増える老年離婚 「積年の恨み」が限界に達するとき(朝日新聞社)
介護離職 救いはどこに(関テレ)
長い間夫婦をしていると様々なことがある。
日々楽しく、一緒に夢を追い、笑い、価値観を共有する。
星の数ほどいる異性の中から選んだ配偶者なのだから、
共白髪になるまで、仲良く添い遂げるのが理想だ。
しかし、夫婦は社会の最小単位である。
生まれ育ちが異なる二人が共同生活をするのだから、意見の違いは当然だ。
長い間、我慢を強いられると、火山のように怒りが爆発する。
マグマのようにフツフツと湧く怒りが、頂点に達した時、
本人らの中では取り返しのつかないことになる。
きっかけは些細なことでも、「積年の恨み」が爆発する。
ガス抜きをしながら、ちょうどいい距離を保って生活していかないと、
人生の終盤で、思いもよらない結果を招く。
また、病気には抗えない。
妻の若年性痴ほう症が原因で、
介護離職を余儀なくされる夫婦の在り方も、また、家族だ。
こちらの方は、国の制度が問題である。
介護保険の制度も、適宜見直しがされているが、
真に介護が必要な人々の要望には程遠い現状だ。
誰もが同じように負っているリスクを、なぜ回避できないのか。
介護する側の夫は、妻に対する感情を、
「愛情」ではなく、長く連れ添った「情」だと言う。
大家族のときは、介護の担い手が家族にいた。リスクは分散できた。
だから長年、国は、介護や育児は、家庭で何とかする問題だと高をくくっていた。
しかし、核家族が家族の形態の多くを占める今、
何方かが要介護者になった場合、夫婦のどちらかが支えなければならない。
徘徊が始まると、職業についていられない。
その後夫は、癌に罹患しても、国の救済制度はない。
収入が途絶える。貯金が底をつく。
老々介護の現実はことのほか厳しい。
これは、何も夫婦に限らない。
生涯独身を貫く単身者も、同じ問題を持つ。
病気になり、支援してくれる人がいないと、
その先は、孤独死しかなのか。
日常に何らかのアクシデントが加わると、
いとも簡単に生活が立ちいかなくなる。
とりあえず、私たちは、そうしたリスクを意識しながら、
普通の生活がある今を大切にしなければならない。
