Archive for 8月 2014

エボラウィルスの脅威

エボラ出血熱 医療関係者およそ160人感染、80人以上が死亡(FNN)

西アフリカで感染が拡大しているエボラ出血熱は、ウイルスを病原体とする急性ウイルス性感染症、出血熱の一つであるとされている。「エボラ」の名は発病者の出た地域に流れるエボラ川の名を取って命名された。ヒトに感染し、50-80%という死亡率を持つ種類も存在する。致死率が高く、極めて警戒を要する感染症である。

そのエボラ出血熱の死者が、8月18日までに、西アフリカ4カ国で1,350人に達している。こうした現状を救うべく、勇猛果敢な医療従事者だったが海を渡った。しかし、「医療関係者およそ160人感染、80人以上が死亡」…この数字を見るに、敗北を喫した勇者が少なくないことが一目瞭然で、残念な限りだ。

遠く、アフリカでの出来事だが、グローバル化し、人の流動が忙しい世界情勢において、ことアフリカに限定された病と高を括るのは早計である。
私の秘書を務めている職員も、顧問先から、
「社員がアフリカ出張するのですが、エボラウィルスに感染した場合は、労災等はどのような適用があるのでしょうか」
という質問を受けたそうだ。

どうやらその出張先は、同じアフリカでもエボラウィルスのリスクは少なそうな地域のようだが、このような質問が飛び込んでくるように、グローバル化は「現実」そのものである。

遠い異国に住まう私たちは、むやみに恐怖心を持つこともないが、アンテナを高くし、冷静に状況を見守る必要があるといえよう。

広島土砂災害捜索作業続く

死者・不明者の情報錯綜、夜通し手作業で捜索(読売新聞)

あまりの被害に胸が締め付けられるような思いだ。
今はまず、救助を見守ろう。

内面を磨いてポジティブに生きよう!

20代の働く男性200人に対するアンケート調査 男のコンプレックス1位は「身長」

アンケート調査結果の詳細はリンク先で見てもらいたいが、
1位 身長が低い 13.5%
2位 ヒゲや体毛が濃い 11.5%
3位 太っている 9.5%
4位 顔が不細工 9.0%
5位 薄毛 7.0%

だそうだ。
20代の若い世代は、見た目が気になるようだ。
もっと本を読み、内面を磨けば、克服できそうな悩みばかりだ。

人は、自分が解決できることでしか悩まない。
総理大臣でないあなたは、外交のことで悩まないし、
赤ん坊は、仕事のことで悩まない。
ちょっと頑張って、あなたの身の丈に合った悩みを一つ一つ克服してほしい。
そうすることで、生き抜くたくましさ、そう、自信をつけてほしい。
ちなみに、身長の低さは克服できないだろうが、それに代わる何かがあれば、多少の背の低さなど気にならなくなる。
大丈夫。あなたは、世界にたった一人のかけがえのない存在だ!

自信をもってポジティブに生きよう!

広島土砂崩れ 救助・捜索続く

土砂崩れ、死者32人に=新たに3歳児も、9人が不明―救助・捜索続く・広島(時事通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140820-00000071-jij-soci

私たちは、自然災害の恐ろしさを、再び目の当たりにすることになった。被災された方に、心からお見舞い申し上げたい。
土砂が道路を川のように流れていくさまは、まさに地獄絵。どんなに恐かったろうか。
いつどこで、どんな災害が待ち受けているか、人知の及ぶところではない。
一刻も早く不明の方々が見つかり、町が再建されることを祈る次第である。

ワシントン・ポストが韓国系住民への迎合を戒める

「韓国系有権者への過剰な迎合だ」米W・ポスト紙、「東海」併記や慰安婦石碑を問題視(MSN産経)

こういった健全な言論については歓迎したい。
歴史の真実を完全に解き明かすことは不可能でも、「事実」を積み重ねていくことはできるはず。
それが歴史のあるべき姿だろう。
「政治」で事実をねじ曲げるようなことはあってはならない。

養殖アユ電気系統トラブルで16万引死亡

養殖アユ16万匹死ぬ、電気系統トラブルか(日本テレビ)

「養殖アユ」の命綱は電気だった。先月も同じ椹野川漁協で、電気系統のトラブルで約17万匹のアユが死んだばかりという。

事故の教訓が生かされず、再び起きた事故により、無駄死にしたアユたちの命が惜しい。

原発の命綱は、冷却である。何万年、何億年といった気が遠くなるような長期スパンで管理しなければならないという。

そして冷却に不可欠なのが、電力、電気である。

想定外のトラブルで命を落とした「アユ」の悲報に接し、今後、増々の想定外トラブルが予測される、原発施設の再稼働に、数多くの、人の命を重ねてみるのは、私だけであろうか。

サウジ王子が襲撃される

仏パリでサウジ王子の車列襲撃、現金25万ユーロ奪われる(AFPBB)

25万ユーロといえば、日本円にして約3400万円。現代社会において、これだけの現金を持ち歩く王子(正確には王子一行)の感覚もさることながら、これをけが人なくスマートに奪い取る犯人もなかなかだと不謹慎ながらも感心する。
 それというのも、この事件に先立つこと、本年5月22から24日の三日間、世界最大の産油国として知られるサウジアラビアのファハド王子が、フランス・パリ郊外にある「ディズニーランド・パリ」を貸切状態にして豪遊したとイギリスBBCやThe Telegraphなどが報じていたからだ。
自らの学位取得を祝うため、60人を招待して開いたパーティにかかった費用は、なんと1500万ユーロ、日本円にして約19億5千万円だったという。けた外れだ。
こうした感覚からすれば、3400万円など庶民の感覚の比ではない。たとえとられたところで痛くもかゆくもないだろう。
あるところにはある。
日々の労働が、馬鹿らしく思えるような話である。

西之島、斜面崩落の可能性

西之島、斜面崩落の可能性…父島に津波の恐れも(読売新聞)

新島ができた、国土面積が増えた、と単純には喜んでいられなくなったニュースである。
斜面崩落で父島に津波が到達するおそれもあるとか。
大自然というものは、人間に都合よくはできていない。
時として人間に牙を剥き、襲いかかり、苦しめ、生命を奪うことすらある。
せめて、人間くらいは、他の人間に迷惑をかけず、平和に暮らしていくことができないものか…。

辺野古発掘調査

辺野古掘削調査:抗議の間隙縫い 「既成事実化」批判も(毎日新聞)

いよいよ、辺野古のボーリング調査が始まった。エメラルド色の海に、また新たな建造物が立つのかと思うと、沖縄県民でなくとも切ない気持ちになる。
首都の繁栄は、地方の犠牲の上に成り立つ。それを当然と、顧みない人に、この切なさは理解できないだろう。私たちは、一人では何もできない。国民が信託した、国という共同体の中で諸問題の解決を試みるも、その規模が大きくなればなるほど、地域格差が生じる。
安保保障で、米軍の支援は必要だが、基地負担はしたくない・・・。
誰でも同じだ、そのように考える。
これまでのように、政府は、財政基盤が弱い地域に、金の力で皆が忌避したい負担を一方的に押し付ける政策を取ってはいけない。分かっていても、適当な代替え案もなく、また沖縄の方々にご負担いただくことになるのかと思うと、心苦しい限りである。
 海洋万博開催の際、浅瀬のリーフを埋め立て、道路を作ったという。そうしたところ、サンゴが死んだ。生態系が破壊され、人に害をもたらすオニヒトデが増えたという。
 物事はすべからくバランスであるが、人々に利便性をもたらすはずの開発が、必ずしもそうばかりでなかったことにつき、人類は既に経験済みである。しかし、中国の脅威、近隣諸国の脅威から国防を考えたとき、沖縄という立地における基地拡充の重要性も否定できない。
 人類がみな兄弟であり、平和であれば、そのような心配をすることもないのにと思うと、やはり切ない。子供たちの未来を、国の将来を考えると、ジレンマだらけである。

暴力に屈してはならない

交通トラブル?東京・赤坂で男性連れ去られる(読売新聞)

恐い世の中だ。道もおちおち歩いていられない。
自分の権利を主張したところが、反対に暴行を受け、監禁されるなど、常識では考えられない。
たとえ、自分にその意識がなくとも、結果的に自分のした行為が相手に迷惑をかけたならば素直に謝るのが道理ではないか。
傍若無人な扱いをされても、黙っていなければならないとしたら、私人間における対等平等の原則は机上の空論だ。

近頃、大人になってもわがままな限りの振舞をし、人に迷惑をかけても当然といった人間が少なくない。
自分をしたことを、そっくりそのまま相手からされると、我慢できない幼児がそのまま年をとったような人もいる。
コミュニティーのはみ出し者は、皆で排除するか、矯正するか、いずれにせよ、対等平等の立場で構成員が気持ち良く社会生活が送れる地ならしをしなければならない。

誰かがしなければ…おそらく連れ去られた男性は、そうした使命感から、危ない運転に一言物申したのだろう。
正義感が強い方だったのだろう。それだけに、無事に見つかってもらいたい。
社会は、どのような場面においても暴力を許してはいけない。
暴力に屈してはならない。

「先生はえらい」(内田樹著)

「先生はえらい」 (ちくまプリマー新書) [新書]

内田樹 著

 今時の小学生は、受験の現代国語の読解で、こんな文書を読んでいるのだと、職員が教えてくれた。表題の書籍につき、興味をそそるくだりがあったので紹介したい。

「学ぶというのは創造的な仕事です。

それが創造的であるのは、同じ先生から同じことを学ぶ生徒は二人といないからです。

だからこそ、私たちは学ぶのです。

私たちが学ぶのは、万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために私たちは学ぶのです。

私たちが先生を敬愛するのは、先生が唯一無二性の保証人であるからです。(中略)弟子たちは決して先生から同じことを学びません。ひとりひとりがその器に合わせて、それぞれ違うことを学び取ってゆくこと。それが学びの創造性、学びの主体性ということです。」

将来を担うリーダーたちは、なかなか難しい哲学に触れている。小学生の学習内容と侮れない内容である。学習項目におけるレベルと、学習に対する意欲が兼ね備わっていなければ、学習効果を上げることは難しいことは言うまでもない。

著者が述べるように、人生の中で出会った師を敬愛するのは、「自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実」の生きた保証人を得る為なのである。

そして著者は、師弟関係の基盤につき、「この人の言葉の意味を理解し、この人の本当の深みを知っているのは私だけではないか、という幸福な誤解」と述べている。

思うに、そうした幸福な誤解が、その範疇に収まっている限りは正しい学びの方向にベクトルは向くのであろうが、そこに自己本位な邪念が存在する限り、究極、人間関係を破たんさせ、自滅の方向へベクトルが向く。少なくとも、師への恩を忘れ、未だ到底その域に達していないにもかかわらず、「出藍の誉れ」を吹聴する不届き者は、「自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実」の生きた保証人を失うことになる。

深く考える習慣は、子供のころから必要である。そういた意味からすれば、中学校受験の功罪は賛否両論あるものの、子供に学びの主体性がある限り、手助けするのが周囲の大人の役割ではないかと思う。

ベートーベンの、交響曲第5番「運命」に号泣す

交響曲第5番「運命」は、ベートーベンが「運命はこう扉を叩く」と述べたという。これは、彼の晩年の秘書であったアントン・シンドラーの伝えるエピソードによる。この交響曲の特徴は、「暗から明へ」あるいは、「闘争から勝利へ」というドラマチックな展開にある。

 第1楽章の苦悩に満ちた闘争から、第4楽章の勝利の喜びに至るドラマトゥルギー(作劇法)は、それまでの交響曲にはないものと言われている。

 彼は、この交響曲のシンボルというべき「運命の動機」・・・「ジャジャジャジャーン」によって、4つの楽章を有機的に展開させ、全体を通じて「暗から明へ」そして闘争を経ての歓喜へ至る結実に成功を収めた。どんな苦難も、自分がそれを真摯に受けとめ、強い意志を持ち立ち向かえば、必ずや道が開けるといったストーリー展開を髣髴とさせる。

 ベートーベンは、この作品において、第3楽章と第4楽章をつなげるという大胆な試みを行った。全曲を通じて描かれる、闘争を経て至る歓喜へのすき間ない楽曲に、何度聞いても心酔して、せりあがるフレーズ展開、オーケストラが奏でる重層的な音の洪水に、私は小舟の如く歓喜の渦に圧倒されつつも、心地よく身を委ねる。

 これが、ベートーベンの、交響曲第5番「運命」である。

子供の遺棄・置き去り

子供遺棄・置き去り:「親なんていない方が…」心に深い傷(毎日新聞)

人生のスタートから、大きなハンデを背負った子供は、その子の責任ではなく、それだけに非常に気の毒である。社会や周囲の大人の智慧で、こうした子供達にも、ビッグになる夢や可能性を授けたい。
あしながおじさんの「ジュディー・アボット」のように
フランスの女性ファッションデザイナーの「ココ・シャネル」のように
カレーハウスCoCo壱番屋の創業者・「宗次徳二氏」のように
もちろん、本人の努力は不可欠だが、未知なる可能性にチャレンジする機会の平等は、社会が保障しなければならない。大人の私たちに、何ができるか。一人一人が真摯に考えたい記事である。

お尻ふきロボット

ロボット:お尻ふきふき 楽ちん介護 開発に苦節8年(毎日新聞)

自動車用品会社が、お尻ふきロボットを開発。これからの時代、老老介護の、一翼を担う救世主になるであろうロボットは、介護の現場に不可欠になるだろう。

開発のきっかけは、社長自身の介護体験だという。社会貢献のための素材は、案外、身近にあるものなのである。

実用化され、介護の現場への一日も早い導入が望まれるロボットである。

オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーンの孫がモデルデビュー!(シネマトゥデイ)

中見出しに「孫も美しい!オードリー・ヘプバーン写真ギャラリー」とあった。

オードリー・ヘプバーンは、確かに美しい。その容姿に、気品が漂う。
そして、晩年は映画界から退き、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。
彼女の気品は、そういった内面の美しさが、容姿ににじみ出ているのであろう。
自ら、自分の偉業を誇張しなくとも、人々は、彼女の行いを正しく評価している。

皆さんは、「オードリー・ヘップバーンという生き方 (新人物往来社文庫)」をお読みになったことがあるだろうか。
彼女の人生の軌跡は、スクリーンから想像するような高貴なものではない。
むしろ、数奇なのものといえよう。
彼女の両親は彼女が幼少のころ離婚しているし、自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
しかし、そのコンプレックスに真摯に向き合い、弱点をバネに、没後も現在の評価を勝ち得ているのである。
逆境をものともしない人生は、人の心を打つ。自ら何も語らずとも、真摯な生き方とと、仕事の実績が名声を後押しする。

「孫も美しい!」・・・確かにそうだが、私のブログの読者の皆様には、オードリー・ヘップバーンは最初から妖精ではなかったことに着目してほしい。