号泣県議

やっと議員に…195回訪問の県議、突如号泣(読売新聞)

2日に1回以上に当たる1年間195回もの日帰り出張をし、往復の切符代などとして約300万円を支出。その内訳は、兵庫県の城崎温泉駅が106回、県外では、博多駅が16回、東京都内が11回だった。
領収証なし、経路も不明。新幹線の切符購入の際、自動販売機で領収証が出ることを知らなかった。博多と東京の出張は、10日間、日帰りで交互出張など、現実離れした報告。

7月1日に兵庫県庁で行われた、この号泣会見が、国内のみならず、海外でも話題になっているという。東京都議会のセクハラ野次に続き、またしても全世界に、負の注目を向けさせてしまった。

この記事に関する感想は、少なからずの方の、ネットでのご意見にお任せするとして、私は、7月4日の読売新聞朝刊の一面の「編集手帳」この記事に派生した意見論評に着目する。

まずは、柳田国男の「涕泣史談」から、教育が普及するにつれ、人々は言葉で感情を表現するすべを身に付け、「涙」という身体言語が減ったことが事実として語られている。

次に、県議の疑惑に対する釈明会見の場で、本題に対する明確な説明責任がされておらず、単に「やっと議員になれたのに・・・・」と「号泣」しただけでは、美しい「男泣き」とは言えない。したがって、このような場面では、身体言語ではなく、ちゃんとした言葉で語ることが適当であると、辛辣に正論をぶつける。

最後に、どうせ涙を見るならば、拉致被害者が戻ったうれし涙を夢想する。・・・と、小泉政権下から、実に12年を経ようとする拉致被害者の生還を予感させるポジティブな話題に目を向ける。

このように、限られた狭い紙面に、県議の「号泣」をお題として、これだけのストーリーを凝縮し、ぴたりと文字数を合わせる、筆の職人芸に感嘆する。しかも、これを日々行っているのである。(もしかしたら、影武者がいるかもしれないが・・・)
いずれにしても、執筆者に一度お会いして、文書上達の極意をお聞きしたいものだ。

これぞ知の泉であり、読むに値する、質の高い意見論評である。
「文は人なり。」
文章は、その人の内面を映し出す、「偽らざる心の鏡である」、と私は思う。

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