Archive for 河野順一の雑感

観光客がヒグマに「スナック菓子」を与えている…知床・羅臼岳に「殺人グマ」が出現した恐ろしい背景事情

観光客がヒグマに「スナック菓子」を与えている…知床・羅臼岳に「殺人グマ」が出現した恐ろしい背景事情(プレジデントオンライン)

これまで棲み分けされていた生息域に、重なりができた。
この重なりが、「殺人グマ」を出現させた。

重なりの原因は、どうも、私たち人間側にある。
これまでも、野生の猿やキツネなど、
観光客の無責任な餌付けが社会問題化していた。
それが、今度は対象が「熊」となり、近時の騒動である。

相手が動物にしろ、人間にしろ、
距離感をはかることが大切だ。
心を許して、とことん仲良くできるのであれば話は別だが、
往々にして、そうした曲解が悲劇を生む。

自然との共存は、生態系を超えてはならないし、
その恵みには敬意を払わなければならない。
人間社会は、自然を支配下に置いたがごとく乱開発し、
自分たちに都合の悪いことを切り捨てていく。
こうした傲慢不遜な態度に、あるべき自然が反旗を翻す。

正しく虞を知らない愚民は、自然を司る者からの鉄槌を食らう。

残念ながら、人類は間違った進化の仕方をしてきたとしか言いようがない。
温室効果ガスの扱いについても、過大な消費社会が招いた失態だ。
その結果、生態系が崩れている。

尊大な人類が招いた通信簿は、人食い熊の出現をはじめとした、
人間に住みにくい環境の招来だ。

憂いているだけでは始まらない。
まずは、個人ができることからスタートしよう。
熊が出没するエリアでの、ごみの片づけ。
餌付けの禁止。
むやみに近寄らない。親和性を持たない。
熊が出没する時間帯の、単独行動を避けること。
インバウンド客の、マナーを徹底させることも一つだ。

熊も生きなければならない。
種の保存をはかりながら、
本来あるべき方向に軌道修正していくことが求められる。
問題は、明らかに人間の側だ。
叡智を絞り、この問題を解決していかなければならない。

閉鎖された地下の入浴施設に見知らぬ男 シャワー浴びているところを現行犯逮捕 札幌市

閉鎖された地下の入浴施設に見知らぬ男 シャワー浴びているところを現行犯逮捕 札幌市(STVニュース北海道)

62歳男性。
ここまで、生活に追い詰められているのかと思うと切なくなる。
この年代の人間は、長く老齢厚生年金受給におけるモデル世帯とされていた、
「夫婦に子供二人、夫はサラリーマンで妻は専業主婦。
会社は年功序列で、定年まで勤め上げ、
ささやかのマイホームは、そのローンを退職金で完済する。」
…このような生き方が、一般的だと教えられて育った。

しかし、長い年月の中、どこかでこの仕組みが破綻していった。
生涯独身の人も多く、不況にリストラは当たり前。
住むところさえままならず、シニアのお一人様は、
賃貸住宅すら借りるのに困難を極める。
「孤独死」のリスクが高いからだ。

逮捕された、この男性の境遇を勝手に想像してしまう。
近年、様々な社会問題を見るにつけ、
生活貧困者となった原因が必ずしも、
個人の責任とは言えない事情がある。

物価高、雇用環境、社会保険、社会福祉、
生活困窮者を作る要因が巷にあふれている。

シャワー代をケチって、不法侵入する男性は、
今、何を思っているのだろうか。
この暑い最中、予備軍の存在を忘れてはならない。

部下を宙づり、パワハラした消防士 最高裁「処分は適法」と逆転判決

部下を宙づり、パワハラした消防士 最高裁「処分は適法」と逆転判決(朝日新聞社)

「部下を宙づり」これは適法な訓練か、それとも指導を超えたパワハラか?
一審、控訴審は、懲戒に値するパワハラではないとし、
処分の取り消しを判断した。
そして最高裁は、一点、処分は適法と判断した。

証拠に基づく事実を、丁寧に判断するのが地裁の役目である。
その判断に不服があれば、不利益を受けたほうが控訴する。
高裁は、比較的、右から左で、地裁の判断を重んじる。

通常、最高裁でその判断が覆るのは難しい。
なぜなら、下級審が二度も細かく判断しているからである。
その判断に不服があれば、不利益を受けたほうが上告する。

今回のケースでは、珍しく、最高裁が下級審の判断を覆した。
実に、裁判官の胸三寸だ。
権利と権利が使った際、
担当した裁判官が、勝たせたい方に有利な理由を証拠から拾う。
つまり、裁判官の心証だ。

よって、裁判官の当たり、外れが大きくものを言う。
担当裁判官の引きについては、運・不運といってもいい。
今回のケースでは、時間も費用も掛かるものの、
パワハラした消防士の使用者である市は、
途中であきらめずに主張し続け、よかったということになる。

裁判は、必ずしも真実を追及するところではない。
何方の言い分に、どれだけ客観性のある証拠が存するか。
またその証拠を審判である裁判官に対し、
いかに自分の主張に客観性があるか、
強く心証を与えることができるかのせめぎ合いだ。

消防署の一般職員である部下は、これで理不尽な指導を受けずに済む。
和やかな雰囲気が、消火活動の向上に寄与してくれることを願う。

東京23区の中古「億ション」10年で16倍 港・千代田で半数以上

東京23区の中古「億ション」10年で16倍 港・千代田で半数以上(朝日新聞社)

気候も温暖化ならぬ、熱帯化で狂っているところへもってきて、
不動産の価格も狂っている。
誰が買うのかというと、諸外国の富裕層だろう。
日本の国民がまともに働いて、自分の住宅すら持てないというのならば、
勤労意欲は低下の一途をたどる。

外国人=治安の悪化と、短絡的に結び付けるのは危険かもしれないが、
文化の違いが倫理観の隔たりを助長し、
これまでのように島国独特の、阿吽の呼吸、以心伝心は通用しなくなる。

インバウンドが言われて久しいが、
一昔前の日本とは明らかに違う。
日本人と同じような風体でも、話す言葉が違う。態度が違う。
あまりに外国人が多い場所は、国内でありながら、
海外旅行で感じた、あの緊張を覚える。

風景や、建物は昔が色濃く残るが、
その実、似て非なるものになりつつある。
私達は、どこを向いて歩を進めればいいのだろう。
強力なリーダーシップを持つ政治家は不在で、
この国の不動産が外国人に買い漁られている事実。
その実態すらつかんでいない政府。
これまで楽しめた自然のテリトリーには、
熊という、今や共生が難しくなった害獣が生息する。
私達の生活の場は、どんどん狭まる。

これまで私達は、当たり前に、普通に生活してきたが、
気付けは、様々な制約が課せられ、
特に、シニアは、
年金だけでは生活がままならない状態になってきた。

日本丸は、何処に向かっているのか。
若者に、荷が重いのであれば、
ロートルはまだまだ自力で頑張らなければならない。
楢山節考よろしく、座して死を待つわけにはいかない。

読売新聞社、維新・池下卓氏の不正受給記事で誤報認める「強制捜査の対象を誤っていた」

読売新聞社、維新・池下卓氏の不正受給記事で誤報認める「強制捜査の対象を誤っていた」(産経新聞)

大手新聞が、人権侵害にかかわる誤報をする。
人間のすることだから、間違いはある…
では済まされないのが報道の世界だ。
それが新人だろうが、ベテランだろうが、
「していない犯罪をしている」として、
実名入りで世に知らしめるわけだから、報道されたほうは迷惑至極。
間違いなく、名誉毀損である。

自分の落ち度で、相手に不快な思いをさせたのだから、
謝罪は、早ければ早い方が良い。
とるものもとりあえず、まずは誠心誠意の心を見せなければならない。

余談だが、香典袋の文字は、「薄墨」と相場が決まっていた。
硯で墨をする機会が少なくなった今は、死語に近いが、
これも、「とるものもとりあえず」の意に通じる。
すなわち、「薄墨」とは、
十分に、墨をする時間もないほど慌てて弔問に参上したという、
相手に対する、「心」を表す言葉だ。

それをしたからといって、してしまったことは、
最初からなかったことにはならないが、
心は形を表し、形は心を表す。
見えないものをビジュアル化することが大切だ。
これができないと、社会から信頼されなくなる。
相手にされなくなる。

経営者でも、徳がなく、驕りの人は、
謝罪すべき場面でこれができない。
「ごめんなさい」…は、
砂場で遊んだ頃に教えられた言葉ではないか。
厚顔無恥、傲慢不遜な輩は、
幼少に戻って、もう一度、
幼子に交じって砂場で遊んで来い。

息子は発達障害。毎日3時間の睡眠で向き合う日々。障害があっても困らない社会を作りたい…父の決断

前編 
後編 

「子はかすがい」である。
長い間夫婦をやっていると、所詮、生まれも育ちも違う二人だから、
不協和音を奏でる日もある。
しかし、二人のDNAを継いだ子がいると、その子のために頑張らなければと思うのが、
親の常である。

その「かすがい」が、
子供が障害をもって誕生した時、親は大きな悲しみを負う。
それでも、「生まれてきてくれてありがとう」
と言えるようになるには時間がかかる。
周囲の温かい応援や、行政のサポートを必要とする。

私の周りにも、発達障害を抱えたお子さんを持ち、
日々、奮闘されている方がいる。
仕事をしながら、子育てをする姿は本当に頭が下がる。
子供の昼夜が逆転している場合は、疲れて仕事から帰った夜も子育ては続く。
寝付かず騒ぐ子を静かにさせるため、
深夜の散歩では、子供を誘拐する不審者と間違われ、
警官から職務質問をされたこともあるという。
せっかく就寝している夜は、起こさぬよう、
懐中電灯の明かりを頼りに、足音を忍ばせ、家の中を移動するという。

他にも、健常者の子であれば気を使わなくてもいいことが山とある。

記事の方も、職を捨てて、子育てに臨んでおられる。
奥様と二人三脚で、家族を支える大黒柱だ。
この方も、ご子息に障害がなければ、障害児の問題を突き詰めることもなく、
警察官人生を全うされていたことだろう。
家族をこれだけ深く考える機会があったかもわからない。

立場が人を変え、社会を動かす原動力になっていることは確かだ。
「障害があっても困らない社会を作りたい」
「通える療育施設がないのであれば、自分で作ること」
この方は、ご子息に対する愛情と、環境がリーダーに押し上げた。

2018年に個人事業主として、
専門性ある母子分離型送迎付き児童発達支援
「エコルド・グループ」を立ち上げ、全国展開しているという。
現在は新たな立場で「発達障害にさせない社会」に向けて活動を続ける。
警察官とは異なる、道を歩まれている。
しかし、社会をよりよくするという観点では、根っこを同じくする。

いずれにしてもポジティブな生き方は、人々の心に響く。
お子さんのためにも、社会のためにも、よりよい人生を切り開いていってほしい。

都立高校教師の大平なる美容疑者(30)逮捕…マッチングアプリで知り合った男性から700万円詐取の疑い

都立高校教師の大平なる美容疑者(30)逮捕…マッチングアプリで知り合った男性から700万円詐取の疑い(FNNプライムオンライン)

男性教師の盗撮など、
教師の質の低下が認められて久しい中、
またもや、今度は女性教師の不祥事である。

子供を教える立場の人間は、
人格がすぐれている必要があることに、
異論のある人がいるだろうか。
だとしたならば、どのように人材を確保すべきかの問題になる。

長時間労働、低賃金、親からのクレーム処理などが蔓延していたならば
魅力的な職場とは言えないだろう。
労働環境が劣悪である中、求められる成果だけが高かったら、
良い人材は集まらない。
仕事は、「楽しい」「やりがいがある」と思ってしなければ、
クオリティーが高められない。
モチベーションの問題だ。

近時、特殊詐欺の闇バイトなど、
安易な仕事で、高額な収入を得たい
…と考える若者が増えている。
美味しい話に、危険はつきものである。

額に汗し、目に涙してコツコツコツコツする仕事が本物だ。
その先に大きな喜びを味わう腰ができる。
大きくたたけば大きく響く。
小さくたたけば小さく響く。

物理の法則は、人を裏切らない。

アラスカン・マラミュート

犬はかわいい。
人間と違って、忠実であり、愛情を注いだ分裏切らない。
無邪気で人懐こい。
不審者を威嚇してくれる警備員でもある。

しかし、犬を飼うということは、
その生涯に責任を持つということであるから、
簡単に共同生活を放棄することはできない。

よって、犬種により異なる特性を、
十分理解したうえで共同生活をスタートしなければならない。

大きな犬は、それだけで安心があるので私は好きだ。
三匹目にと、真剣で考えた犬種がある。

それは、「アラスカン・マラミュート」。
名の通り、アラスカを中心に生息する犬であるため、
極めて暑さに弱い。
個体は、大きなもので60キロにもなるという。
そして、力が強い。
運動量と、体に見合った餌を必要とする。
しかし、心は子供のままで、人間の膝のうえを好むという…

子犬など、まりのようにコロコロとしておりかわいいが、
やはり、今の自分では、飼うのが難しい。
もう少し若い頃に出会いたかった。
今、彼を迎え入れたら、お互いが不幸だ。

…きわめて残念である。

賢者の選択 2

「欲なくしてできぬ社会貢献」 天皇執刀医の働く極意

NHK【プロフェッショナル仕事の流儀】心臓外科医・天野篤の挑戦|天皇陛下執刀から88歳高齢手術まで」を視聴してからの、記事との出会いだった。

人々の称賛に値する人物は、
努力の人であり、実に謙虚である。
驕りなく、ぶれるところがない。
しかし、賢者は、最初から優秀だったのではなく、
強い願望と、日々の研鑽の結実である。

私達は、自分を磨きたいと思ったら、
崇高な人物を高みに臨まなければならない。
間違っても、学ぶことがない、徳を欠く人の傍に位置し、
「先生」などと崇め奉っていたら、
どんどん堕落した人生に突き進む。

「朱に交われば赤くなる」だ。

日本では心臓外科医が一生に
3000例も手術をすれば多い方といわれる状況で、
天野氏の手術例は優に7500を超えている。
何より数多居る心臓外科医の中で、
天皇執刀医に抜擢され、成功させた功績は大きい。

その名医中の名医が、病院経営で
『人も組織も成長しなければ責任を果たせない』
という理事長の教えが大きかったのです。
僕も止まらずに研鑽を積まなければという思いが強くなりました。
…と述べる。

「実ほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行く人だ。

自分一人の力で今があると思ったら大間違い。
驕りは、自滅の始まりだ。
気を付けなければならない。

賢者の選択

「凡事を極め、100年企業へ」
一角の人は、行動も言動も凡夫ではない。
当たり前のことを当たり前にする。
凡夫にはこれができない。

「親子ならば親を大事にするのは当たり前のことです。
会社なら創業者を大事にすることもまた当たり前のことです」

そのとおりである。

大和ハウス工業の樋口武男会長が朝、
大阪本社に出勤したらまず向かう場所がある。
創業者、石橋信夫氏の執務室だった部屋である。
2003年に石橋氏が亡くなった後も
本社15階の執務室はいまも残されている。
そこで石橋氏の遺影を前に経営についての思いを静かに伝え、
石橋氏の魂と対話する。

ここに、正しいリスペクトを見る。
「心は形にあらわれ、形は心を表す」
人としての徳を見る。

徳が欠落している人は、これを読んで何も感じない。

創業者に対するリスペクトができない会社は、
早晩社会の荒波に飲まれる。
会社のもつ社会的役割を明確に心に刻み、
その精神を次の世代に伝える。

必要なこと、不必要なことの選別を、創業者と対話する。
創業者が彼岸の人となった暁には、その魂と対話する。
生き残る企業には、それなりのアイデンティティがある。

会社もそうだ。
組織もそうだ。
引いては、国の形もこれに尽きる。

少しくらい金が稼げるようになったからといって、
間違っても、自分一人で大きくなったような口をたたいてはならない。

【真の志は、時代を超えて語り継がれる】

「朝に道を聞かば夕べに死すともかなり」
これは、春秋時代の思想家孔子が述べた言葉である。
秩序ある理想の社会ができたならば、
私はいつ死んでもいいという意味だ。

当時は乱れに乱れた戦乱の世。
一番売れた商品は義足だった。
生まれないよりは生まれたほうが良い社会。
生まれてきて良かったなあと
皆が実感できる社会が築けたならば、
どんなに幸せだろう。
これが孔子の思い描いた理想の社会だった。

私も社労士にならないよりは、
社労士になって良かった
という資格にしたいと常々思って活動した。
今でも、心からそう思っている。

SNS荒れる 東洋大学歴疑惑の市長 日曜夜に突然Xコメ欄解放して連投「#メガソーラ反対」 賛否殺到「卒業証書出せ」「論点ずらし」「メガソーラ断固反対」「絶対負けないで」

SNS荒れる 東洋大学歴疑惑の市長 日曜夜に突然Xコメ欄解放して連投「#メガソーラ反対」 賛否殺到「卒業証書出せ」「論点ずらし」「メガソーラ断固反対」「絶対負けないで」(デイリースポーツ)

この問題も、報道が始まってから久しい。
争点が魑魅魍魎としている。
公の場で、今や、どうでもいいともとれる
学歴詐称を、根掘り葉掘り取りざたされるのは、
決して気持ちがいいものではないだろう。
しかし、紫のリックサックを背負い、少し思わせぶりに
市長は淡々と、しかも毅然と報道対応する。
ハガネのメンタルはどこから来るのか…。
バッシングをものともしない姿勢は、信念からくるものかもしれない。

利害得失のメガソーラが背景にあるのか。

いずれにしても、市長は、学歴詐称問題で、実に有名になった。
連日の報道で、小さな都市の行政庁たる市長は、
日本で知らない人がいなくなったのではないだろうか。

その知名度を利用して、本当に自身が主張したことを具体化する…
これが戦略だとしたならば、なかなかなものである。

罵詈雑言、言わせたい人には言わせておけばいい。
結果が全てだ。

人生航路

舟

近所の、うなぎ屋に飾ってあった作品だ。
字はご主人、詩と絵が奥さん。人生の荒波を乗り越えてこられたご夫婦の合作だ。

どの作品も、好きな作家さんだ。

「地獄から救ってほしい」 ガザ市制圧計画に住民から悲痛な声

「地獄から救ってほしい」 ガザ市制圧計画に住民から悲痛な声(毎日新聞)

リアルタイムで、同じ地球で、この惨劇は起きている。
「食料を求めて支援物資に殺到する人たち」は、
例えは悪いが、昆虫の死骸に群がる蟻のようだ。
日本では高級車に位置づけられる、
ベンツのトラックとは不釣り合いな光景だ。
人としての尊厳がどこにあるというのだろうか。

普通に生活していた人々が、
ある日突然、平穏な生活を奪われる。
日々生命の不安を感じながら、
生活の根幹である衣食住がままならない状態で、
それでも生きていかなければならない現状は、
まさに「地獄」だ。
ロダンは、その作品に、「地獄の門」を遺したが、
この写真は、その構図にも似ている。

それは、ダンテの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌に登場する
地獄への入口の門である。

「我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり

義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり

永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ」(山川丙三郎訳)

地獄の門は、神によって作られた不変の「愛と正義と秩序」の境界を表す。
一線を越えると、一切の望みがない地獄が待っている。

今、我が国は、これは遠い国の出来事と、静観できない事情にある。
人口に戦争を体感していない、戦後生まれが大半を占める今、
この惨劇が他人ごとになっていると思わざるをおえない。

林家木久扇氏が言うように、「若い人見てると心配」だ

林家木久扇氏の言葉は続く。
「うちのカギを開けたまま
『うちは犯罪と関係ないですから、どうぞどうぞ』と言っているのと同じで、
カギをかけないで、カギが必要なのに…
という状態が日本の状態だと思っています」

その「カギ」が憲法9条であり、アメリカとの安全保障条約であり、
それがどれだけの抑止力があるのかということだ。
ウクライナが今、壮絶な戦いの後、
表面上はアメリカ主導の戦争終結の合意案に基づき、
ロシアの思惑通り、領土を奪われつつある。
これは、ほんの小手先であり、
この既成事実は今後どのように派生するか、想像に易い。

翻り、我が国はどうか。
無条件で我が国の領土を、外国人に土地を、島を売り渡している現状がある。
誰が、どこを、どれだけ所有しているのか統計がないといい、
悠長にも今後、どうするのか閣議で話し合うという。
台湾有事の懸念、尖閣列島、竹島の問題、
北方4島は、戦後80年、ロシアに実効支配されており、
返還される見込みは薄い。

さあ、どうする。
若者よ。
これは、君たちの将来に突き付けられている現実だ。
現状を唯々諾々と引き延ばしてきた、私たち大人の責任であるとしても、
私達の後に生きるのは君たちだ。

自分のこととして、真摯に国防を考えてほしい。

「ノーベル平和賞を受賞したい」トランプ大統領、ノルウェー財務相に電話で伝える

「ノーベル平和賞を受賞したい」トランプ大統領、ノルウェー財務相に電話で伝える(日テレNEWS NNN)

戦後80年。
世界では様々な戦争や紛争が認められるが、
表面上、日本は、比較的平和な時代だったと言えるだろう。
世界が混迷していても、
「憲法9条を守れ」
「ミサイルよりも福祉を」
などと選挙公約で述べている方々もあるくらいだ。
それは、究極の理想論だ。
平和ボケした国民は、世界情勢を正しく理解している人が
どれだけいるのだろうかと訝しくなる。

ウクライナとロシアの仲裁役を買って出たトランプ大統領は、
見返りに名誉を期待している。
しかし、彼のどこかに、受賞にふさわしい行動が認められるだろうか。
ノーベル賞の立候補は、聞いたことがない。
また、仮にあったとしても、公にされたことはないだろう。

ノーベルは、スウェーデンの化学者、発明家、実業家だ。
「可能な限りの最短時間で、かつてないほど
大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物」
と評されている。
ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、
「ダイナマイト王」ともいわれる。

その贖罪の意味でも、遺言で財団を創設し、
今のノーベル賞に繋がっているとされる。

自国ファーストの、世界に対する関税にとどまらず、
移民政策における、有無を言わさぬ無慈悲な強制送還、
人道支援に対する拠出金停止に伴う、貧困国の深刻な飢餓、
地球温暖化対策からの離脱、…
これまでアメリカが行ってきた人道支援のいくつもと、
反対の政策を行う大統領令への署名と実行は、
平和と対極的な立ち位置にある。

冒頭のウクライナとロシアの仲裁も、ミーイズムの
独善的な主張に終始するのは眼に見えている。

鬼籍のノーベルは、トランプ大統領に対して、
生前、「死の商人」と揶揄されたものの、巨万の富を築いた自分と、
同じ匂いを感じているのではないだろうか。
彼には、その贖罪である、「ノーベル平和賞」の受賞は値しない。

戦後80年、カラーでよみがえる“戦時中の動物たち”の姿とは? AIと人力で戦争写真を着彩、第一人者が語る思い

戦後80年、カラーでよみがえる“戦時中の動物たち”の姿とは? AIと人力で戦争写真を着彩、第一人者が語る思い(ITmedia)

戦後80年。
当時を実際に体験し、それを後世に語り継ぐ語り部の数は激減した。
だからといって、その時代を生きた方々の存在を風化させてはならない。
子々孫々、未来永劫に語り継いでいかなければならない。

そこで、脚光を浴びるのがモノクロ写真のカラー化である。
モノクロだと、何処か観念的であるが、
カラーに再生されると、ビジュアル化され、
同時代に生きているような臨場感を得る。
戦争が過去の遺物ではなく、
いつ遭遇してもおかしくない、身近な出来事になる。

過去の反省は、自分のこととしての置き換えが大切だ。
今、自分が写真の世界にいたとしたならば、
どう感じるか。
どう行動するか。
何をしなければならないか。

等身大でものを考えることができるようになる。
先人がたどった軌跡は、
つまり歴史と、私達の存在は同じベクトル上にある。
終わった過去ではなく、今後、
同種事案を防止する意味でも、大きな教訓を与える。

技術は進歩する。
今を生きる私たちは、その技術を駆使し、
未来に語り継がなければならない。