Archive for 6月 2025

【物議】おかずは鶏のから揚げ1個?小学校給食に「少ない」教育委員会「2個分を1個にまとめて提供」赤字の学校も…厳しい給食の現場

【物議】おかずは鶏のから揚げ1個?小学校給食に「少ない」教育委員会「2個分を1個にまとめて提供」赤字の学校も…厳しい給食の現場(めざましmediaみんなの意見)

給食は何のためにあるのか。
全国的に普及した背景には、
戦後の食糧事情がある。
子供達の栄養摂取を第一義的に考え始まったと聞く。
最初は、脱脂粉乳から。そしてコッペパンが加わった。
給食の現場では、学校の敷地内で作る自校方式にせよ、
周辺の学校の給食を一手に担うセンター方式にせよ、
管理栄養士を中心として、調理員が心を込めて作っていた。
先進的な都市では、月に何回かは、
自分が好きなものを好きなだけ選ぶことができる、
カフェテリア方式を導入したところもあった。
自身の体格を考えながら、
人それぞれに必要な栄養バランスを、楽しみながら学ばせることが目的だ。

子供達は、勉強ができる子もできない子も、
体育が得意な子もそうでない子も、
給食の時間を心待ちにしていた。

今の子供たちは、その楽しみの時間に、
この程度のメニューしか食せないのかと思うと身につまされる。
予算の関係で、栄養基準を満たしていれば致し方ないというのは一理ある。

とは言うのの、今や、学校給食は「食育」に位置付けられる。
人生100年時代、病気の期間、食欲不振の日を除いて、食べない日はない。
何をどのくらい、どう食べれば、
病気にならない強い体を作ることができるのか。
楽しく、おいしく、毎日の食事時間を過ごすにはどうしたらいいか。
それも学校教育の、大切な目的のはずだ。
一説には、貧困家庭の唯一の食事であるとのケースも聞く。

唐揚げ一個とみそ汁の給食は、今の時代に、楽しみに値するのか?

選挙を目前にして、また、国民一人に
数万円の現金給付が取りざたされている。
低所得者にとって、それは有難いかもしれないが、
バラまき行政をする前に、必要なところへ
予算を振り分けていただきたい。

学校給食も然り、高額療養費も然り。
国民の血税は、有機的・機能的に活用してほしい。

専務だった父の労災、残業100時間超でも一蹴 壁を超えた娘の闘い

専務だった父の労災、残業100時間超でも一蹴 壁を超えた娘の闘い(朝日新聞)

何事も、形式ではなく実態が大切である。
労災においても同じようなことが言える。
主張するのは遺族だ。

社労士は会社の側に立つべきか、
労働者の側に立つべきか。

顧問料をもらっていると、
会社を擁護したくなるのは当然だが、
情況を勘案して、公正中立に物事を判断しなければならない。
労働者が安全に働けるよう、法令遵守を指導するのも、
社労士の仕事である。

このケースの場合、結果的には使用者とされていた専務が、
実体は労働者とされ、労災が認定された。
労災が認定され、その先に裁判が提起されも
会社側が解決金を支払い、幕引きとなった。

金額はいくらに落ち着いたのか定かではないが、
相応の支払いはしたものと推察される。

いくら解決金をもらったところで、
故人は逝きかえらない。

1つの事例は、氷山の一角ではないか。

それにしても、18年に認定された労災が、
今ころ話題になるのは遅すぎやしないだろうか。
同種事案を防止するためにも、
早めに情報は発せられなければならないだろう。

時の記念日

6月10日。
今日は時の記念日だ。

ウィキペディアによると、

「時の記念日は、日本で時間の大切さを認識するために制定された記念日で、
毎年6月10日に祝われます。
この日は、日本で初めて水時計(漏刻)を使って時を知らせたとされる、
天智天皇10年(671年)6月10日に由来しています。」

とされている。

皆さんは、ご存知だったか?

…と言われても、水時計(漏刻)のイメージがわかない。
奈良の飛鳥資料館HPをのぞいてみる。

これを見ても、まだしっくりこない。

6月10日、時の記念日を、
もっと国民にアピールした方が良いのではないか。

いずれにしても、今日は、かわいいコレクションの時計たちに、
謝意を伝えよう。

いつも、正確に時を刻んでくれてありがとう。
これからもよろしく。

「どこまでもズブズブ」「消費者を軽視しすぎ」野村哲郎元農相(81)に総額7000万円の“JAマネー”献金、28人天下りも…JAと農水族“癒着報道”に怒りの声

「どこまでもズブズブ」「消費者を軽視しすぎ」野村哲郎元農相(81)に総額7000万円の“JAマネー”献金、28人天下りも…JAと農水族“癒着報道”に怒りの声(「週刊文春」編集部)

米不足のからくりが、ようやく見えてきた。
昭和の政治家がお得意の「既得権益」が未だにはびこっている。
国民がこれだけ厳しいコメ事情を抱えていても、
何かと大義名分で問題を先送りにしていた、
江藤前大臣含め、それ以前の体制が、ようやく明らかになりつつある。

そうでなければ、小泉大臣にバトンタッチした際、
石破首相が自身の首をかけて、
コメ価格の引き下げを断言しなかっただろう。

郵政改革をした元首相を父に持つ、小泉大臣なら、
農政改革は適任だ。
いや、改革と言うまでもない。
いわれのない「既得権益」を糾し、
正常な状態に戻すだけのことだ。

国民が老後の心配をしながら、
あくせく働いているにもかかわらず、
政治家が甘い汁を吸っている。
核心部分まで、メスを入れなければならない。
それがマスコミの役割であり、野党の使命であろう。

長嶋茂雄さん告別式 喪主の次女・三奈さんが最期を明かす「最後まで長嶋茂雄を貫いた人生」

長嶋茂雄さん告別式 喪主の次女・三奈さんが最期を明かす「最後まで長嶋茂雄を貫いた人生」(スポニチアネックスみんなの意見)

ミスターは、最後の最期までミスターらしい。
大勢の関係者が一堂に会し、その死を惜しむ。

「意識がなくなっても諦めず、
そして、最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよと。
父の心臓の鼓動がそう発していると、私は思いました。
父らしい、最期まで諦めない姿を見せてくれました」

自身の誕生日にあちらの世界に赴いた父親を、
喪主としての大役を務める美奈さんから、
語り部として紡がる言葉が、聞く人の心に沁みる。
また、ミスターの茶目っ気のあるお人柄は、
多くの人の口から語られる。

様々な方向から光が当てられ、
テレビでしか見たことのないミスターの
人物像が立体的になる。

人の心に、その存在を刻む。
これが生きた証と言えよう。
故人との特別な思い出が、記憶が、
語り部の口から懐かしく語られる。

ミスターの人生は、人々における、理想の生き方の手本となった。

マスクvsトランプ決裂が示すアメリカの苦境

マスクvsトランプ決裂が示すアメリカの苦境

昨今のアメリカは、私たちが知っているアメリカと違う。
マスクvsトランプは、あれだけ蜜月だったにもかかわらず、
今は仇敵の間柄だ。
その派手なパフォーマンスばかりが報道され、
なかなか凡夫には、本質が見えてこない。
金がらみであることは確かだろうが、アメリカの財政がひっ迫するほどの
危機的状態であると、誰が本気で考えられるだろうか。

1929年、ウォール街の悪夢が再来するかもしれない。
その時、これだけグローバル化した社会で、
関係国が影響を受けないわけがない。

さあ、どうする…といったところで、
どうしたらよいものやら、見当がつかない。

最近覚えた、AIに尋ねてみる。

大恐慌でも強い業種は…

大恐慌のような経済危機の中でも比較的強い業種には、以下のような特徴があります:
1. 必需品関連
•日用消費財(歯磨き粉、石鹸、洗剤、トイレットペーパーなど)は、景気に関係なく需要が続くため、安定した業績を維持しやすい。
•スーパー・ディスカウントストア(ウォルマート、コストコなど)は、不況時に消費者が節約志向になるため、売上が伸びる傾向がある。
2. 生活必需サービス
•葬儀関連サービスは、景気に左右されにくい業種の一つ。
•医療・ヘルスケアは、人々の健康維持のために不可欠であり、不況時でも需要が減少しにくい。
3. 低価格娯楽
•酒類メーカーは、不況時にバーでの消費が減るものの、家庭での消費が増えるため、売上が安定する傾向がある。
•コスメ関連(特にリップスティックなど)は、不況時でも「気分を上げるため」に購入されることが多い。

ご参考までに。

SNSひぼう中傷受けた医師 投稿者20人超を特定した秘策

SNSひぼう中傷受けた医師 投稿者20人超を特定した秘策(NHK)

世の中には、人の成功、人が目立つことに対して、
屈曲した思いを持つ人が多くいる。
その表れが、SNSでの誹謗中傷だ。

表現の自由と、名誉やプライバシーを守る権利との対峙。
漸く、後者の権利が護られるようになったきた。

言葉の暴力は、時には人を傷つけ、死に追いやることもある。
「だったら、掲示板を見なければ済むだろう」
これは一昔前、そう、10年ほど前、警察に相談して返ってきた言葉だ。

確かに、他人ごとならそれですむかもしれないが、
自分のこととなるとそうとも言っていられない。

これは何も個人だけのことではない。
会社も同様な被害に遭う。

SNSでの誹謗中傷は、匿名性がアダとなり、
発言者の責任を問うことが難しかった。
過去、「2ちゃんねる」というサイトがあった。
管理人が何も対策をしなかったために、
無法地帯は何でもありで荒に荒れ、社会問題化した。
書き込みをされたほうは、サイトの運営者を相手取り、
相当な数の民事裁判を起こした。
その結果、損害賠償請求が認められたわけだが、
被害者の被害は、今も回復していない。
それというのも、サイトの運営者が損害賠償の支払いを拒否したからだ。

その管理人は、「2ちゃんねる」の賠償金“30億円”踏み倒しは
「全く悪いと思ってない。悪いのは法律」
と言ってのけ、そうした過去を知らない若者に、
今でもカリスマ評論家としてあがめられている。

法治国家において、法の判断を無視する行為は、実にいただけない。
またそうした人を、メディアに出すこともいかがなものかと考えてしまう。

話しはさておき、その悪い法律が時代とともに改正されていく。
「プロバイダ責任制限法」に定められた「発信者情報開示命令」は、
被害者の負担が劇的に簡素化され、使い勝手がよくなった。

しかし、相手に資力がなければ、「2ちゃんねる」と同様、
裁判で勝ちえた「債務名義」は、空手形になる。
とはいうものの、少しはましな良心には、訴えるツールになることだろう。
俗にいう、「抑止力」である。

誹謗中傷や、名誉毀損は後を絶たない。
幸福度の高い生活をしている人は、妬みや嫉妬からの距離が遠い。
よって、SNSの匿名性を利用して、相手を貶めようとすることはまずない。

問題は、自分で努力もせず、低レベルの生活をしなければならないことを
他人や社会に責任転嫁し、人の成功を妬む愚か者の存在だ。
「誹謗中傷や、名誉毀損は後を絶たない」…ということは、
れだけ人々の心はすさんでいる、幸福でないということに他ならない。

人の幸福を妬むのではなく、どうすれば自分が幸福になれるか、
そちらに目を向けるべきだ。
何も、物を所有することだけが幸福ではない。
自然に感謝し、温かな周囲の人との交流の中に、
経済的価値に変えられない幸福が存在することを、
まずは認識してほしい。

愛弟子・松井秀喜氏「一番はもう感謝だけ」“恩師”長嶋茂雄氏を弔問 約2時間15分の対面 「長嶋監督と生前約束したことを果たしたい」

愛弟子・松井秀喜氏「一番はもう感謝だけ」“恩師”長嶋茂雄氏を弔問 約2時間15分の対面 「長嶋監督と生前約束したことを果たしたい」(TBS NEWS DIG Powered by JNN
みんなの意見)

長嶋監督のお人柄がしのばれる話が数多い。
その中でも、愛弟子である松井秀喜氏とのエピソードは、
ひときわ、心が温まる。

自分が今あるのは、恩師がいてくれたからこその感謝。
世界のゴジラは、監督との二人三脚の日々を述懐する。
心は形に表れ、形は心を表す。
手繰り寄せられた運命の赤い糸は、何年たっても色褪せることはない。
ますます恩師を語る言葉に、熱がこもる。
こうした師弟関係は、羨望と言っていい。

人は生まれて、天寿を全うした後、鬼籍に入る。
同じ一生でも、その時間の中で、
どれだけ人と真摯にかかわり、
周囲の人の記憶に、その存在を留めることができるか。
それがその人の徳であり、人生の軌跡である。
意識せずとも、普段からの付き合いが、結果そうなる。

山あり谷ありの人生は、瞬間の輝きも必要だが、
トータルでどれだけインパクトのある人生を送れたかに
その真価が問われる。

長嶋監督の圧倒的な存在感は、
周囲の多くの語り部が、ますます強固なものにしている。
松井氏の、監督との生前の約束に期待したい。

会社代表になりすまし“地面師詐欺” 男性らから14億5000万円をだまし取った疑い 52歳会社役員を逮捕

【速報】会社代表になりすまし“地面師詐欺” 男性らから14億5000万円をだまし取った疑い 52歳会社役員を逮捕(毎日放送)

大きい。実に、金額が大きい。
未だに、こうした詐欺ができてしまうことに驚きだ。
よほど巧妙な仕掛けがされ、演技もうまいのだろう。

ロマンス詐欺、オレオ詐欺、還付金詐欺、警察官を名乗る詐欺、
証券口座の乗っ取り、先物取引詐欺…

人が欲で、目がくらんでいる間隙を縫って、こうした詐欺が行わる。
美味い話には、気を付けなければならない。
人は、疑ってかからなければならない。
それでも、素人はどこかに隙を作ってしまう。

随分と世知辛い世の中になったものだ。
権利は、自分で守らなければならない。

「父の頑張りを目の前で見ながら迎えた誕生日は、一生忘れられません」…長島三奈さんが看取る

「父の頑張りを目の前で見ながら迎えた誕生日は、一生忘れられません」…長島三奈さんが看取る(読売新聞)

誰もが確実に約束されている臨終。
その日が、いつか来るとは理解していても、
いざその日を迎えると、言われもない喪失感を覚える人がいる。

ミスターは、最後の最期まで、存在感を放つ方だった。
ジャイアンツの永久欠番「3」は、
愛娘の誕生日の、6月3日に亡くなった。

ミスターを知る多くの著名人、街の人は、
異口同音にその死を悼む。
ミスターが社会に、その時代に残してくれた足跡に、
誰もが感謝し、偉業をたたえる。
何年たっても、同じような方は現れないだろう。
不世出な方だ。

残念なのは、ご家族の問題が後を引きずっていることだけだ。
お子さん方は、大スターの親御さんを持ち、
世間の関心が高いことから、
これまで、衆人監視が重荷だったこともあるに違いない。
しかし、それなりの年齢になられ、
社会で活躍をされている方々だ。

大人の知恵で、難局を乗り切ってほしい。
ミスターが安心して旅立てるよう、
皆が祈っている。

【独自】備蓄米放出で倉庫収入消失 月4億6千万円、廃業検討も

【独自】備蓄米放出で倉庫収入消失 月4億6千万円、廃業検討も(共同通信)

備蓄米の放出…ニュースやワイドショーは、連日この話題で持ちきりだ。
コメ問題で、人々の生活のバランスが大きく崩れた。

昨日あたりから、米がようやく安値で売られるようになったとのことだが、
開店前から、販売店には長蛇の列。
戦時中の配給制度を彷彿とさせる。
令和の時代、日本国の主食であるコメを購入するのに、これはない。

同じ備蓄米の放出で、前の大臣では安くならず、
一転、新大臣になってすぐ安くなるのはなぜか。
ここのカラクリはきっちり抑えなければならない。

同時に、倉庫業の生き死にに発展するのは驚きだ。
当然と言えば当然だが、倉庫収入消失の金額が大きすぎる。
減反政策を転換して、この秋、相当量の増産が見込めなければ、
新米を備蓄することは難しいだろう。

少なくとも、増産がされたとして、新米収穫の10月まで、
月4億6千万円の消失は続く。
6月から9月までの4月として、ざっと18億4千万円。
倉庫業者でなくとも、クラクラする。
肩を落とすなと言っても無理である。
しかし、そこで見方を変える工夫をしてほしい。

昨日、パソコン教室の講師が語っていた。

戦後、御多分に漏れず、
何もかも無くした漁師町。
その頃まだ40代だった祖父が、
通信機器の発達していない時代に、
周辺はどうなっているのだろうと、近くの都市まで、歩いて状況を見に行った。

そうしたら、自分の町だけでなく、どこもかしこも焼け野原。
そこで思ったことは、
「これからは、建築や!」…だったそうだ。

出かけるときは暗かった祖父の顔が、
帰ってき時、活力で輝いていたという。
それまでの仕事とは畑違いだったが、独学で建築を学び、
早々に起業したとのこと。

これは、「はだし」だけの住民が住む島に、
セールスマンが、靴を売りに行った時の話と同じだ。

Aセールスマン。「はだしだけの人たちに、靴を売っても売れません。」
Bセールスマン。「はだしだけの人たちには、一人一足売っても、相当な数の靴が売れます。」

同じ境遇にあっても、そこに活路を見出す人と、
諦観の念を持つ人とでは天地の差だ。

私たちは、常にBセールスマンでありたい。

増える老年離婚 「積年の恨み」が限界に達するとき

増える老年離婚 「積年の恨み」が限界に達するとき(朝日新聞社)
介護離職 救いはどこに(関テレ)

長い間夫婦をしていると様々なことがある。
日々楽しく、一緒に夢を追い、笑い、価値観を共有する。
星の数ほどいる異性の中から選んだ配偶者なのだから、
共白髪になるまで、仲良く添い遂げるのが理想だ。

しかし、夫婦は社会の最小単位である。
生まれ育ちが異なる二人が共同生活をするのだから、意見の違いは当然だ。
長い間、我慢を強いられると、火山のように怒りが爆発する。
マグマのようにフツフツと湧く怒りが、頂点に達した時、
本人らの中では取り返しのつかないことになる。
きっかけは些細なことでも、「積年の恨み」が爆発する。
ガス抜きをしながら、ちょうどいい距離を保って生活していかないと、
人生の終盤で、思いもよらない結果を招く。

また、病気には抗えない。
妻の若年性痴ほう症が原因で、
介護離職を余儀なくされる夫婦の在り方も、また、家族だ。
こちらの方は、国の制度が問題である。
介護保険の制度も、適宜見直しがされているが、
真に介護が必要な人々の要望には程遠い現状だ。
誰もが同じように負っているリスクを、なぜ回避できないのか。

介護する側の夫は、妻に対する感情を、
「愛情」ではなく、長く連れ添った「情」だと言う。
大家族のときは、介護の担い手が家族にいた。リスクは分散できた。
だから長年、国は、介護や育児は、家庭で何とかする問題だと高をくくっていた。

しかし、核家族が家族の形態の多くを占める今、
何方かが要介護者になった場合、夫婦のどちらかが支えなければならない。
徘徊が始まると、職業についていられない。

その後夫は、癌に罹患しても、国の救済制度はない。
収入が途絶える。貯金が底をつく。
老々介護の現実はことのほか厳しい。

これは、何も夫婦に限らない。
生涯独身を貫く単身者も、同じ問題を持つ。
病気になり、支援してくれる人がいないと、
その先は、孤独死しかなのか。
日常に何らかのアクシデントが加わると、
いとも簡単に生活が立ちいかなくなる。

とりあえず、私たちは、そうしたリスクを意識しながら、
普通の生活がある今を大切にしなければならない。