久しぶりに、伊丹映画を見た。
1993年の映画だから、封切から30年になる。
当時は自身もまだ若かったから、さらりと見た記憶がある。
しかし、今回の鑑賞は重かった。深く考えさせられた。
とはいうもの死を題材にしているが、実にコミカル。
endingロールの、キャストの紹介も振るっている。
主人公の三国廉太郎は、役柄での氏名ではなく、「大病人」となっていた。
主治医の津川雅彦は「医師」、
「大病人」の妻、「マリコ」は「妻」宮本信子と表記されていた。
笑ったり、涙したり、観客は忙しい。
ただし、作品の主張はぶれていない。
がんの告知が稀だった当時、
余命をいかに充実して生きるかが真のテーマのように思える。
医療機器も、ナースの服装も、時代が溢れている。
しかし、何時の時代も、
よりよく生きたいとする人の心は変わらない。
様々な人間模様の中で、人生の終焉をどう迎えるか。
愛する多くの人に見守られ、幸せだと口にしながら旅立つ人生は、
さぞ充実したものだったろう。
人間誰しも避けては通れない最大のセレモニーを、
赤裸々な人情の機微とともに、実に精緻に描きあげた作品だ。
喧噪の中、ふと立ち止まり、エンディングの在り方を考えるのも
生きた時間の、大切な過ごし方ではないだろうか。
くしくも4月8日は、花祭り。
お釈迦様の生誕の日であった。
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