「平和祈念像」きれいに拭き上げ…長崎原爆の日を前に清掃(読売新聞オンライン)
79年前の8月9日。
原爆の投下により、
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、
建物は約36%が全焼または全半壊したとされる。
歳月の経過とともに、被爆の当事者は少なくなっているが、
悲惨な出来事は、後世に語り継がなければならない。
また、それに先立つこと
8月6日、当時の広島市の人口35万人(推定)の内、
9~16万6千人が被爆から2~4ヶ月以内に死亡したとされる。
この2つの黒歴史を、世界唯一の被爆国として、
私たちはどう捉えるべきなのか。
そもそも人類は、原状回復する術を知らないものを、
安易に使用してはならない。
抑止力としての核、
核を持つことで他国の侵略を防御することに限定したい。
持てる国と、持たざる国の格差は大きい。
核を持つことで、世界の覇権を握ることも夢ではない。
大きな力を持っていれば、
それを試したくなる、使ってみたくなるのは人情だ。
しかし、核に限っては、絶対にそれはあってはならない。
歴史は、戦争の勝者に都合よく、真実が書き換えられる。
はっきりいって、日本の歴史教育は誤っている。
敗者=戦犯ではない。(おじいちゃん戦争のことを教えて(小学館文庫)参照)
反省とお詫びをしているだけでは、同種事案の防止にはならない。
かのチャップリンが、映画「独裁者」でヒトラーを演じている。
トーキー出身の彼にしては珍しい、声がある作品であり、
最後の演説は特に有名だ。
喜劇の天才は、たとえ、ヒトラーが失脚しても、
100年後には同様の独裁者が誕生することを予言していたという。
ヒトラーと、プーチンがダブる。
国際法に違反しているのは、間違いなく原爆を投下した側である。
敗戦に導くための制裁ではない。
徹底抗戦する日本との本土決戦を避け、早期に戦争を終結させるため、
核の投下を正当化させたかった…とする表向きの理由。
しかし裏の事情はそうではなかった。
原爆の使用は、事前に相手国に告知すべきであること、
都市部に使用してはならないこと等、
国際法で取り決めがあったにもかかわらず無視されている。
1年以上も前から着々と準備が進められ、
知識人が原爆の使用を軍部に戒めを働きかけていたにもかかわらず、
一部の指導者の誤った判断で計画が決行された。
当初、「京都」が投下の第一候補であり、
「小倉」も候補に名を連ねていた。
それが、様々な事情で、また、天候や防煙で標的が変わり、
結果、広島と長崎の罪もない多くの人の生命が奪われた。
家族があり、人生があり、
これからも生きるべき人々らの命が奪われた。
アメリカが、第二次大戦後の、世界の覇権を執るため、
日本は、「スケープゴード」にされただけだ。
核を持つ国の脅威を、知らしめる実験として利用されたに過ぎない。
アメリカがひた隠しにしていた事実が、
様々な文献から明らかになってきている。
(この辺の事情は、アマゾンでは、ベストセラー1位になっている
「原爆裁判―アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子」を参考にされるといい。)
今、ウクライナとロシアの緊張の中、
唯一の被爆国である国民は、最大の関心事として、
核の使用は、何があっても阻止しなければならない。
憲法9条だけでは済まない問題である。
