パリ五輪ボクサー性別騒動、トランプ氏らも参戦(AFP=時事)
この試合は、「気の毒」としか表現できない。
心は女性だが、体は男性のトランスジェンターが、
心も体も女性のボクサーに圧勝した件である。
オリンピックには、オリンピックと、パラリンピックがある。
パラリンピックの中でも、障害別に競技が区分される。
加えて、大抵の競技には男性枠、女性枠がある。
柔道や、レスリングには体重別の階級がある。
なぜこのような区分があるのか。
それは、可能な限り「機会の平等」を保障しているのである。
可能な限り、同じ土俵に立って、その人の努力の結果、
誰もがメダルの可能性を期待できる「平等」を保証しているのである。
そう考えると、XY染色体をもつ選手が、
つまり、生物学的には男性因子を持つ選手が、
トランスジェンダーだからと言う理由で、
女性枠競技に出場することには違和感を覚える。
むしろ、ボクシングは、実質的な殴り合いをする競技である以上、
本来は、道義的にも法的にも、「禁じられている暴力」に他ならない。
それをスポーツの名のもとに、免責する行為なのだから、
ルールが人智の及ぶ限り、「安全」であることが前提とされる。
その安全なルールを社会や選手個人が、容認することで
スポーツとして成立する。
だからルールに則って相手を殴ってけがを負わせたとしても、
傷害罪を問われない。
今回の「パリ五輪ボクサー性別騒動」は、
そうした前提を著しく欠いている。
確かに、人権感覚を重視すれば、
トランスジェンダーの方の人権も重視しなければならない。
しかし、生物学的な女性の人権も尊重しなければならない。
「区別」と「差別」は異なる。
今回の五輪はすべからく大雑把に思えてならない。
お国柄の違いのせいか、審判の誤信の多さ、
食事の問題、暑さ対策、食事問題等選手たちへの冷遇、
セーヌ川の汚染問題等。
しかし、くれぐれも女性アスリートの夢を削ぐことがないよう、
この「ボクサー性別騒動」には、
きっちり決着をつけなければならない。
