昨日の続きである。
佐々井秀嶺上人が、44年ぶりに帰郷した際の密着映像である。
今から15年位前の映像であるため、
上人はまだお若く、体躯もいい。
昭和40年に日本を離れ、帰ってこられた心境は、
まさに浦島太郎だろう。
高速道路を自動車で走っているときに、「最近の道路には人が歩いていない」とポツリ。
同行者は、「高速道路は人が歩けない道路なんです」と補足。
75歳にして初めて乗った新幹線の中から、かすかに見える山頂を拝むことも忘れない。
日本で、上人を支持する人々の集まりに参加し、講演の行脚でもあったのだが、
仏門に帰依した方々との集合写真が印象的だった。
大勢の僧侶に囲まれて、上人は最前列の真ん中に納まっていたが、
一人だけ、袈裟が異なり、ひと際目を引く。
1億5千万人の長は、東南アジアの僧侶が身に着ける
おなじみの山吹色の袈裟と、その下にえんじ色の質素な綿の衣類。
その他大勢の方がは、金襴緞子の煌びやかな袈裟に身を包む。
日本仏教と、インド仏教の差異を端的に表す。
その後の会食では、金襴緞子組は、背広に着替えて酒やたばこもあり。
贅を尽くした食事を前に、凡夫の宴会よろしく歓談していた。
他方上人は、戒律を守り、お茶で一人、久しぶりの和食を堪能していた。
また、広島の平和公園で出会った子供達とのエピソードも、
今の日本を象徴する出来事だった。
校外学習か、修学旅行か、小学生の集団が
原爆ドームの前で記念写真を撮る。
「一緒に撮ろうよ」という上人に、
引率の先生も含め、袖にされていた。
知らない人に声をかけられても、
「親しくするな」の教えである。
「インドならば、子供たちが笑いながら
僧侶に寄ってきて。嬉しそうに挨拶をする。
心を通わす対話がある。日本にはそれがない。
裏を返せば、それだけ、日本の仏教が
人々の生活に根付いていないということだ。
僧侶が身近な存在でないということだ。
信仰を持たない、よりどころを持たない国、日本は、いずれ先細りする。
今のうちに何とかしないといけない。」
インド仏教と、日本仏教との違いを端的に語られていた。
教えを乞う人物に恵まれない日本は、
物質的な豊かさはあっても、心の貧国を認めざるを得ない。
挨拶は社会生活の基本であるし、また感謝も然りである。
今、自分があることは、様々な縁が織りなした結果である。
どれ一つ欠けても、今の自分はない。
2か月に及んだ上人の、44年ぶりの帰国密着取材は、
多くの示唆に富んでいた。
それから15年、墓じまいが進む仏教は、
ますます民衆から遠いところにある気がしてならない。
