「母の命を奪う薬が入っていく」余命2年未満で死を選んだ満利子さん 娘の寄り添う覚悟 安楽死「拡大の国」カナダ」(産経新聞)
死は誰の身にも絶対起こる。
一般に、それがいつなのか、どのような形で訪れるのか、
人智の知るところではない。
それをコントロールするのが自死であり、
その延長上に安楽死がある。
痛みに苦しむ人に、癒す術を持たない家族は、
どのような選択肢を選んだらよいものか。
実に苦悩である。
安易に「大丈夫」などと口にできない。
結果を覚知している患者に、気休めの言葉は
神経を逆なでする。
最愛の人が苦しむとき、傍にいて、手を握ることしかできない。
生活の糧となる仕事のことを考えながら、一緒に、涙を流すことしかできない。
その不甲斐なさ、塗炭の苦しみは十分知っている。
安楽死は、ゴールが見える病苦からの解放に他ならない。
したがって、本人にとって救いとなる。
別れが早まる分、家族を悲しませることにはなるが、
愛する人に看取られながら、静かに永遠の眠りにつくことに
終焉の選択肢として、社会は一定の理解を示す。
しかし、その判断が日常の診療行為となると、
医師にとって、大きな負担を強いることにはならないか。
人の生き死には神聖である。
軽々しく扱ってはならない神の領域だ。
しかし、独居老人が、死去から数か月も発見されない「孤独死」に比べ、
今回のような選択は、人の尊厳にふさわしい死の選択であると評価されよう。
制度運用のバランスの中で、
日本も「幸せな死」として、
安楽死導入を受け入れる時期に来ているかもしれない。
