のガスボンベ損傷しガスに引火か けが10人 半径100メートル 建物少なくとも38棟に被害 警視庁

東京・江戸川区で爆発 地中のガスボンベ損傷しガスに引火か けが10人 半径100メートル 建物少なくとも38棟に被害 警視庁(TBS NEWS DIG Powered by JNN)

近隣に居合わせた方は、さぞ驚かれたことと思う。
日常、当然に行われている工事で、
これだけ破壊力のある爆発が起きるとは、驚愕だ。

近くに、東西線の線路が走る。
爆発の瞬間に、そこを電車が通過していたらどうなったのか。
想像しただけでも、身の毛がよだつ。

地中に、なぜボンベが埋まっていたのか。
徹底的な解明が求められる。
同種事案を回避していただきたい。

日常生活を取り戻すまでに、相当な時間を要することと思う。
一日も早い復旧を願う。

平時にこれだけ驚く爆発も、
戦場では日常茶飯事だ。
ウクライナやガザでは、今も、
インフラの現状回復がされる前に、新たな爆発が起こり、
くりかえし死傷者が出る。

医療機関も爆撃の対象になり、
スタッフも、医薬品も不測の事態となる。
その混乱を想像すると、さながら地獄絵図だ。

爆撃に対する反応は麻痺に近いだろう。
戦争が始まってから生まれた現地の子供は、
これが日常であり、平和を知らない。

人道的な観点から、
一刻も早く、爆撃が日常の状態をやめなければならない。

人間は紛争解決能力を兼ね備えた、賢い動物であることを信じたい。

女性が昼食で外出、その隙に1億円入り金庫盗んだ疑いで男2人逮捕…事前情報得て狙ったか

女性が昼食で外出、その隙に1億円入り金庫盗んだ疑いで男2人逮捕…事前情報得て狙ったか(読売新聞)

1億円を自宅に保管していることは凄い。
今、銀行の貸金庫が信用できないから、
自宅に保管しておきたいとする気持ちもわかる。

これまでの犯罪で、強盗が侵入した際、
人が在宅していれば、命の危険があつた。
家人の女性は、留守中だったから、
その意味では不幸中の幸いだ。

数年前、長期旅行をして帰ってきたら、
自宅の家財が全て運び出され、もぬけの殻だったという職員がいた。
ご近所の方は、「挨拶はないけれど、引っ越しだと思った」
と、異口同音話していたそうだ。

日頃から近所づきあいをしていなければ、そういうことになるのだろう。
昔は、長期に留守にする際には、近所に声をかけ、
気にして貰うことが一般だった。
今は核家族だし、集合住宅も多く、
プライバシーが守られる反面、ご近所づきあいも希薄である。
このため、大規模な窃盗劇にも気づけないというのが実態なのだろう。

これから、どのように防衛すればいいのか。
個人情報は、なるべく出さない。(金融資産の話を、外でしない。)
高齢者であることをひたすら隠す。
(自動車を玄関先に駐車しておくときは、高齢者マークをしまう。)
高額な、代引き商品を注文しない。
などなど…。世の中の動きに対応した行動をとる。

自分の身は自分で守る…それが基本であるものの
安全な国、日本の治安は、凶悪化の一途をたどっている。

駅で自殺しようとした男性に「落ち着きましょう、話聞きますよ」…高校生5人がなだめて思いとどまらせる

駅で自殺しようとした男性に「落ち着きましょう、話聞きますよ」…高校生5人がなだめて思いとどまらせる(読売新聞オンライン)

人の付き合いが希薄になった今、
諸状況から事情を察知して、
自殺を踏みとどまらせた高校生らはお手柄だ。

私が子供の頃、昔は、近所におせっかいな人が一人や二人はいたものだ。
周囲が気にかけてくれているというだけで、
孤独感から救われる。

家族でなくても、コミュニティーが、
そうした役割を担ってきた。
それを通りすがりの若い人が、自発的にした…というのは
将来への安心材料になるだ。

長く生きていれば、一つや二つ、嫌になることだってある。
そうしたとき、周囲に相談できる人、
気にかけてくれる人がいると、いないのとでは、雲泥の差だ。

大したことはできなくても、
話を聞くことぐらい誰にでもできるはず。
せっかく与えられた命。
粗末にしてほしくない。

小沢一郎氏「まずは勉強を」「大丈夫か」備蓄米に「減価償却」使用した小泉進次郎農相に苦言

小沢一郎氏「まずは勉強を」「大丈夫か」備蓄米に「減価償却」使用した小泉進次郎農相に苦言(日刊スポーツ)

大臣ともなれば、
一角の人物でなければならない。
「末は、博士か大臣か」である。

特別な業界用語ならいざ知らず、
「減価償却」は、ほぼ一般用語と言っていい。
社会人だったら、逆に知っていなければ笑われるレベルだ。

小泉大臣は、ご尊父同様、人気もあるしオーラもある。
ここ一番で目立つのは確かだが、
その発言内容に、首をかしげることが少なくない。
誤ったことや、当たり前のことを
大真面目で話してしまうことに難がある。

これら「小泉構文」は、
ネットに解説がされているほどだ。
ついつい、クスリと笑ってしまう。

例えば、
「兄は私より年上なんです。兄って、自分より年上の兄弟のことを言うんですよ。意外に知られてないんですけど。」
「今日はあなたの誕生日なんですね。私も誕生日に生まれたんです。」

ウイットなら洒脱だが、
政治の場での「小泉構文」は、
政治家の資質を問われてしまう。

実に残念だ。
日本の顔になるならば、
小沢一郎氏の言うように、
それなりの勉強に励んでもらいたい。

自称“AI誘発性心理反応”の30代ニート「誰にも肯定されていない不安感に」 生成AIの“誤った使い方”に専門家が警鐘

自称“AI誘発性心理反応”の30代ニート「誰にも肯定されていない不安感に」 生成AIの“誤った使い方”に専門家が警鐘(ABEMA TIMES)

最近、パソコンでPDFを閲覧すると、見慣れない表示が出現する。
「AIアシスタント」だ。
画面の右上に、赤から青のグラデーションで出現し、
否が応でも、使い手の目を引く。

何なのかと思い、ポチッとクリックしてみる。
顧問先からの労務相談で送られた資料を開いたものだが、
「この文書は長いので、要約しましょうか?」
と聞いてくる。

確かに、メリハリなくダラダラと書かれた文書を、
数十枚読まされるのは難儀だ。
AIが要約してくれれば、願ってもない。

その後、丁寧に、「質問はありませんか?」
と聞いてくる。
思いつくまま質問をすると、それなりに回答が返ってくる。

短時間にこれができるというのはさすが機械だ。
ただ、インターネットが普及した時代、私たちは、
玉石混交で、不確実な情報が紛れ込むことも多いことを学習している。

利便性に胡坐をかいていると、
誤った情報を正しいものとして認識してしまう虞がある。
検証するには、
人間が正しい知識を持ち合わせていないと怖いということだ。
警戒心をもって、疑ってかかれる姿勢が大事だということだ。

文書を認めるということは、
その人物がいかに広い見識を持ち、洞察力を持ち、
文書にまとめ上げる力を持つかのバロメーターだった。

しかし、AIが文書を作成してくれるということになると、
人は理解していなくても、誰でもAIさえ使えれば、
そこそこの内容の文書を短時間で作出することが可能ということだ。

AIの台頭を知って久しいが、
それが普及するまでには、まだ先のこととタカをくくっていた。
パソコンのアップデートで、これが使えるようになったということは、
それだけ一般化してきたということだ。

記事の依存症は勿論のこと、
コツコツと努力して、考えない人間が多くなるであろうことを危惧する。
年がら年中、機械相手の生活が及ぼす、
人とのコミュニケーションの取り方についても憂いを覚える。

AIの正しい使い方を誰が決めるのか。
膨大な資料の整理、膨大な文書からの検索、
といった使い方は非常に有益だと思う。

いずれにしても、
機械とは、距離を測りながら付き合っていかなければならないと思う。
ますます、シニアは生きにくい世の中になった。

大臣が変われば、コメの価格が下がる?

備蓄米5キロ2990円で店頭に JA全農長野が公表 卸に6割出荷済み(日本農業新聞)

信頼すべきはずの組織が、何をしているのだろうか。
大臣が変わらなければ、備蓄米を買値で放出できない組織とは何か。
何のための備蓄米放出なのか。
安く買い上げた備蓄米を、現在の流通価格で売る、
つまり安く買ったコメを高値で売ったところで、
いつまでたってもコメの価格は下がらない。
こんなことは、小学生でもわかる理屈だ。

国民が物価高で困窮している中、
それを奇貨として、政府や農協が儲けてはならない。
当然の話だ。
江藤前大臣は、なぜ米価を下げることができなかったのか。
「失言で辞任」どころの騒ぎではない。

裏で何をしていたのかということにならないか?
顛末の詳細を国民に開示すべきだ。

そうかと思えば、「復興支援の公金注入後、架空融資取り消す」など、
公金を使って不正処理が行われていた信金。
信用金庫ではなく、不信用金庫だ。
復興支援の公金注入後、架空融資取り消す いわき信組、第三者委調査(朝日新聞)

立場を利用して、本来は信頼すべき組織が何をしているかわからない。
自分たちさえ良ければいい…
の私利私欲だけで、公金を運用してはならないのは自明の理。

監視の目を光らせなければならない、まともな仕事をしない社会に発展はない。

富裕層らに売り込む佐渡の旅、ヘリで遊覧・貸し切りで能公演…2人で2泊300万円も

富裕層らに売り込む佐渡の旅、ヘリで遊覧・貸し切りで能公演…2人で2泊300万円も(読売新聞)

富裕層にとって、この金額は痛くもかゆくもない。
2人で2泊300万円、そうすると単純計算で、
一人1泊75万円。
75万円といえば、一般サラリーマンの2か月分の収入か?
3か月分の収入か?

2025年度の老齢基礎年金(満額)支給額は、
月額69,308円であり、年額は83万1,696円だ。
富裕層の1泊と、基礎年金1年分は、
約8万円の差しかない。

同じ人間で、どうしてこれだけの差が出てしまうのだろうか。
様々な要因があるのだろうが、
機会の平等があっての、結果とは到底思えない。

極端な貧富の差が、社会のひずみとなり、
治安の悪化を招くのではないかと懸念する。

えてして、冨は為政者に集中し、民衆はその富の下支えとなる。
それは、資本主義も、社会主義も同じだ。
その他大勢は、冷や飯を食う。

いや、わが国には、その冷や飯すら流通しない。
高騰するコメをそのままに、物価を下げることができない。
時の農政大臣は、失言で更迭される。
放出された備蓄米の行方は判明しないまま、未だ値が下がらない。

放出後のルートは、なぜ解明されないのか。
大臣の失言の追及より、そちらの追及が先ではないのか。

いつの世も、金持ちがさらに金持ちになるシステムが出来上がっている。
1泊75万円は、庶民にとって夢のまた夢。

しかし、顕著な貧富の差は、ねじれとなって、きな臭い世を醸し出す。
先般死去された、ホセ・ムヒカさん、
「世界一貧しい大統領」の言葉を借りよう。
「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、
もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」

それゆえ、日々の自然を愛で、
それに触れることで幸せを感じる生活をしたい。

ショッピングセンターの屋上駐車場から見る夕日は、赤く大きい。
親に、「写真を撮って」とねだる幼子の無邪気さに、心安らぐ。
吹きわたる風は、ほほに気持ちがいい。
鳥たちのさえずりは、微妙に波長が異なり、
種の会話を楽しんでいるようだ。
道端に咲く花は色とりどりで、実にけなげだ。

こうした小さな幸せを感じることで、
その積み重ねが、心の豊かさとなり、
大きな幸せにつながるものと思う。

上司と口論の末、「抗議」と称し無断欠勤…相模原市の男性主事を懲戒処分 人事部門の聴取にも応じず

上司と口論の末、「抗議」と称し無断欠勤…相模原市の男性主事を懲戒処分 人事部門の聴取にも応じず(神奈川新聞社)

問題社員の対応は、職場における悩みの種だ。
会社組織には、企業秩序が求められるが、
「上司と部下の口論」という場面は可能な限り避けたい。

上司あるいは使用者は、部下あるいは労働者に対して、
職務を指揮命令するという、上下の立場にある。
これは、労働契約で事前に取り決めされていることだから仕方ない。
「所定労働時間において、会社の指揮命令下で就労することにより、
その労務の対価として、報酬を得る。」これが労働契約の中身だ。

「口論」ということになると、立場は対等平等であり、
理性を通り越した、感情むき出しにぶつかる場面が容易に想像される。

労使トラブルは、上司が職務上、合理的な指示を出さなければ、
それに対する労働者の不満は是認される傾向にある。

また、上司が職務上、合理的な理由による指示を出したにもかかわらず
それに正当な理由なく従わない労働者は、
就業規則等の根拠により、懲戒の対象になる。

労働契約の中身において、
会社が労働者を働かせる権利と、
労働者が負う、就労すべき中身(義務)がぶつかった場合
調整するのが就業規則だ。

今、「リベンジ退職」という言葉がある。
実際に、職場でトラブルがあると、
労働者が会社を困らせようと、腹いせに退職するというものだ。
具体的には、従業員が職場での不満や不公平な待遇・労働環境、
ハラスメントなどの、職場での問題に対して、
退職することで抗議や意思表示すことを指す。
特徴的なのは、タイミングも突然であったり、
引き継ぎが不充分であったりと、
企業に悪影響を与えることが挙げられる。

中小零細企業では、リベンジ退職されたら、
会社は健全な事業がたちいかなくなるケースを招来する。
義理人情などあったものではない。

こうした、リベンジ退職を防ぐのも就業規則である。

いずれにしても、世知辛い世の中、
労働者の権利が過剰に保護され、
会社は人を雇用して活動するのが大変な時代を迎えていると感じる。

橋幸夫アルツハイマー型認知症の診断 所属事務所「100%お楽しみいただけるステージをお届けできる状態ではない」

橋幸夫アルツハイマー型認知症の診断 所属事務所「100%お楽しみいただけるステージをお届けできる状態ではない」(デイリースポーツ )

演歌の大御所も、病には勝てない。
それでも、なお、ステージに立とうとする姿、
その姿勢を応援する会社、家族といった周囲の人々の助力。

涙が出る。

誰しもボケたくはない。
自身の意識がある以上、人に迷惑をかけたくないだろうし、
往年の輝きを封印されることは屈辱以外何物でもないであろう。
橋さんの場合、お母様の認知症介護の経験もあり、
自分は宇宙人になりたくないとの思いは
人一倍強かったと思う。

しかし、病気になってしまったら致し方ない。
静かに現状を受け入れるしかない。

そうした中、周囲の支えがある、無しでは大きく違う。
情況を理解したうえで支え合う。
ある意味、そうした環境は、本人の人徳なのかもしれないが、
超高齢化社会にあって、同じ境遇にある人たちの励みになる。

年齢を重ねるということで、避けて通れない現実である。

不妊治療で退職など経済損失3000億円…企業が「妊活」支援、女性管理職増も図る

不妊治療で退職など経済損失3000億円…企業が「妊活」支援、女性管理職増も図る(読売新聞オンライン)

男女参画型社会が標榜されて久しい。
しかし、未だに機能していないことが残念である。
出生率の低下のニュースが、現実を如実に語る。

個人の幸福と、社会全体の幸福。
幸福は両輪で回るものだ。

個人の充足だけに重きを置くと、
他者への配慮を欠く社会が是認されることとなる。
確かに、
自分が好きなことだけをしていればいいとなると、
この上なく気楽だ。

他者に対する責任を負わないため、
自分の時間と、自分のための経済活動を謳歌できる。

しかし、それだけでよいのかというと、
社会という、共生は成り立たない。
相互扶助の形で、弱者に手を差し伸べられる優しい社会を実現するには、
税による経済的な支えや、ボランティアを含めたマンパワーが不可欠だ。

俯瞰すれば、
個人が生きている、その時代だけの完結というわけにはいかない。
世代交代においても、それぞれの時代において、
人々が安心して過ごせる社会、そしてインフラの整備が不可欠だ。

そう考えると、個人の幸せだけでは済まされないことが、否が応でもわかる。
次世代につなげていくためには、若い世代を増やさなければならない。

若い世代を増やすためには、生殖能力がある世代の下支えをして、
子供を増やしてもらうしかない。

そうした意味で、政治レベルのみならず、
民間が積極的に「妊活」支援に取り組むことは意義がある。

男尊女卑の社会観が長く続いたが、
これまで私の事務所で職員として使った人材の中には、女性従業員の中に、
突出した能力を発揮していた人が数多い。
こういう人たちの就労機会を、子育てで奪ってしまっては社会の損失だ。

また、優れた女性が「妊活」をあきらめて、
キャリアに縛るのも、
優秀な遺伝子を次世代に残せなくなるという点で、これも問題がある。

世の中には、男と女しかいない。
それぞれの性で、分業が行われないよう、
尊重される社会の構築は、今、待ったなしだ。

難病で視力を失った男性 “光”をくれた盲導犬と最後の散歩「10年間ありがとう」引退までの日々

難病で視力を失った男性 “光”をくれた盲導犬と最後の散歩「10年間ありがとう」引退までの日々 北海道

盲導犬は、実に立派な仕事をする。
一頃、彼らは、目の不自由な人の安全を担い、
常に緊張を強いられる過酷な仕事の連続であるため、
寿命が短いなどと言われていた。

しかし、実際はそうでもないようである。
一般の飼い犬と同じのようだ。

それというのも、盲導犬の場合、
常時、飼い主に密着している。
パートナーとして、頼られる存在であり、
自分の存在が、人間の役に立っているとする自負がある。
愛情と、やりがいが、
犬のモチベーションに繋がっているというのだ。

なるほど。
他者に必要とされていると認識することで
生きがいを感じるということは、人も同じだ。

人に迷惑ばかりかけて、最後は犯罪者として収監される人間も、
盲導犬のように、人の役に立っているという自負があれば、
悪の道に染まらなかったのかもしれない。

その前提として、自分が深く愛情を注がれた経験があり、
褒められた成功体験が必要なのかもしれない。
盲導犬は、盲導犬としてデビューされる以前、
パピーウォーカーの下で、大切に育てられる。
たった一年間の共同生活だが、
里親が愛情たっぷりに育てあげ、その体験が、
後の彼らの原動力になる。

えてして、人間の場合も、幼児期の家庭環境が
その後の人格形成に大きな影響を与えることになる。
愛情豊かな環境で、数多くの成功体験をし、自己肯定感を高めること。

これが、人格形成の根幹につながるものと思う。

千円着服で懲戒免職、1200万円の退職手当もパーに…この処分、重すぎる? 「魔が差した」バス運転手の払った大きすぎる代償、司法の判断も揺れた

千円着服で懲戒免職、1200万円の退職手当もパーに…この処分、重すぎる? 「魔が差した」バス運転手の払った大きすぎる代償、司法の判断も揺れた(47NEWS)

「魔が差した」で、
千円着服による懲戒免職、1200万円の退職手当もパー。

いやいや、最高裁まで戦ったこの判断は妥当なのか?
表面からだけでは、全体を判断することは難しいが、
あまりにバランスが悪い。

戒告処分や注意を受けたことはあるが、
遅刻や無断欠勤はなく、
無事故運転者表彰や接遇優秀職員表彰を受けたこともあったという。

こうした評価を額面通りに取るならば、
退職金が後払いの性格を有しているとの立場からすると、
1,000円の着服が、
29年間の勤務功労を没却する程度の重さを持つのだろうか。
運転手に、金銭取扱いの厳格さを求めるのは当然のことだが、
諸事情を考慮すると、厳しすぎるのではないかとの疑念が強い。

コロナで収入が減ったというが、
新型コロナウイルスに感染して10日ほど出勤できなかったのであれば、
公務災害や、傷病手当金の請求ができなかったのだろうか?

1,000円と1,200万円。
やはりバランスが悪い。

一部減額では、すまないのだろうか。

綱紀粛正を厳格にすることには間違いないが、
着服の金額が少ないだけに、やはり腑に落ちない。