アマゾンの誤配(雑感編)

インターネットの普及で、人々の生活は格段便利になった。
家に居ながら、また出先でも、
インターネットやスマホを媒介して、知りたい情報が得られ、
欲しい買い物ができ、話したい相手と会話を楽しみ、
見たい動画を視聴でき、音楽を聴くこともできる。

一昔前の人からすれば、魔法の生活を手に入れたといっても過言ではない。
恋人といつでも話しをしたいから、1870年代ベルが電話を発明した、
鳥のように空を飛びたいから、1903年ライト兄弟が飛行機を作った。

いずれも、200年も前の話ではない。
随分と便利になった。

便利になった分、幸福度も比例したのか…というと、必ずしもそうではない。

対面販売での、楽しい会話がなくなった。
時候の挨拶や、気遣いといったコミュニケーションの枯渇があげられる。
簡単に手に入る分、物を大切にする気持ちが希薄になった。

そして、先の「アマゾンの誤配(顛末編)」で記したように、
外国人の労働市場の台頭で、文化の隔たりを感じるようになる。
「責任」の所在が不明確であり、
誤配などの誤りがあった際、
何処にその苦情を持って行っていいのか分り辛い。

今後、カスハラにかかる罰則規定が拡充されると、
企業側とその従業員は守られるが、
顧客側は、通常の苦情すら口にできなくなる嫌いがある。

売買は、有償双務契約である。
売主は顧客に対して商品を提供する義務があり、
同時に、顧客に対してその対価を請求する権利がある。
他方、顧客には、売主に対して商品の代金を支払う義務があり、
同時に売主に対して、商品を引き渡すよう請求する権利がある。
原則として、それは、同時に履行されなければならない。
お互いの債権債務が、表裏一体の関係である。

今回の、「アマゾンの誤配」の場合、
事前に代金を支払っていたので、
商品が届かず、最終的には返金されたという顛末であるから、
利用者とアマゾンの間に、それ以上の債権債務はない。

しかし、そこにたどり着くまでの、手間と時間と不安を考えると、
労多くして全く実入りなしである。
結局、欲しかった書籍を手に入れることはできなかった。

そこに、謝罪の一言を求めることは過大な要求なのだろうか?
つくづく世知辛い世になったものだと、嘆息する。

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