津波から家族逃した「おやじみたいに格好よく」そば店3代目、走り続けた10年【#これから私は】

津波から家族逃した「おやじみたいに格好よく」そば店3代目、走り続けた10年【#これから私は】(毎日新聞)

今日日、家業を継ぐ子供が減った。
次ぐべき家業が、業種として衰退することが要因であることもあるが、
そもそも、サラリーマンは、継ぐ家業がない。
親のカッコイイ姿を見ながら成長できた子供は幸せだ。
「俺はここにいる。安心してついてこい。」
父親は大黒柱であり、家族はその傘のもとに住まう。
目標とすべき、具体的な人物がいつもそこにおり、
子供たちはその大きな背中を見ながら、畏敬の念を持ちつつ育つ。
そして、その子供たちが成長した暁には、自然と自分が守る側に役割を転じる。
この、家業のバトンタッチは、今や数少ない理想形である。
地域に貢献する仕事を、先祖代々繋いでいく。
家業に誇りを持つことは、個の幸福を超えて、家の幸せでもある。
私も同じ思いを持つ。法律を志す子供がいてくれると嬉しい。

「私は三十歳、四季はすでに備わっており、
私なりの花を咲かせ実をつけているはずである。
それが単なる籾殻(もみがら)なのか、
成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私がささやかながら尽くした志に思いを馳せ、
それを受け継いでやろうという人がいるなら、
それは即ち種子が絶えずに穀物が毎年実るのと同じで、
何ら恥ずべきことではない。
同志諸君よ、この辺りのことをよく考えて欲しい。」

これは、吉田松陰の留魂記の抜粋だ。
「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
これは、辞世の句。…身につまされる。

さしあたり、家業を継いでくれる子供があるということは、
松陰の言う「大和魂」が引き継がれたということになるだろう。
また、子供のみならず、志を継ぐ同士の存在も同じであり、
それは望外の喜びである。

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