「すっぱいブドウ」の話

昨日の、話題の続きから。
「すっぱいブドウ」は、イソップ寓話の代表的な話である。

あらすじはこうだ。
「お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。
食べようとして懸命に跳び上がるが、
実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。
何度跳んでも届くことは無く、
狐は、怒りと悔しさから
『どうせこんな葡萄は酸っぱいに決まっている。
誰が不味そうな葡萄なんか食べてやるものか』
と負け惜しみの言葉を吐き捨てると、別の食べ物を探しに去っていった。

このキツネは、自身のジャンプ力の足りなさを原因として、
ブドウにありつけなかった。
実際には、芳醇な香りがする、おいしいブドウだったに違いない。
しかし、すっぱくておいしくないブドウだったに違いないと思うことで、
悔しい思いを現実回避しているのだ。
世俗な言葉でいえば、「負け惜しみ」である。

人間も同じだ。
人は、素直に自分の能力の足りなさを認めたがらない。
また、残念な境遇において、
自分の立場を守る逃げ道を、反射的に考える。

それえ、前日のSLの故障も、
「イソップ物語の、すっぱいブドウよろしく…」
との表現になった。

さて、古今東西広く知られた『イソップ物語』は、
今から2500年以上前である紀元前6世紀ごろに
古代ギリシアの奴隷だったイソップ(ギリシア語でアイソポス)という人物が
人々に語った寓話(たとえ話)であるといわれている。

一説には、主人にその才能を買われたものの、
面白い話を作り続けなければ、命の保証がなく、
常に身の危険を感じながら、寓話を作り続けたという。

けちん坊さんの話
北風と太陽
金の斧、銀の斧
アリとキリギリス
肉をくわえたイヌ…

動物や虫、風や太陽までも擬人化し、
人情の機微を的確に捉え、人生の教訓をシニカルに込めた作風は、
大人になった今も、深く心に残っている。

実際に、作者が存在したか否かが不明とする説もあるが、
人々に、その功績が語り継がれている限り、
肉体に物理的な死は訪れても、
その功績は死なない。

永遠に人々が語り継げば、その人の存在は未来永劫である。

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