パリ五輪でも誹謗中傷被害が相次ぐ 柔道の阿部詩、競歩・柳井らに心ない声 東京五輪でも問題視

パリ五輪でも誹謗中傷被害が相次ぐ 柔道の阿部詩、競歩・柳井らに心ない声 東京五輪でも問題視(デイリースポーツ)

表現の自由と、名誉毀損あるいは誹謗中傷は一線を画す。
今、便利になり過ぎて、無神経な人が増えたように思う。
一昔前は、通信の手段と言えば手紙だった。

自分の気持ちを書状に認め、
何度も表現を推敲して、相手にどのように受け取られるかを意識しながら
ポストに投函したものだ。
そして、今か今かと返事を待つ時間が、
相手の気持ちや、行動を想像させた。

携帯電話が普及する前、家電しかなかった頃、
相手の家に電話をかけるのにも想像力がいった。
今、在宅している時間帯か、家の人が出たら何と言おうか、
私達世代の人間は、電話をかけるのに、
そのたび、リハーサルしたことが懐かしいのではなかろうか。

それが現在はどうか?
人を介さず、いつでも繋がりたい人と繋がる。
遠隔でも、どこでも、深夜でも。

便利になり過ぎて、相手への思いやり、配慮という点で、
いささか鈍感になっているように思う。

同様に、誹謗中傷である。
意見を述べることは、表現の自由が保障されている観点からなんら問題はない。
しかし、この表現の自由も、無制限に許されるわけではない。
相手があることだから、
その人の名誉感情が尊重される権利との比較衡量になる。
表現の必要性と、相手がどう感じるかを斟酌しなければならないということだ。
その人がどのような立場の人間であり、
発言は公に資するものであるのかといった観点も加味される。

よって、同じような内容でも、政治家を相手にする場合と、
一般人を相手にする場合では、許容の幅が変わる。

例えば、小池都知事。
学歴詐称問題は、公職選挙法に抵触する事柄であるため、
事実を摘示したところで、それは名誉毀損にはならない。
罰することはできない。

刑法230条の2 は、
「前条第一項(刑法230条名誉毀損罪)の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、
事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

2  前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

3  前条第一項(刑法230条名誉毀損罪)の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、
事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」
と定めている。

他方、公人でない一般の方に対して、
私怨から「あの人は大学も出ていない」などと言った日には、
誹謗中傷との誹り、頻度や表現方法によっては、
刑罰を受ける覚悟をしなければならない

自分自身は安全な場所に身をおき、
上から目線で意見することは正義ではない。

正々堂々と、顕名し、理論立てて説示することに
表現の自由が値する。

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