裁判官が定年間際に「思い切った判決」を出す呆れた理由

裁判官が定年間際に「思い切った判決」を出す呆れた理由(ダイヤモンド・オンライン)

裁判は、出来得る限りしない方が良い。
時間がかかる、費用が掛かる、精神的に負担が大きい。
仮に勝訴しても、相手が判決の内容に応じなければ、
新たに強制執行の手続きが必要になる。

裁判になって嬉しいのは、代理人の弁護士だけである。
特に訴えられた方の弁護士である。
大方の場合、訴額である訴えられた金額より、
随分安い損害賠償金額で落ち着くため、
成功報酬金額が高くなる。
つまり、弁護士は、自分が関与したことで、
訴えられた額を低く抑えることができたのだから、
その分について、弁護士報酬をたくさん払ってください…
ということである。

訴えてくれてありがとう…の世界だ。

と同時に、担当する裁判官の当たり外れが大きい。
一応、司法試験を受け、司法修習も済ませた司法のエリートだが、
裁判官とて、所詮は人間である。
出世もしたいし、名誉欲もある。

そうすると、裁判における証拠の評価や事実認定を
裁判官の自由な判断に委ねる原則である「自由心象主義」は、
出世路線に傾く。
つまり、最高裁の顔色ばかり窺う「ヒラメ裁判官」が増産される。
前例踏襲で、リーディングケースから外れた判断がされないのはこのためだ。

残念ながら、私たち国民は、
そうした多くの「ヒラメ裁判官」から判決を仰ぐことになる。
だから、裁判はしないに越したことはないのである。

私がまだ若かったころ、
司法に対する畏敬の念を持っていた。
正義感の強い法曹に、あこがれていた。

しかし、馬齢を重ねるたびに、
それが間違っていたことを思い知ることになる。
世の中の仕組みが分かってくると、
どんどん崇高な虚像のメッキが剥がれる。

とはいうものの、筋が通らないことをされた場合、
裁判所のお世話にならなければならないのも致し方ない。
過度な期待をしないためにも、
裁判の仕組みや、理論と実際を理解しておくのもいいだろう。

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