「残業代ゼロ」産業競争力会議が提言へ

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ(朝日新聞)

まだ産業競争力会議による提言がこれからなされるという段階のニュースではあるが、いずれ労働基準法および関連法規の改正がなされる可能性も高いのではないだろうか。
注目を要するニュースである。
「残業代ゼロ」に関しては、年収1千万円以上の高収入の社員や、労働組合との合意で認められた社員を対象にすることが予定されているようだ。

そもそも、工場法を起源に持つ労働基準法は、制度疲労を起こしていることを、私は折に触れ指摘してきた。
第二次産業が社会の主役になろうとした頃に基本設計がなされた制度を、第三次産業が社会の主役になり、さらにはIT革命をも経た後(「第四次産業」「第五次産業」などという概念を提唱する方もいるほど社会は変化している)も延々と使い続けていれば、現実との不整合が随所に生じて当然である。
労働基準法の根本にある時給換算的思考も、工場の生産現場においてコンスタントに結果を生み出す労働にはフィットしても、不確実性の時代や、多様化した消費者ニーズに対応するクリエイティブな作業などには対応しきれない。
成長し、成熟した社会の現実に合わなくなった労働基準法という洋服を、無理矢理着ているのが日本なのである。
だからこそ、労働基準法は時代と現実を踏まえて見直されなければならない。
その際に忘れてはならないのは、労働基準法の原点である労働者保護の精神である。
労働者の権利を保護しつつ、企業の国際競争力・成長戦略にも配慮した法改正を実現することは容易なことではない。

ここで思い浮かぶのは「憲法」だ。
憲法もまた、制定後70周年が迫り、本来ならば時代と現実に合わせて見直しを図らなければならない時期に来ている。
もちろん、人権と民主主義の尊重という、立憲主義の根本精神は守られなければならないが、それを前提とした上で、各規定についての見直し論議を活発化させるべきであろう。
しかし、いわゆる護憲派の中には、憲法改正論議をすること自体に異を唱える者もいる。
そして労働基準法にしてもそうである、残業代問題について、時代に合わせた改正論議をしようとすること自体に、反対する者がいる。
憲法も労働基準法も、改正に関して全く同様の構造が存在するのである。
議論すら嫌われるのは、どう考えてもおかしい。

議論を避けることは、現実から目を背けることと同じだとなぜ気付かないのだろうか。
憲法で、表現の自由が保障されているのは、民主主義社会においては、その社会の成員である国民が、活発に自分の意見を言うべきだということでもある。
もちろん、何も言わない自由もあるが、自らが社会のあり方について活発に発言し提案することは、主権者としての責務であろう。
社会保険労務士もまた、労働基準法のあり方について活発に発言し、提案しなければならない。
ただし、それは現行の労働基準法とその運用について深く学び、社会の現実を知った上での発言でなければ意味がない。
たとえば、顧問先企業の残業代問題について、使用者と労働者双方のバランスを取りつつ、苦心惨憺して就業規則を作り上げていった、その経験に裏付けされた改正に関する要望・提言ならば、自ずと重みと説得力を持つだろう。

「残業代ゼロ」と聞いただけで、即拒絶反応を起こすようではいけない。
残業代という制度があると「残業代で稼ぐ」といった発想が出て、極端な場合、「5時から頑張ろう」などという社員を生んでしまうという弊害もある。
「残業代ゼロ」であっても、労働に見合う対価を労働者が得ていれば問題はないはずだ。
もちろん、ワークライフバランスの実現と、労働者の安全・健康への配慮から長時間労働の抑止策が講じられていることが前提だが。

いよいよ、真剣に議論すべき時が来た。
しかしそれは、現行の法制度と社会の現実を熟知した上でなされなければならない。
私もまた、セミナーや講演、執筆を通じて、現状の問題点と対応策、そしてその先にあるものを伝え続けていきたい。
皆が学び、活発な議論を交わした上で、真に時代に適合した労働基準法の改正がなされたならば、
「ブラック企業」などという言葉も自然と消えていくだろう。

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