Archive for 2月 2025

住み替はる代ぞ 雛の家

ここ数日は、今月2回の大寒波が嘘だったかのような温かさだ。
人間は勿論のこと、花たちもようやく浮かれ出した。
先日、「春はすぐそこ」と題したブログの記事に登場した花たちは、
元気に咲きつつあり、青空に生える。
実際の彼らより、その瞬間が写真に納まった彼らは、より一層美しく見える。

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梅は、赤いつぼみだったので「紅梅」かと思っていたが、
開花したら「白梅」だったことが判明した。

そういえば、「白梅」のことを「シロバイ」と読んだ人がいた。
ちなみに「白梅」の正しい読み方は「しらうめ」「はくばい」の両方らしい。
漢字は、音読みと訓読みがあって実に難しい。

大人になると長年の経験と勘で読みがちだが、
中学生でしっかり勉強した人は、その辺の知識の断片が残っているだろう。
「しらうめ」は、「訓」+「訓」。
「はくばい」は、「音」+「音」。
他方、「シロバイ」は、「訓」+「音」ということになる。

確認しておこう。
漢字はそもそも中国からの輸入品である。
基本的には、
中国から伝わった熟語には〈訓読〉と〈音読〉は混じらない。
音読は中国語の発音が元になっており、
訓読は日本語の発音だからという理由らしい。
中国から伝わった熟語は〈音読〉+〈音読〉になる。

しかし、日本で作られた熟語の場合に
〈訓読〉と〈音読〉が混ざるものがある。

さらに突き詰めると、
上を音読み、下を訓読みで読む熟語の読み方を「重箱読み」という。
「重箱」は、上を音読みの「ジュウ」、下を訓読みの「はこ」と読んで、
「重箱」と読むからだ。
この用例には、「親身(しんみ)」「仕事(しごと)」などがある。

他方、上を訓読み、下を音読みで読む熟語の読み方は、「湯桶読み」という。
「湯桶」は、上を訓読みの「ゆ」、下を音読みの「トウ」で読んで、
「ゆとう」と読むからだ。
この用例には、「手本(てほん)」「指図(さしず)」などがある。

「訓」+「音」の「シロバイ」は、読み方として後者である。

では、「シロバイ」とは読まないのか。
Googleで調べるとヒットした。
しかし、私たちが想念する「白梅」とは異なる品種である。

とまあ、漢字の勉強が済んだところで、
近所に見事な枝垂れ梅が咲いている家がある。
いつも、梅なのか桃なのか迷うのだが、
地球温暖化で咲く時期が接着してきたので、
時期だけで判断することは難しい。
簡単な見分け方に、花弁の先の形状らしい。
梅、桃、桜の花は似ているが、
それぞれの花弁の先の形状は、梅が丸い、桃がとがっている、桜は切れ込みが入っている…
で簡単に見分けられるという。

こうした見分け方で、次の写真を拡大して判断するに、
この家の花は、どうやら梅のようだ。
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しだれ梅の家は、建ってから20年ほどが経つが、
一度、15年ほどで家主が家財道具を残していなくなった。
庭の雑草も生え放題、しだれ梅も伸び放題で、
空き家の頃の梅は生気がなかった。
それから4年ほど経過して、新しい家主が入った今年、
庭木が手入れされ、見事に咲いた。
近所の幼稚園の制服を着た女の子が、
ちょこちょこと玄関を出入りしていた。
梅の木も、新しい家主を得て喜んでいるようだ。

そこで、一句、松尾芭蕉の奥の細道が浮かぶ。

「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」
この句は、松尾芭蕉が住んでいた家を引き払うときに詠んだ句とされている。

さしずめ、
「長年住んだこのおんぼろ家屋も、
私ではなく違う人が住むことになった。
新しい家主は雛人形を飾ったりするのだろうか。」
といったところだ。

もうすぐひな祭り。
この家の女の子のひな飾りも、家を彩ることだろう。

【速報】箱根の温泉旅館連続不審火 放火容疑で52歳の男を逮捕 去年5月も同じ旅館で不審火 神奈川県警

【速報】箱根の温泉旅館連続不審火 放火容疑で52歳の男を逮捕 去年5月も同じ旅館で不審火 神奈川県警(日テレNEWS NNN)

やはり放火だったか。
二回目の出火が報じられたとき、どのような旅館だったのかHPを調べていた

飛騨高山から移築した350年前の建物は、
自然のたたずまいに、古き良き歴史を感じる宿を演出していた。
客室も、温泉も、食事も、
申し分ないロケーションの中で、来客を迎えていたのだろう。
若き日のアランドロンが、同旅館を訪れた写真が紹介されており、
昔のパンフレットからは、昭和の懐かしさが感じられる。

その旅館が、二回の火事で焼失しているのかと思うと、
一度は訪れたかったと残念でならない。

火事の原因は、犯人の怨嗟による犯罪行為だが、
背景に解雇があったとなると、労働問題も大きく関係している。
人が職場を去るとき、禍根を残すケースが多い。
まさに、一寸の虫にも五分の魂である。

当事者でなければ、真実はわからないものの、
おそらく「100・0」ということはないのだろう。
仮に「100・0」であったとしても、お引き取りいただくには、
気持ちよくお引き取りいただかないと、このケースのように尾を引き、
経営そのものが成り立たなくなる。
非常に残念だ。

「戦の勝利」より「利益」を求めよ…
これは孫子の「兵法」の考え方である。

また、
「およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、
十分を以って下と為す。
その故は、五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、
十分は驕りをするが故。
たとえ戦に十分の勝を得るとも、
驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり。」
と述べたのは武田信玄だ。

意訳するに、
「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」

ある人がこれについて、その理由を信玄に尋ねたところ、
「五分の勝ちであれば今後に対して励みの気持ちが生じ、
七分の勝ちなら怠り心が生じ、十分つまり完璧に勝ってしまうと、
敵を侮り驕(おご)りの気持ちが生まれるからだ」
と言ったという。

よって信玄は常に程々以上を超える勝利は求めなかった。
上杉謙信はこれを評し、
「いつも自分が信玄に及ばぬ所は実にここである」と言ったという。

解雇も、会社と労働者の条件闘争だ。
労働基準法に定める「解雇予告手当を支払えばよい」
等と、タカをくくっていてはいけない。
とんでもないしっぺ返しを食らう。

相手に気持ちよくお引き取り願うために、どうすればいいか。
いつもそのことを念頭に置き、行動しなければならない。

【昨日の御礼】
保護犬・保護猫のクラファンのブログ記事を掲載したところ、
ご賛同いただいた方がいます。
マサさん、ありがとうございました。

保護犬・保護猫のクラウドファンティング

保護犬・保護猫のクラウドファンティング

「クラウドファンティング」という言葉を耳にしたことはあったが、
実際、自分が参加するのはこれが初めてだ。

外出先から帰宅すると、ポストに入っていた郵便物がきっかけだった。
送り主は、ライフボート
保健所からの救命専門の保護犬・保護猫シェルターで、
20年以上にわたって活動し、20,000頭以上の里親探しの実績があるという。
この団体は、少ない資金で、愛情をもって動物たちの命をつないでいる。
しかし、物価高騰の折、
資金難に陥ったため、協力を仰ぎたいという内容だ。

私は、この団体とご縁が深い。

最初は2018年11月、マロ眉の犬を譲り受けた。
先住犬と仲良くやっていたのだが、
2020年10月、
心無い人間に、毒まんじゅうを食べさせられ死んだ。
人懐こくて、かわいい盛りだった。
約1年に亘り落胆し、喪に付していた。
これを機に、防犯を強化した。

かいへありがとう_201022_12

そして二度目、2021年11月、
ライフボートの里親探しのコーナーで、
マロ眉の似た子犬を見つけた。

カイ二世

最初の子が戻ってきたようだった。
すぐさま申し込みをして、譲り受け、現在も元気にしている。
就業規則のセミナーでは、2年ほど前のパンフレットにも登場してもらった。
この子も人懐こくて、たまらなくいい子だ…と親バカぶりを発揮している。

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このような関係で、「ライフボート」とはご縁が深い。
いわば、養子縁組した息子たちの実家なのだ。
(蛇足だが、向えの家も、ここから保護犬の譲渡を受けている。)

今回の「クラウドファンティング」は、
目標額と、参加の期限を定め、
期限内に目標金額を超える寄付が集まると、
団体がその寄付金を使用することができ、
目標を達することができなかった場合は、
出資者に返金されるという仕組みのようだ。

様々なコースが用意されていて、
インターネットで申し込みをすると、
コンビニ払いができる。
私はローソンの、「ロッピー」を利用したが、
店頭で、先のインターネットで示された
申し込みの番号を入れると、払い込み用紙が印字される。
30分以内にレジで支払うと、寄付が完了するという、
実に簡易迅速な支払い方法だ。便利な世の中になったものだ。

「クラウドファンティング」のHP上には、
参加者の名前(匿名が多い)と、
支払った日付が、応援メッセージとともに掲載されている。
昨日だけで300人以上が参加して、
目標金額の60%以上が集まっている状況だ。
あともう少し。ガンバレ!

私と同じように、子供たちの実家を心配している人が多い。
かけがえのない縁を結んでくれた団体には感謝しかない。

犬と猫の保護活動に関心があるかたは、
是非、協力していただきたい。
少しでも多くの子供が、幸せな家族と巡り合えるよう、
よろしくお願いします。

開花の遅れで苦境…伊豆に春の訪れ告げる河津桜まつり 開催期間の延長決定も新たな悩み 翻弄される関係者

開花の遅れで苦境…伊豆に春の訪れ告げる河津桜まつり 開催期間の延長決定も新たな悩み 翻弄される関係者(テレビ静岡)

早咲きの桜、本家本元の河津桜の「河津桜祭り」は、
毎年大勢の観光客でにぎわう。

青い空、何処までも続く薄いピンクの、満開の河津桜。
足元には、黄色い菜の花と、そのコントラストに春の訪れを感じる。
写真からではわからないが、花の甘い香りと、春の柔らかな日差し、
いくぶん凛とした、しまった空気は、その地に足を運ばなければ実感できない。

だから、人はこぞって、その時期を狙って彼の地を訪れる。
バスツアーなども組まれ、多くの人が首都圏からも繰り出す。

しかし、今年の冬の冷え込みは、早咲きの桜の開花の時期を遅らせているという。
2月1日から始まった桜祭りだが、20日を過ぎ、漸くちらほら咲き始めた。

河津はこれといった産業もなく、桜のこの時期に勝負をかけているという。
確かに、HPも充実していて、圧巻なのは、
各地に設置された、ライブカメラで、開花状況が確認できるという点だ。

それゆえ、早くから例年の開花時期(2月中旬)に宿泊を予約した人が、
今年は多くキャンセルしたという。
そして、開花予想を見据えながら、その時期に予約しなおす人もいるが、
早咲きの他の地へ、流れた人も多いと聞く。

こればかりは天気任せ、気候任せ。
人出を見込んで、遠隔地から露天商が多くやってきているようだが、
長期化する祭りに観光客は有難いが、
運営側は客がいないにもかかわらず滞在費がかさみ、費用対効果が薄くなる。

遅ればせながら、桜も満開の時期を迎える。
ライブ配信で、リアルタイムのお花と決め込むことにしよう。

古着を売って大金持ちに?――下北沢で夢見る若者の希望と過酷な現実

古着を売って大金持ちに?――下北沢で夢見る若者の希望と過酷な現実 #ザ・ノンフィクション #ydocs(フジテレビドキュメンタリー)

古着にどうしてこれだけの価値を見出すことができるのか。
一着、数百万円の価値。

昨日、パソコン教室の映像授業で、
いみじくも、講師が同じような話をしていた。
この講師は、パソコン教室の講師になる前、
様々な職業を経験してきたという。
子供の頃は相当な貧乏で、軍手を縫製する母親の内職を助け、
料理、裁縫、選択…家事一切を引き受けたというからそれだけですごい。
高度成長期、小学生だった先生は、学校中、誰も着ていない、
つぎはぎの当たった服を着ていたという。
金がないから買えなかったのだ。

そして時を経て、大学を出てから、
建築メーカーの営業、魚の行商、アパレル、
商品は、都会での型落ちや、サイズ残り等、訳あり商品を安く仕入れ、
地方で高く売って設けたという。
そして、今の、パソコン教室の経営は大当たりだ。
どの職業の経験も、今の先生の血肉になっている。

全国約200カ所、イオンや、イトーヨーカドーなどのスペースを賃貸し、
パソコンと映像が視聴できるディスプレーを置く。
生徒は、自分のレベルに合わせて、3000件以上の講座の中から必要なものを選び、
オリジナルの教科書を購入し、
それに沿った講師の映像授業をヘッドホーンをつけながら学習する。
視聴後は、知識の定着を確認する問題を解く。
理解がおぼつかないところは、各教室に配備された、
インストラクターが指導する…といった形式だ。

パソコン初心者のシニアが実に多い。
何を隠そう、私もその一人だ。
今まで学ぶ機会はあったものの、なかか独学では続かなかった。
忙しくても、その場所に出向くということ、強いることが、継続の秘訣といえる。
パソコンを触っていると、苦手意識がなくなるのは不思議だ。

と、その講義の中で、古着の話である。
自身が、子供時代、貧乏で買えなかったから、
破れた個所をつぎはぎして加工した洋服と同様の古着が、
今、ブームになっているという。
1着、数百万円の代物だ。
自身がパソコン教室をたたんだら、
今度は古着商売に転職してもいいと話していた。

新品の洋服を買ってきて、油と砂でダメージを与え、
わざと割いたところを縫って、あて布をして、
古着用に加工すれば出来上がりだそうだ。

そのような話を聞いた後、この動画を目にした。
一攫千金の夢を求めて、若者が奮闘するも、
なかなか思う通りにことは進まない。
一日一食でも、貯金が無くても夢を追い続ける。
諦めなければ、失敗ではない。

成功している店と、じり貧の店とでは、
何が異なるというのだろうか。
センス、人生観、人間関係、
すべてにおいて、成功者に学ぶところが大きい。

うまくいかなかったことは、それも経験である。
次は、それ以外の方法を試せばいい。
何もしないで引きこもりを続けるより、
何かにチャレンジするほうが人間らしい。

求めていると、情報は集まってくるものだ。

「内部告発なんてしなければよかった」公益通報後に解雇や異動…障がい者施設で勤務の3人“不当な処分を受けた”と訴える 

「内部告発なんてしなければよかった」公益通報後に解雇や異動…障がい者施設で勤務の3人“不当な処分を受けた”と訴える 施設側は「報復の可能性はない」と主張(MBSニュース)

犯罪行為を内部告発したために、
自身の地位が保全されなくなるのでは、
職場の改善は望めない。

虐待を受けている施設利用者がいるという事実。
それを告発することが、「業務のより円滑な運用に処するため」との理由で、
懲戒処分の対象になるのだろうか。
「業務中の言動について自治体による虐待事案調査が行われている」
ことをして、他のルートで告発することはご法度なのか。

建前はあくまで建前であり、
制度が機能していなければ被害者の施設利用者は救われない。
そもそも、何のための施設であるのか?
障害者の方の幸福に資することが、施設の目的ではないか?

前回のトナミ運輸事件でもそうだが、
自分に不利益が及んだとしても、
見てみぬふりができない、正義感の強い人がいる。
そうした貧乏くじを引く人がいるから、
かろうじて社会が回っているといっても過言ではない。

正義を貫く人は、正しいことを言うために大きな犠牲を払う。
「セイギ」は、「ギセイ」の裏返しだ。
周囲はその犠牲を正しく、畏敬の念をもって評価しなければならない。
誰もが納得できる住みやすい環境を、
コミュニティーを構築するため、不断の努力が必要だ。

「内部告発なんてしなければよかった」
気持ちはわかるが、決してそんなことはない。
勇気をもって事実を伝えたことは、社会を動かすきっかけになった。

過労死防止も、ハラスメント防止も、育児介護休業の充実も、
「おかしい」扱いを受けた当事者が、
声をあげたことによって整えられてきている制度である。
先鞭を切る人には、それなりのご苦労があるが、
その人たちの行動が、未来の同種事案を防止していることを忘れてはならない。
称賛されるべき善行である。

【生き埋め】82歳女性が除雪中に屋根から落ちた雪の下敷きに…

【生き埋め】82歳女性が除雪中に屋根から落ちた雪の下敷きに…灯油の配達業者が異変を察知し敷地内を確認すると雪の中に長靴が…掘り起こすと雪の中で仰向けで倒れる女性を発見し救助 北海道秩父別町(UHB 北海道文化放送)

「九死に一生を得る」とはまさにこのこと。
運が良い女性である。
今年の寒波はいつになく過酷だが、
雪に慣れているはずの人でも、
特に高齢者にとってはなおさらだ。
関東はこのような労苦がなく、
申し訳なさを感じる。

寒さだけならいざ知らず、
雪は殺人的な量に降り積もる。
屋根の雪かきを怠ると、建物が潰される。
高齢者の家も、容赦なく降り積もる。
間断なくこの作業をしなければならない、
と考えると想像を絶する。

来週からは寒気が緩むと予想されている。
今年は例年にない、寒波の到来が多かっただけに、
切に春が待ち遠しい。

伊藤詩織さん元代理人 アカデミー賞「取るかどうかは関心ない。ただ、使用した映像について必要な説明を」

伊藤詩織さん元代理人 アカデミー賞「取るかどうかは関心ない。ただ、使用した映像について必要な説明を」(東京新聞)

この問題は、何処まで行っても波乱含みだ。
3月2日のアカデミー賞の発表を控え、周辺があわただしい。

論点はいくつもある。
まず、伊藤詩織さんに対して、男性側の性加害の事実があったのか。
日本の捜査機関は、法にのっとり、正しい捜査をしたのか。
伊藤詩織さんが声をあげたことに対し、
インターネット上で発せられた意見が、名誉毀損に相当するか。
伊藤詩織さんが加害者の男性に対して、公にした発言が名誉毀損に当たるのか。
伊藤詩織さんが制作した今回のドキュメンタリー映画に、
裁判上に限定したはずだった、証拠の使用が反故にされた件につき、
法的責任が問えるか。
ざっとこのようなことだろう。

今回は、事件発生当初から伊藤さんの代理人を務めた女性弁護士らが、
彼女らの代理人とともに、記者会見という形で、
実名、顔出しで、最後の論点につき、一石を投じた。

世界の耳目を集める「ドキュメンタリー映画」は、
どのような意味があるのかを考えなければならない。
そうしなければならなかった背景が、
何処にあるのかを考えなければならない。

正攻法で問題が解決しているのであれば、
時系列において、刑事事件の段階で、
既に終わっていただろとされる案件である。

おそらく、その段階で何らかの不当な力が働いたために、
波紋がどんどん大きくなっていった。
問題が、日本から、世界に広がった。

しかし、正攻法で行われていないことに対して、
同じく正攻法でない手段を用いて公然と事実を流布していいかというと
それは、手放しでは賛成できない。
正攻法でない手段を用いなければ、真に、人権が守られなかったのか。
他に代わるべき方法がなかったのかが焦点となるのだろう。
正当防衛の論理の延長である。

約束を破られた女性弁護士らは、今後弁護士として活動していくために、
自らの潔白を社会にアピールしておかなければならない。
倫理観の部分で、クライアントの信頼を得られなくなるなるから
黒白をつけておかなければならないのは当然だ。

しかし、事件の全体像を見ると、
伊藤詩織さんの表現方法に理解できないこともない。
表現の自由、真実の追及において、
ノンフィクションのリアリティーを突き詰める、
インパクトを求めるのであれば、
差し替えではなく、裁判から門外不出のはずの証拠が勝る。

この件について、伊藤さん側は過ちを認め、公に謝罪している。
新たに、問題部分の差し替え版も制作したという。

3月2日のアカデミー賞の発表を目前に控え、
再び、メディアの俎上に上ったこの一件。
吉と出るか、凶と出るか。

今日の見方は、明日の敵。

いずれにしても、元代理人に対しても、巷間の耳目を集めたことだけは確かだ。
「アカデミー賞を取るかどうかは別」として、
遵法精神を貴ぶ弁護士として、人々の記憶にインパクトを与えた。

トナミ運輸事件(富山地判平成17.2.23)と、「公益通報で報復の法人に3千万以下の罰金、決定者に拘禁刑も」

内部告発等を契機とした職場いじめと会社の法的責任(明るい職場応援団)
トナミ運輸事件(富山地判平成17.2.23)
この判例は、内部告発のにおける、
不利益処分に関するリーディングケースとなる事件である。
資料として読んでしまうと、なかなか親近感がわかないが、
再現映像として視覚的に訴えた番組を見て、
「正義がいかに犠牲を払うか」、深く腑に落ちた。

事件の詳細は、厚生労働省が運営するサイト、
「明るい職場応援団」に譲ることとする。

昨日放映された、「アンビリーバボー」
は、この判例の原告である男性が、78歳になった今を語るシーンを含め、
31年間、会社の不正を告発しつつ、閑職に追いやられても主張を曲げずに、
定年退職まで勤め上げた経験を、再現映像で仕上げていた。

過酷である。
ビジュアル化されると、より切実である。
周囲と隔絶された職場環境におかれ、仕事は取り上げられ、
ただひたすら、草むしりを命じられる31年間。
暴力団を使ってまで退職が強要されるなど、
受けた精神的苦痛は、当然に受忍の限度を超える。
何年たっても昇給はされず、平社員のまま経済的にも窮地に追いやられる。
正義を正しく主張するために、
本人は勿論のこと、それを支える家族も、大変な忍苦を強いられた。

そして、定年を5年後に控えた55歳当時、
二人の子供が、大学を卒業したことを機に、会社提訴に踏み切った。
そして、勝訴し、会社に約1047万円損害賠償を認めさせた。

しかし、31年という長きにわたる、
嫌がらせの穴埋めをするには、決して多くない金額だ。

翻って、「公益通報で報復の法人に3千万以下の罰金、決定者に拘禁刑も 政府案
本日の、朝日新聞に見出しが躍る。

確かにトナミ運輸事件のような場合、会社の責任は重い。
この判例を端緒として、公益通報保護法も施行された。

しかし、本来、雇用の契約は、
民事で解決すべきなのではないかとの疑問が残る。
確かに、立場を利用した、行き過ぎた公益通報者への報復は、信義則に反する。
報復される人を見れば、周囲が内部告発をした場合、
自分も同じような目にあうのではないかと、
委縮するのは当然だ。
刑罰を科すことには、会社への抑止力が働く。

しかし、「公益通報で報復」に刑罰を適用するのではなく、
その手段において、刑法を科すことはできないのだろうか。
例えば、労働契約と異なる、義務なきことを、長期に反復して命じれば強要罪、
退職を強く迫れば、強要罪・脅迫罪。

「公益通報で報復」と表現すると、会社の悪意が明々白々の場合とみてとれるが、
反対に労働者が悪意を持って公益通報に名を借りて通報する、
告発事実がグレーゾーンで、労働者が曲解・誤信して行った通報の扱いなど、
会社が経営に必要な判断まで、過大に消極化させる、
過度な抑止につながらないのだろうか。

悪質な会社もあるが、
悪質な労働者がいることも視野に入れなければならない。

刑罰は、人権を制限する国家の強制力である。
その適用については、限定的に、かつ慎重な対応が求められる。

「安全管理いつも厳重なのに…」3人死亡の福島 温泉街に走った衝撃

「安全管理いつも厳重なのに…」3人死亡の福島 温泉街に走った衝撃(朝日新聞社)

温泉は、大地の恵みだ。
全国各地にある温泉宿に宿泊することに、
誰もが高揚感を持ち、心身ともに癒される。
泉質の良い大きな露天風呂につかり、
ご当地の名産品に、地酒に舌鼓を打つ。
至れり尽くせり。
何もしない静かな時間がゆったりと流れ、
日頃の喧騒のなかでは見落としがちな、
自分との対話を心ゆくまで楽しむ。
非日常の体験は至福のときであり、
明日への活力につながる。

そうした客の満足度を陰で支える、
旅館やホテルの従業員のご苦労は、なかなか目に見えない。
温泉は、客室露天風呂付きの「源泉かけ流しがいい」
などと、金に糸目をつけなければ、贅沢を言うものだが、
温泉は自然の恵みであることから、
人間がコントロールすることの難しさを、
今回の事故で改めて認識する。

源泉かけ流しの硫黄泉では、源泉管理は必要不可欠だ。
その管理のために、出向いた人が、
硫化水素で命を落とすことがあるなどと、
浅学である湯治客は予想だにしない。

硫化水素は、大気より重たい気体のため、
風のない状態が続いた窪地などで硫化水素が充満すると、
事故につながるという。
つまり、冬、積雪により、窪地ができると、
無風状態であるため、思わぬところで事故が起こるということらしい。
よって、夏より冬の事故が多いという。
「雪景色の露天風呂」、ロケーションとしては最高だが、
従業員のみならず、宿泊客もその点を十分認識して
湯治に出かけなければならない。

くわえて始末に負えないのは、この硫化水素、目に見えない。
濃度が低ければ、例の「腐卵臭」で気付くことも多いが、
高濃度になると無臭になるという特性を持つという。
そうすると、通信機器を持参して、三人一組で行動したところで、
今回の事故のように運が悪いと、全員が動けなくなってしまうのだ。
つくづく、硫化水素の恐ろしさを知る。

安全・安心と、危険は表裏一体。
業務遂行中にお亡くなりになった方々に
合掌。

【独自】まるで“車の墓場”…公道に100台以上の「路駐車」が放置 タイヤ盗まれ中に大量の粗大ゴミも 多くが「営業ナンバー」の理由とは? 東京・江東区

【独自】まるで“車の墓場”…公道に100台以上の「路駐車」が放置 タイヤ盗まれ中に大量の粗大ゴミも 多くが「営業ナンバー」の理由とは? 東京・江東区(FNNプライムオンライン)

公道が、不要になった車の廃棄場所であってはならない。
誰かが、軽い気持ちか、廃棄手続きを免れるために放置する。
人がやっているのだからと、真似る者が出る。
大勢の人がやっているのだから自分もと、追随する…。

その結果が現状なのであろう。
行政は何をしているのだろうか?
江東区にゆかりのある人間として、残念な限りだ。

昨日も、会食で顧問先の相談役と話したばかりだが、
まさに「割れ窓理論」である。

割れ窓理論とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、
凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論とされる。
アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案した。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、
誰も注意を払っていないという象徴になり、
やがて他の窓もまもなく全て壊される」
との考え方からこの名がある。

ニューヨーク市の例が象徴的だ。
同市は1980年代から
アメリカ有数の犯罪多発都市となっていたが、
1994年に検事出身のルドルフ・ジュリアーニが
治安回復を公約に市長に当選すると
この理論を応用しての治安対策に乗り出した。

落書き、未成年者の喫煙、無賃乗車、万引き、
花火、爆竹、騒音、違法駐車など軽犯罪の徹底的な取り締まり
ジェイウォーク(歩行者の交通違反)やタクシーの交通違反、
飲酒運転の厳罰化、路上屋台、ポルノショップの締め出し
ホームレスを路上から排除し、保護施設に強制収容して労働を強制する
などの施策を行ったとされる。

徹底した治安の維持が、
健全な街を形作ることを実証した好例である。

粗大ごみの撤去には、金がかかり、人手もいる。
小さいうちに芽を摘まないと、
これだけ大量の粗大ごみを集める結果になる。
当然のことながら、解決にも時間がかかる。

誰が主動するのか。
地方自治体か、警察か、住民か…。
皆がやらない、誰かがするだろうと考えていると、初動が遅れる。
しかし、いずれはしなくてはならない。

「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」

明治から昭和にかけて活躍した、彫刻家、
平櫛田中の言葉が思い浮かぶ。

人任せにせず、誰もが自ら率先したら、
景観がよく、治安のよい町に住む、心地よさを味わうことができるだろう。

これは、粗大ごみに限らない。
家庭でも、仕事でも、地域でも、すべての場面で求められる資質である。

東京で飛ばした風船、どこまで行った? 児童のメッセージが結んだ縁

東京で飛ばした風船、どこまで行った? 児童のメッセージが結んだ縁(毎日新聞)

アナログな、人とのつながりにロマンを感じる人が少なくない。
環境問題を心配して、昨今、こうした行事がめっきり少なくなったが
えにしを体感できた子供達は、幸せである。
自身が働きかけたメッセージで、
全く知らなかった人とのつながりができる。
飛ばした多くの風船のうち、
たとえ、1割でも、反響があったことは、
子供たちの未来に大きな影響を与えたことだろう。

大きく打てば、大きく響く。
小さく打てば小さく響く。
勝海舟が評した、西郷隆盛の人物像である。

壁に強く投げたボールは、強く跳ね返り、
弱く投げたボールは、それなりに跳ね返る。
これを、「物理の法則」という。

「千三つ」は、この風船より確率が低いが、
マーケティングの領域において、
「1000件のうち3件の確率」、
つまり反応率が0.3%程度という意味である。

いずれにしても、何かをしようとしたら、
棚からボタ餅を決め込んで、
待ちの姿勢ではせっかくのチャンスを逃す。
積極的に動くことで、成果を得ることができる。
徹底した行動が、成功につながる。

ゼレンスキー大統領、欧州軍の創設提言 ミュンヘン安全保障会議(毎日新聞)

ゼレンスキー大統領、欧州軍の創設提言 ミュンヘン安全保障会議(毎日新聞)

ウクライナの戦争は何だったのか。
自国の領土を守るために、多くの国民が立ち上がった。
そして、アメリカをはじめ、欧州の多くの国々が、
その雄姿を支持してきたのではなかったのか。

これはあくまで、西側諸国の見方ともいえる。
ロシアにしてみれば…と言えば、
西側の脅威にさいなまれていたということになる。
ウクライナがNATOに加盟することを防がなければ、国防が危うい。

何方にも、それぞれの大義がある。
しかし、ウクライナはやはり「スケープゴード」である。

30年前の1994年12月5日、
ハンガリーの首都ブダペストで行われた式典でウクライナは、
ベラルーシやカザフスタンと共に、
アメリカ、イギリス、フランス、中国、そしてロシアからの
安全保障の保証と引き換えに核兵器を放棄した。

にもかかわらず、何のための保証だったのか。
今となっては絵空事で、虚しさしかない。
正直者が馬鹿を見るの典型だ。

国内法で、不法行為をすれば、刑罰で罰せられる。
損害が発生したら、民事で賠償責任を負う。
権威ある裁判所で、法秩序が保たれて、法治国家である。

それが、国際社会ではそうではない。
強い国が、弱い国を侵略する。
国際司法裁判所が機能していない。
国連も機能していない。
無頼漢の暴挙を抑止するスキムがないことを、
今回の戦争でより一層明確にした。

領土を侵略され、それを阻止しようとする国民の多くが殺害され、
外野が仲裁に乗り出し、当事国抜きに和平案を練る。
それを受け入れなければ、国際的に孤立するのか。
あまりにも哀れである。

再選を果たした、トランプ大統領は、やりたい放題といった感が否めない。
自国の中だけならいざ知らず、
メキシコ湾をアメリカ湾に変更、
ガザ地区や、グリーンランドを
アメリが所有するのが適当であるといった主張。
アメリカの権益を守るために、法外な関税をかける。
WHOからの脱退、パリ協定からの離脱。

自国ファーストは結構だが、
やっていることは、
ドラえもんの「ジャイアン」と変わらないではないか。
絶大な権力を持った、わがままかな子供だ。

その子供をなだめ、すかし、気を使い、
世界はご機嫌伺を余儀なくされている。

ウクライナの現状は、
明日の我が国を見ているようで、実に切なくなる。
何のための戦争だったのか、何のために多くの犠牲を強いたのか。
ベンサムが説く「最大多数の最大幸福」。

今の時代、それは、ノアの箱舟に乗ることを許された、
「アメリカファースト」を推し進める人たちの幸福を意味するのだろうか。

春はすぐそこ

先日の強風は、春一番ではなかったそうだ。
関東地方では、春一番が次のように定義されている。

関東地方における「春一番」は、
下記事項を基本として総合的に判断している。
立春から春分までの間で、
日本海に低気圧があり、(発達すれば理想的である)
関東地方における最大風速が、
おおむね風力5(風速8m/s)以上の南よりの風が吹いて、
昇温した場合

確かに、まだ13日は確かに寒かった。

春はいずこに。
…とはいうものの、周囲では春が芽吹き始めている。
気を付けて注意深く見てみよう。
ここにも、あそこにも。

恥ずかしそうに、寝ぼけまなこの春があくびをしている。

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強風で飛ばされ、個人情報含む書類紛失か 宮城県職員が台車で運搬中

強風で飛ばされ、個人情報含む書類紛失か 宮城県職員が台車で運搬中(朝日新聞社)

とにかくすごい風だった。
電車は遅延する、砂ぼこりは半端ではなく目を開けていられない。
剪定されていない街路樹は大きくかぶりを振り、枝が右往左往していた。
茨城・常総市などで火災、強風にあおられ燃え広がり、多くの人が避難した。
これが今年の春一番だ。

…と、その様な中、台車で、
個人情報を含む書類の異動が必要だったのだろうか。
結果論だが、わざわざ強風の中を移動しなければならない必然性と、
風の穏やかな日に、その職務を延期する柔軟さと、何方が勝るのかの問題だ。
当然に後者に軍配が上がる。

私たちは、日々、「選択」の中で過ごしている。
朝起きて、何を着るか、何を食べるか、
誰とランチをするか、仕事帰りに何をするか、どのような本を読むか、
週末は何をして過ごすか…
今の自分は、過去にした数多の選択の結果であると言っても過言ではない。

多くの選択をしていると、大概のことは察しが付く様なる。
結果の予測だ。
道路に穴が開いていれば、当然に避ける。
わざわざ落ちに行く人はいない。
大雨の日、用事もないのにわざわざ身の危険を冒して外に出る人はいない。

…と考えると、猛烈な風が吹いている日には、
台車での移動を控えようとの発想が浮かばなかったのだろうか。
一つ判断を間違うと、その後片づけに、多くの人の手を煩わすことになる。
大切な書類を紛失することになる。

人間だから、選択を誤ることもある。
しかし、通常、予測できる結果は、
回避措置を講じなければならない。
管理者は、そうした回避措置が義務化される。

使用者ならば、労働者に対する安全配慮義務。
つまり、労災などにあわないよう、
安全に仕事を遂行できる環境に配慮する義務。
道路や河川の管理者ならば、それらに対する安全配慮義務。
結果の予測ができたならば、補修をするなど、
その危険の結果を回避する義務がある。

適切な判断をするために、道理をわきまえなければならないことは当然だ。
そのうえで、「感覚」が試される。反射神経と言ってもいい。
上から物が落ちてきたら、ひょいと横へずれるだろう。
熱いものに触れれば、考えることなく手を引っ込めるだろう。
このように、ある事象に対して、どうすべきかを瞬時に判断する能力である。
結果の予測である。

もともと感が良い人もあるが、経験値が能力を高める。
実体験として、危機管理能力を自分の腑に落としていくことが肝要だ。