Archive for 12月 2024

泉ピン子 リアルな年金受給額を1円まで公開し大憤慨「税金払ってきて返してもらってない!」全盛期の驚愕ギャラも明かした

泉ピン子 リアルな年金受給額を1円まで公開し大憤慨「税金払ってきて返してもらってない!」全盛期の驚愕ギャラも明かした(デイリースポーツ)

一世を風靡した女優の年金額が高いか低いか。
1月4万円程度で生活をするのは大変だ。
現役時代、収入があれば、
それなりの生活をしてしまうのは致し方ない。
しかし、シニアになれば収入は激減するのだから、
若い頃から、それなりに計画を立て生活をしていくのが賢明だ。

ブランド物を持っていても、価値が上がる投資ならばいざ知らず、
流行に左右される商品は二束三文にしかならない。
ちなみに、価値があるはずの専門書も、
古本屋では二束三文だ。
しかし、古本屋では、
結構な値がついて店頭に並んでいるという皮肉。

企業戦士として24時間闘ってきた団塊の世代が、
今、シニアに回り、支えられる側に入った。
少子高齢化が進み、自身が現役世代には、上の年齢層を
大いに支えてきたにもかかわらず、
いざもらう側の立場になったら、受給者にとっての年金の改悪が進む。

政府の方針は、「税金は、金があるところから取れ」。
よって、富裕層とされるシニアは、際限なく税金を納めることになる。
頑張った人ほど税金が高いのでは、勤労意欲を削ぐ。
資本主義とは名ばかりで、実態は社会資本のそれである。

現役時代から、普通に働いて、普通に税金を納めてきても、
リタイヤしてから生活の安定が望めないことも少なくない。
そもそも、年金は、大家族でシニアの小遣い程度を想定している。
それを当てにして、単身、生活することは難しい。
歳をとれば、体に故障が出ることも多い。
その都度、医療費がかさむ。

資金運用も、今年、証券マンが立場を悪用し、
高齢者から金員を詐取し、最後は自宅を放火され、殺されそうになった事件があった。
メガバンクで、貸金庫に預けていた金品
10数億円が、行員責任者に盗まれる事件があった。
1軒やが、トクリュウに狙われた。
安易に闇バイトに参加して、多くの若者が将来をダメにした。
今年も、様々な事件があった。
自分の身は自分で守らなければならない。
人を当てにしてはならない。

今日は大みそか。
物価が高騰し、社会情勢は決して安泰とは言えない年だったが、
心機一転、今年の反省を踏まえ、
来年こそいい年にしたい。

バードストライクと誤射

鳥類警報を受けた2分後に「メーデー」宣言 韓国で事故の旅客機(TBS)

大きな航空機事故が2件続いた。
一瞬にして、多くの人の命を失う事故である。

韓国の航空機は、事故当初、
格安航空機であることが原因として取りざたされていたが、
どうやら鳥(バードストライク)が一因らしい。
え?鳥が原因?鳥で飛行機が墜落するのか?
と思うが、
調べてみると、これが深刻だ。

航空機におけるバードストライクは、
飛行中の安全性に重大な影響を及ぼし、
場合によっては致命的な事故を引き起こす可能性がある。
たとえば、エンジンに鳥が吸い込まれることによる損傷や、
機体の重要な構造部分への衝突が挙げらる。

内閣府HPによると、
「平成20年度 交通事故の状況及び交通安全施策の現況
平成21年度 交通安全施策に関する計画(概要)トピック 
航空機への鳥衝突(バードストライク)防止に向けた取組」
が掲載されており、
我が国においても、
年間1,000件を超えるバードストライクが発生しており、
特に離着陸回数の多い東京国際空港(羽田空港)においては、
我が国における発生件数の約1割を占めている。
…とのこと。

対策を講じてはいるものの、その内容は実にアナログだ。
一般的なバードパトロールは、
専従要員を空港に常駐させ、
年間を通じてパトロール(定期巡回)を行い、
銃器(実砲、空砲)、鳥類駆逐用煙火、
ディストレスコール・スピーカー(鳥が天敵に捕まった時に発する悲鳴)等
の機器を組み合わせて防除する方式。

これで本当に大丈夫かと、疑う。

いずれにしても、飛行機を利用する者にとって、
今回の事故は他人事ではない。

他方、アゼルバイジャンの方は、ロシアの誤射であり、
プーチン大統領が保障問題で四苦八苦しているようだ。
これも当初、バードストライクが原因として取りざたされていたが、
墜落機における機体の弾痕から、
ロシアが誤射を認めざるを得なくなった。

年末年始の休暇で、多くの人が移動する中、
大きな航空機事故に、震撼とさせられる。
予見可能な事故は、徹底的に回避措置を講じなければならない。

2024年に亡くなった日本や海外の著名人。鳥山明さん、中山美穂さん、小澤征爾さんらを写真で偲びます

2024年に亡くなった日本や海外の著名人。鳥山明さん、中山美穂さん、小澤征爾さんらを写真で偲びます(ハフポスト日本版)

多くの見慣れた顔が並ぶ。
活躍された方々が、鬼籍に入るのは寂しいものだ。(合掌)
健康に気を付けていても、不慮の事故で無くなる方もある。
定命である。
訃報に接し、残された命で何ができるか。

今を生きている私たちは真摯に考えなければならない。
命の証を残すため、日々、その瞬間を大事にしなければならない。

年の瀬、今年一年を振り返ろう。
この一年、何ができたか、何が足りなかったか。

そうした反省と検証のうえに、あたらしい年に何をすべきか。
計画を立てなければならない。

一年の計は元旦にあり。
今から準備を始めたい。

私たちの生活は、これまでの歴史を支えた、
数えきれない、人々のうえに成り立っていることを忘れてはならない。
私たちは、先人に感謝しつつ、今を生きなければならない。

結果回避措置を講じる能力

『頭部がたくさん並んでるよ』 女性医師の不適切投稿、統括院長が“3度目”謝罪も… 「もう遅いよ」「なぜ最初から…」炎上やまず(中日スポーツ)

「バレないと思った」インサイダー事件で在宅起訴の元裁判官 元東証職員は父にTOB情報

高学歴の堅い職業についている人間の倫理観が危ぶまれる。
前者の医師は、あえてする必要がない写真を、
しかもピースなどしてSNSに掲載をして炎上している。
これは、医師として、人間としての倫理観の欠如であり、
相手の気持ちや立場を思いやることができない愚行と言えよう。
誰しも死後、献体として遺体を拠出したならば、
遊び半分で扱ってほしくない。
だとするならば、それを扱う者は、どのように接しなければならないか。
当然、貴重なご献体は、その遺志を敬いながら丁寧に扱わなければならない。

また後者は、出向先でインサイダーに手を染めた裁判官である。
せっかく、エリートの裁判官になって、自らの愚行でその職を捨てた。
今後、刑期が終えても、二度と法曹の仕事には就けないだろう。
犯罪を裁く側の人間が、なぜこうした犯罪行為が「バレないと思った」になるのか。
元東証職員も同様である。

この人たちは、予見する能力、すなわち、結果回避措置を講じる能力を著しく欠いている。
人は、これをしたら、どのような結果を招来するであろうか…
ということを日常的に考えながら、
社会生活を行わなければならないことは必然だ。

道に大きな穴があいていたら、その穴を避けて歩くだろう。
見通しの悪い交差点では、周囲をよく確認してから進ろだろう。

この人たちは、自己顕示欲が強かったり、自己が特別な存在だったり
と過信し、あえて穴が開いた道を進み、陥穽に落ちている。

残念である。
確かに、勉強はできただろうが、
社会生活を営む上で必要不可欠な常識が欠落している。

双方ともに、学歴偏重の負の部分が、顕著となった事案だろう。

仕事納め

令和6年、今日が仕事納めの方も多いのではないだろうか。
今年も1年間、お疲れさまでした。
毎年、年の瀬に思うことだが、ことのほか過ぎゆく年は早い。

その瞬間の積み重ねが、1日になり、
1日の積み重ねが1か月になり、
さらにその1月の積み重ねが1年というわけだ。

つまり、その瞬間、瞬間を大切にすれば、
良い1年を過ごせないということになる。

考えること、興味を持つこと、行動すること。
時代が前進している分、停まっていては、後退あるのみ。

この年末年始、暦の関係で、
奇跡の9連休の人も多いのではないか。
今から、何をしようかといろいろ考えておられることと思うが、
連休は始まる前が一番楽しい。だから私は、花金、金曜日の夜が好きだ。

連休初日、開放感を満喫するも、
二日目、三日目となると、残りの日数が気になってくる。
「あと、○日しかない」と思うか、「あと、○日もある」と思うか、
人生の構えが思いに出る。

世界を見渡せば、戦争をしている国、悪政に苦しむ国
国内でも、天災によって
仮設住宅や避難を余儀なくされている方々がある。
今が苦境にある方は、「一陽来復」、
新しい年こそ幸せな一年になるよう、心から祈念する。
そうした中、いつも通りに、新たな年を迎えられる人々はなんと幸せなことか。

いずれにせよ、体調に気を付けて、
普段できないことを、貴重な時間に満喫していただきたい。

インバウンド急増…冬の絶景・銀山温泉で“観光公害”も 人口の85倍の旅行客に悲鳴 救急車も通れない大混雑 山形・尾花沢市

インバウンド急増…冬の絶景・銀山温泉で“観光公害”も 人口の85倍の旅行客に悲鳴 救急車も通れない大混雑 山形・尾花沢市(FNN)

外貨獲得のため、インバウンドの観光客は有難いはずだった。
しかし、人口の85倍、救急車も通れない混雑となると話は違ってくる。

今、日本の観光地は、何処も同じような状況を呈している。
それと同時にインバウンド価格で、宿泊料金も、飲食の価格も急騰している。
ホットドック1500円、イチゴ一パック1800円。ラーメン3000円。

日本人の感覚では、バカらしくて手が出ない。
しかし、彼らの世界では、十分通用する。

サービスの提供側は、手抜きしても、法外な値段でも、
それを受け入れる客の対応に慣れてしまうと、
インバウンドブームが去った後、
元のサービスに戻すことはなかなか難しくなるだろう。

地元住民は、この状態を甘受しなければならないのだろうか。
観光業の方は致し方ないとしても、
その他の住民の、普段の生活をする権利は保障されないのだろうか。

過ぎたるは及ばざるがごとし。
良し悪しである。

アマゾンの誤配(雑感編)

インターネットの普及で、人々の生活は格段便利になった。
家に居ながら、また出先でも、
インターネットやスマホを媒介して、知りたい情報が得られ、
欲しい買い物ができ、話したい相手と会話を楽しみ、
見たい動画を視聴でき、音楽を聴くこともできる。

一昔前の人からすれば、魔法の生活を手に入れたといっても過言ではない。
恋人といつでも話しをしたいから、1870年代ベルが電話を発明した、
鳥のように空を飛びたいから、1903年ライト兄弟が飛行機を作った。

いずれも、200年も前の話ではない。
随分と便利になった。

便利になった分、幸福度も比例したのか…というと、必ずしもそうではない。

対面販売での、楽しい会話がなくなった。
時候の挨拶や、気遣いといったコミュニケーションの枯渇があげられる。
簡単に手に入る分、物を大切にする気持ちが希薄になった。

そして、先の「アマゾンの誤配(顛末編)」で記したように、
外国人の労働市場の台頭で、文化の隔たりを感じるようになる。
「責任」の所在が不明確であり、
誤配などの誤りがあった際、
何処にその苦情を持って行っていいのか分り辛い。

今後、カスハラにかかる罰則規定が拡充されると、
企業側とその従業員は守られるが、
顧客側は、通常の苦情すら口にできなくなる嫌いがある。

売買は、有償双務契約である。
売主は顧客に対して商品を提供する義務があり、
同時に、顧客に対してその対価を請求する権利がある。
他方、顧客には、売主に対して商品の代金を支払う義務があり、
同時に売主に対して、商品を引き渡すよう請求する権利がある。
原則として、それは、同時に履行されなければならない。
お互いの債権債務が、表裏一体の関係である。

今回の、「アマゾンの誤配」の場合、
事前に代金を支払っていたので、
商品が届かず、最終的には返金されたという顛末であるから、
利用者とアマゾンの間に、それ以上の債権債務はない。

しかし、そこにたどり着くまでの、手間と時間と不安を考えると、
労多くして全く実入りなしである。
結局、欲しかった書籍を手に入れることはできなかった。

そこに、謝罪の一言を求めることは過大な要求なのだろうか?
つくづく世知辛い世になったものだと、嘆息する。

アマゾンの誤配(顛末編)

皆さんは、書籍の購入はどうしているだろうか?
書店の店舗数が減る中、
私の場合、古書を含め、インターネットで購入する比重が増えた。
最近、アマゾンで購入することも多い。

そのような中、気になるのは「置き配」である。
郵便受けに入れておいてくれればいいが、
入りきらない量の注文をすると、
平気で外に置いてあることがある。
配達に気づくまでの間、雨が降ってきたらどうするのか。
通りがかりの誰かが持って行ってしまったらどうするのか。
(もっも、持って行ったところで、法律の専門書では嬉しい人は少ないだろうが…)

先週のこと。
待っていた書籍(古本:4,000円程度)が、配達されたとのメールが届く。
ポストを確認すると、「ない」。
メールの配達状況を見に行くと、
見慣れない家屋の玄関先に、本を置いたことを記す写真が添付されていた。
住所は確かに間違いない。
しかし、家屋に見覚えはない。

これは困ったぞ…とばかり、連絡しようにも、
メールには、問い合わせ先の表示がない。
どうしたらよいものか。不安になる。

アマゾンのサイトを、くまなく探す。
なかなか見つけられない。
急ぎの原稿があるのに、焦燥感が募る。
30分程度、血眼になってサイトを探すと、
漸くオペレーターにたどり着いた。

事情を話すと、相手は入ったばかりといった日本人の若い女性。
「配送会社から連絡させます。しばらくお待ちください。」
とのこと。

声の感じからして頼りなさはあったが、
一安心で仕事に戻ると、早4時間。
連絡はなしのつぶて。

再度連絡をする。
今度の相手は、日本語のイントネーションがおかしい。
朝鮮名の女性だった。

事情を話すと、
「わたくしが責任を持って対応します。配送先に連絡をして再度ご連絡します。」
との回答。
ほどなく、返信があつた。
「配送業者に連絡したところ、調べて連絡をくれるということでした。」
…それでは、最初に振り出しだ。人の時間をどう考えているのか…

そこで、配送業者の連絡先を聞くと、規約で教えられないという。
それでは、
「少なくとも、商品が回収できたのか否か知りたい。
仕事に使用する書籍なので、本日中に再度連絡を取ってほしい」
旨述べると
「わたくしが責任を持って対応します。
配送会社に連絡をして、18時過ぎには必ずご連絡します。」

結局その日は、連絡がなかった。
軽々しく「責任をもって」は言うべきではない。

その翌日、再度アマゾンのカスタマーセンターに連絡を入れる。
今度は、中国名の男性だった。
この人も、日本語のイントネーションがおかしい。

昨日の韓国名の女性を電話口に出してほしいというと、
自分が「責任もって対応するので、私に話してほしい」
と言う。不承不承、3回目になる事情を話すと、
「配送業者に連絡して折り返します」
というので、30分以内に、相手に連絡がついてもつかなくて、
進捗状況を返信してほしい旨述べる。

30分後、中国名の男性から連絡が入る。
「商品の所在を確認してから、配送業者から連絡させます」
おいおい、それでは最初と同じだろう。仏の顔も三度迄。

そこで、「責任者を出してほしい」旨伝える。
そうしたところ、相変わらずおかしなイントネーションで、
「責任者出したところでダメね。私と同じことしか言わない。」
おいおい、これがカスタマーセンターか?
「責任」の意味をどう考えているのか?

その後、配送業者から連絡が入ったものの、その時点で書籍の所在は不明、
これから確認に行くとのこと。
半ばあきらめの境地で、その報告を待っていたが、
4時間後、結局、確認が取れない旨の連絡。
いよいよ置き配の荷物は、行方不明となった。
そして最終的に、確認が取れない場合、返金か、再度、代替品を配送との案内がされた。

労多くして、実りの無かったこの一件は、
誤配から4日目、謝罪の言葉もなく、返金手続きがされて幕引きとなった。
商品の注文から14日後のことである。(続く)

安楽死に、賛成か?反対か?

独りで戦い、生き抜いた――〝安楽死〟した日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境 (TBS)
苦痛に悶えながらも安楽死に反対——難病ALS患者が命を懸けた訴え、生きたいと思える社会を目指して(TBS)

誰の身にも、確実に訪れる「臨終」の問題。
2つの記事は、「死ぬ権利」をどう考えるか、
大局的な生きざまの提案である。

健康で若々しく、家族や多くの仲間に恵まれ、
打ち込める仕事があり、経済的にも安定していれば、
誰しも「生」を諦めたいとは思わないだろう。

しかし、様々な事情が生じたとき、
人は一様に強くいられるのだろうか。
当事者でない私は、想像するしかない。
病気になったとき、疑似体験はできるにしても、
人生と同じく、それぞれの事情でしかない。

生きる権利もあれば、将来を断念する選択肢も否定できない。
ただし、その断念の理由が、経済的なこと、
家族への迷惑ということであってはならない。

この世に生を受けた以上、自死することなく生き切るのが大原則だ。

不可抗力のアクシデントである、難病や事故で、
身体の自由が利かなくなる不幸は、誰の身に起こってもおかしくない。
社会が、そのリスクを回避できなければ、
国家として成熟しているとは言い難いだろう。

しかし、今、我が国を見回すに、
年金生活者の高齢者が、シングルマザーの女性が、子供が、
必ずしも、健康で文化的な生活を保障されているとは言い難い。
財源が枯渇していると同時に、寄り添うマンパワーが圧倒的に不足している。

そうした延長上に、難病患者の対応もある。

日本の病院王と呼ばれ
国内に大規模な医療機関・医療事業グループを次々と築いていき、
衆議院議員としても政治に関わった徳田虎雄氏は、
2002年頃に筋萎縮性側索硬化症 (ALS) を発症して
政界から引退したが、
病床から徳洲会グループ全般へ指示を続け、
今年7月、86歳で亡くなっている。

こうした方は異例中の異例で、
一般の人はALSに罹患してから22年も活躍できないだろう。

しかし、それが一般である社会が理想だということである。
個々の権利を尊重しつつ、
誰しもリスクがある事柄に対し、等しく対応できる福祉国家。
それが究極の理想である。

それにしても、正解を見つけにくいこの問題を
正面から取材しているTBSの記者は、
当事者と直接面談している分、考えることが多いと思う。
過度に感情移入せず、適切な距離感を保ち、
ハガネのメンタルで臨んでもらいたい。

理研、雇い止め対応変遷 事実上の「無期転換封じ」に訴訟相次ぐ

理研、雇い止め対応変遷 事実上の「無期転換封じ」に訴訟相次ぐ(毎日新聞)

労働者が、その地位の安定を図りたいのは当然のことである。
企業も、営利目的の集団であるため、
余剰人員を抱え込むことはできない。

技術従業員は、画期的な新製品の開発のため、
同会社にとって必要不可欠な存在だろう。
しかし、新商品の開発につながらない、
会社に利益をもたらさない技術者は
余剰人員のレッテルが張られる。
他の業務に転用できればそれに越したことはないが、
会社は、使い道がない人材を雇用する義務があるのか、
非情のようだが大きな疑問が残る。

今回の場合、雇い止めが肯定されたわけだが、
労働組合の働きかけによって、この雇用上限は23年4月1日から撤廃されたという。

一昔前のように、企業にとって都合の良い、
雇用の調整弁たる有期雇用職員は想定されていない。
かといって、家族的な終身雇用制も、今や死語である。

他方、多様な能力が発揮できるよう、兼業も奨励されている。

長時間労働の上限を定め、短時間労働を推奨しながら、
兼業は推奨する。
通算労働時間の適正化は、
誰がどのような責任の下、管理、判断するのか。

近時、兼業で初めて、心理的負担「総合判断」され、過労自殺が労災認定とされた事案がある。

労働環境を俯瞰するに、
政府の政策において、相容れない立場が混在しているよう思えてならない。

杉良太郎が中学生と質疑応答 福祉活動で投じた私財30億円に「なぜ自分で使わないのか」と聞かれ、活動の原点に言及

杉良太郎が中学生と質疑応答 福祉活動で投じた私財30億円に「なぜ自分で使わないのか」と聞かれ、活動の原点に言及 (サンケイスポーツ)

「金は天下の回りもの」とはいうが、
ボチボチ蓄財している人は、吝嗇家が多い。

地元の名士で、資産家が、
友人と食事をしても驕ることはなく、御馳走になるばかり。
洋服はと言えば、ワイシャツの襟や袖が擦り切れるまで着る。
当然、周囲からの評価は芳しくない。
「ケチ」の一言に尽きる。

金は、使い方によって、「生き」もすれば「死に」もする。
その点、杉良太郎氏の使い方は「凄い」。
篤志家である。

「篤志家」とは、
「慈善事業や奉仕活動などを熱心に行う人」のことである。
親切な志を持ち、他人に対しての奉仕活動に積極的に協力し、
率先して実行することを指すが、
その他、困っている人のために寄付をする人を直接的に表す言葉でもある。

華やかな芸能活動の裏側で、
過去も、ベトナムのハノイのバックラー孤児院の子ども全員、
152人を里子にしたことが報じられていた。

中学生らは、氏の話を聞いて何かしら心に響くものがあったに違いない。
間違っても、クリスマスプレゼントを買うために、
闇バイトに応募するような愚行はしないだろう。

「裸参り」男衆の不足で中止に… 『人口減』と『高齢化』を背景に岐路に立つ伝統行事「何とか続けて来年は…」存続の道を模索しながら新たな年へ 

「裸参り」男衆の不足で中止に… 『人口減』と『高齢化』を背景に岐路に立つ伝統行事「何とか続けて来年は…」存続の道を模索しながら新たな年へ 青森県深浦町(青森テレビ)

『人口減』と『高齢化』は、地方都市の共通課題である。
伝統行事が存続できなくなるのは寂しい限りだが、
人手がなければどうしようもない。
できることを、できるようにするしかないということになる。

その点、宮崎県の都城市は健闘している。
ふるさと納税を財源に、移住者に支援金を払い、
人口増加につなげているという。
問題は、移住者がどこまで定着するかだ。
住めば都ではあるものの、魅力がなければ人は去る。
行政は住民にとって魅力ある施策を打ち出し、
けん引していかなければならない。
同時に、住民が自身のコミュニティーとして
自治に参画するようになれば本物である。

移住支援金は、あくまで誘因であり、今後の展開に目が離せない。

川崎麻世 曲がった瞬間取り締まり 現場目撃し「左折禁止でウインカー…何故注意してあげず捕まえるんだ」

川崎麻世 曲がった瞬間取り締まり 現場目撃し「左折禁止でウインカー…何故注意してあげず捕まえるんだ」(スポーツニッポン)

ご説、ご尤もである。
人には誰にも間違いがある。
事前に間違えそうな人を見かけたら、諭すのが筋だ。

私も似たような経験を持つ。
そこは、午前と午後とで、一方通行の方向が異なる。
病院への見舞いの帰り、
前回、職員に運転してもらった午後は、左側への通行可能だったため、
その日、午前中、自身の運転する車で同じように左折したところで捕まった。
日ごろ使っている道なら間違えることはないと思うが、
不慣れな道かつ、標識のみで
イレギュラーな一方通行を判断するのは至難の業だろう。

しかも、交差点の左前方に交番。
その前で、警察官が交通整理をしていた。
左折する意思表示をすべく、
ウィンカーを出していたにもかかわらず、
信号停止の時点では何も注意されず、曲がったとたんに取り締まられた。

酷い話だ。
これで、私の場合、罰金と、高齢者の痴ほう症の検査の義務付け。

ところで、都道府県の各警察には、反則金の収入が予算化されている。
この反則金を当て込んで、ガードレールやミラーの設置がされるという。

予算があるということは、
その金額まで反則金を確保しなければならないということだ。
現場は、ノルマ達成のため、血眼になる…。

よって、目の前で、今まさに反則を犯しそうな車に対して、
注意せず、ノルマ達成のために布石を敷く。

何のための反則金か…
本末転倒である。

京都「この日本語が読める方はご入店ください」飲食店の貼り紙が物議…使用言語による“差別”は法的に許容される?

京都「この日本語が読める方はご入店ください」飲食店の貼り紙が物議…使用言語による“差別”は法的に許容される?(弁護士JPニュース)

インバウンド効果は、確かに日本経済の底上げをしている。
新幹線、観光地、ホテル、レストラン…
観光地も、銀座も外国語が当然のごとく飛び交う。
列車のアナウンスに、日本語の後、英語が続いた日には
(日本も、グローバル化したな)
と感心したが、今では、その英語の後に、中国語と、韓国が続く。
今や、どこの国にいるのだかわからない。

本来は静かなはずの京都も、いたるところでこのありさまだ。
そこに住む人の、人権が脅かされているといっても過言ではない。

歴史の古都は、わび、さびを体感する聖地のはずである。
静寂の中に、雅を感じる、日本人の心のふるさとでもある。

京都も、富士山も、日本の誇るべき文化や歴史、そして景観を、
世界に発信していくことは大いに結構であるが、
それと同時に、伝統である和の心も温存したい。
双方がいい塩梅で共存するには、
「差別」ではなく、「区別」する合理的な配慮が不可欠になるだろう。
致し方ないことである。

見えないものを見る その2

昨日の富士山の写真であるが、雪の頂を拡大してほしい。
そうすると、ジグザグの登山道が、
山頂まで続いていることが確認できる。
拡大写真を再揚げしておこう。

DSC00770 - コピー

これを見て感じること。

まさに「労使トラブルの解決の方法であり、法律の考え方である」ということだ。

その心は…
解決方法には、様々な道がある。

遠くから富士山を眺めると、ただ、ただ美しい。
漠然と見ていると、壮大さだけが目に映る。

しかし、ひとたびフォーカスすると、
細かいものが見えてくる。
遠目では見えなかった、ゴツゴツシタ山肌。
ジグザクのいくつもの登山道。

同じ富士山でも、どこに焦点を当てるかによって、
見え方が随分と変わる。

どちらが正しいのか?
…何方も正しい。

これを法律に置き換えると、
「総論」と「各論」である。

各論が重畳的に、体系的に重なり合って総論を形作る。
一般人は「総論」に照準を合わせ、全体像を認識しておけばいいが、
専門家は、目的から入って、その何たるかの「各論」を抑えずして、
真の「富士山」=「総論」は語れない。

この写真のように、「総論」だけでは見えないものを見に行く。
表面には表れない、行間を読みに行く。
これがプロの仕事である。

就業規則も同じである。
ざっくり、どの規則も「就業規則」=「総論」に変わりはないが、
各条文の意味するところの「各論」の何たるかをしっかり押さえずして、
真の「富士山」=「就業規則」は語れない。

健全な企業運営を考えるうえで、
数多くの登山道を示すことができる士業者が重宝されることは勿論だ。