残高不足に気づかずバスに乗車した小学校低学年の児童に運転手が威圧的な態度…強い口調で注意し謝罪を強要 児童は猛暑の中で歩いて帰宅 当日の最高気温は37.7℃

残高不足に気づかずバスに乗車した小学校低学年の児童に運転手が威圧的な態度…強い口調で注意し謝罪を強要 児童は猛暑の中で歩いて帰宅 当日の最高気温は37.7℃(テレビ静岡NEWS)

この暑い中、小学生は何を想っていただろうか。
切なくなる。
誰にでも起こりうる小さなミスに派生する責任を、
未熟な小学生にすべて負わせることが正義か?

道義的なふるまい、人としての優しさ、
年長者としての手本、職業人としての責務、
どれをとってもこの運転手は失格である。

まずは、何事もなく帰宅できたからいいようなものの、
体調を崩していたら責任の取りようがない。

気の毒な小学生は、何を感じただろうか。
世の中の世知辛さか?
頼れる大人がいないことへの絶望か?

その昔、近所には、必ずおせっかいなおばさんがいた。
向こう三軒両隣的な、互助の精神が当たり前だった。

それが今、プライバシーの尊重か何か知らないが、
ご近所付き合いが希薄になった。
自分の子だけでなく、地域の子供という感覚も薄れている。
登校途中の小学生は、近所の大人に朝の挨拶をするでもなく、
黙って下を向いて通り過ぎる。
大人も不審者に間違われたくないから、積極的に声をかけない。

合理的な考えをすべて否定するわけではないが、
個人主義だけでなく、周囲に気を配る優しさを取り戻せないものだろうか。
人は支え合って生きていくものだ。
弱い立場の子供は、集団の中で守られ、周囲の大人たちの教えの中で、
文化や歴史を踏襲しながら、成長していかなければならない。

山上憶良はその昔、万葉集に
「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」
と詠んだ。
「しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」
と読む。

それは、「銀も金も宝石も、どうしてそれらより優れている子ども(という宝)に宝として及ぶだろうか。
いや及ぶまい。」という意味だ。

少子化の時代にあって、ますます子供は社会の宝である。
その宝を大人は尊重しなければならない。

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