伊藤詩織さん元代理人 アカデミー賞「取るかどうかは関心ない。ただ、使用した映像について必要な説明を」(東京新聞)
この問題は、何処まで行っても波乱含みだ。
3月2日のアカデミー賞の発表を控え、周辺があわただしい。
論点はいくつもある。
まず、伊藤詩織さんに対して、男性側の性加害の事実があったのか。
日本の捜査機関は、法にのっとり、正しい捜査をしたのか。
伊藤詩織さんが声をあげたことに対し、
インターネット上で発せられた意見が、名誉毀損に相当するか。
伊藤詩織さんが加害者の男性に対して、公にした発言が名誉毀損に当たるのか。
伊藤詩織さんが制作した今回のドキュメンタリー映画に、
裁判上に限定したはずだった、証拠の使用が反故にされた件につき、
法的責任が問えるか。
ざっとこのようなことだろう。
今回は、事件発生当初から伊藤さんの代理人を務めた女性弁護士らが、
彼女らの代理人とともに、記者会見という形で、
実名、顔出しで、最後の論点につき、一石を投じた。
世界の耳目を集める「ドキュメンタリー映画」は、
どのような意味があるのかを考えなければならない。
そうしなければならなかった背景が、
何処にあるのかを考えなければならない。
正攻法で問題が解決しているのであれば、
時系列において、刑事事件の段階で、
既に終わっていただろとされる案件である。
おそらく、その段階で何らかの不当な力が働いたために、
波紋がどんどん大きくなっていった。
問題が、日本から、世界に広がった。
しかし、正攻法で行われていないことに対して、
同じく正攻法でない手段を用いて公然と事実を流布していいかというと
それは、手放しでは賛成できない。
正攻法でない手段を用いなければ、真に、人権が守られなかったのか。
他に代わるべき方法がなかったのかが焦点となるのだろう。
正当防衛の論理の延長である。
約束を破られた女性弁護士らは、今後弁護士として活動していくために、
自らの潔白を社会にアピールしておかなければならない。
倫理観の部分で、クライアントの信頼を得られなくなるなるから
黒白をつけておかなければならないのは当然だ。
しかし、事件の全体像を見ると、
伊藤詩織さんの表現方法に理解できないこともない。
表現の自由、真実の追及において、
ノンフィクションのリアリティーを突き詰める、
インパクトを求めるのであれば、
差し替えではなく、裁判から門外不出のはずの証拠が勝る。
この件について、伊藤さん側は過ちを認め、公に謝罪している。
新たに、問題部分の差し替え版も制作したという。
3月2日のアカデミー賞の発表を目前に控え、
再び、メディアの俎上に上ったこの一件。
吉と出るか、凶と出るか。
今日の見方は、明日の敵。
いずれにしても、元代理人に対しても、巷間の耳目を集めたことだけは確かだ。
「アカデミー賞を取るかどうかは別」として、
遵法精神を貴ぶ弁護士として、人々の記憶にインパクトを与えた。
